第249話 水球を避けろ
7月の第二土曜日。正午に差し掛かる直前。
日向を除く仲間たちがマモノ討伐に出かけている頃、日向は狭山と共に車に乗って、山道を走っていた。運転はもちろん、狭山が務める。
空を見上げれば、透き通るような青の中に、綿毛のような白が浮かんでいる。
道路を仕切るガードレールの先は崖となっており、その下を川が流れている。この辺りはいわゆる上流なのだろう。川の流れは激しい。白い泡を立てながら水が流れていく様子は、力強くも清涼な印象を与える。
坂を登り切ると、どこか見覚えのあるダムを横切った。
ガードレールのその先、向かいの山々を見渡せば、辺り一面が深い緑。生い茂った木々が山を覆い尽くしているのだ。東京ドーム何十個分かと思うほどの規模の深緑を見ていると、森林伐採による樹木の減少など嘘のように感じてしまう。
これぞまさしく日本の山の夏、という光景が車窓の外に広がっていた。
「……それで、狭山さん。俺たちは一体どこに向かってるんでしょうか?」
日向が、運転席の狭山に尋ねた。
今日も日向はマモノ討伐に向けての訓練をすることになっている。それも、今日と明日を使った、一泊二日の強化合宿だ。だが、肝心の行き先を、日向はまだ聞いていない。秘密主義な狭山は、どうもこういうサプライズ要素を作りたがる性質がある。
日向の質問を受けた狭山は、少し悪戯っぽい声色で返事をした。
「おや? 日向くんは覚えていないのかな? この辺りの景色を。先ほど通過した、あのダムを。……まぁ、以前ここに来た時は大雨だったから、印象が違って見えるのかもね。それとも、山の中なんてどこも同じに感じちゃうのかな?」
「む。つまり俺は、ここに来たことがあると。待っててください、今思い出しますから」
そう言って、日向は考え込む。
悔しいが、確かに狭山の言うとおり、日向にとっては山沿いの道路なぞ、どこも同じような景色に感じる。しかし、先ほど通過したダムは、やはり見覚えがあった。日向は以前、この辺りに来たことがあるのだ。
「あのダムを通過して、俺たちはどこへ行ったんだっけ……」
「……おっと、残念ながら答え合わせの時間だよ、日向くん。目的地に到着だ」
そう言って狭山が車を止めたのは、和風の大きな一軒家の側だ。
二人が乗る車のエンジン音を聞きつけたのか、家から一人の老人が出てきた。こちらを見るなり、手を挙げて歩み寄ってくる。……その後ろに、水色の、巨大な九尾のキツネを連れて。
「日下部くん、よく来たの!」
「コン。」
「九重さんに、スイゲツ! 思い出した、ここは九重さんたちが住む山だ!」
「そういうこと。そして、彼女が今日の特別講師さ」
「……へ?」
「せっかく紡いだ縁は、有効活用しないとね」
◆ ◆ ◆
九重老人が住む家の庭にて。
日向は、宙に浮かぶいくつもの水球に囲まれている。
”大雨”と”水害”の二重牙、スイゲツの能力だ。
そして、その水球の一つが、日向に向かって水のレーザーを発射した。
「うおわ!?」
咄嗟に身を屈めてレーザーを避ける日向。
しゃがんだ日向を狙って、今度は二つの水球が、日向を挟むように水のレーザーを撃ち出してくる。
「ひええ!?」
前方に身を投げ出すようにして、第二射も避けきった日向。
すぐさま立ち上がり、水球の囲みが薄い場所を探し、その箇所に向かって走り出す。水球の包囲を突破するためだ。
日向を逃がすまいと、その先の三つの水球が、日向の顔と足元に向かって水のレーザーを撃ち出した。
しかし日向は、身を丸くしつつ前方に跳躍し、上手くレーザーを避けながら、見事に水球の包囲を突破した。
「あ、危なかった、もう少しでかすりそうだった……」
「ここで問題! 外は人! 中は熊! この食べ物は何だ!?」
「え、えーと、肉まん!」
「正解! 一文字目と四文字目の『人』の中に、『熊』が入っているからだね!」
横からの狭山の問題に答えつつ、日向は追って来た水球のレーザーを避ける。
さらに、その水のレーザーの向こうから、スイゲツが走り寄ってきた。攻撃を仕掛けてくるつもりだ。
「コンッ!!」
スイゲツが、素早く右前脚を振り抜いた。
それを日向は、後ろに跳んで避けきった。
飛び退いた日向に追い打ちをかけるように、スイゲツは頭を振るって頭突きを仕掛ける。先ほどの右前脚から間髪入れず、連続で。
だが日向は、それも避ける。
素早くスイゲツの真横に回り込み、頭突きの軌道から上手く逃れた。
しかし、その日向の回避先に水球が一つ浮かんでいる。
日向の動きを先読みして、スイゲツがあらかじめ設置しておいたのだ。
日向に向かって、水のレーザーが勢いよく放たれる。
はたして水のレーザーは、日向に当たらなかった。
寸でのところで回避した。
日向もまた、スイゲツが自分の回避先を読んでいるであろうことを、読んでいた。だからこそ、今の厳しい攻撃をも避けてみせたのだ。
「えーと、次のスイゲツの攻撃は……!」
「ここで問題! 幼稚園、小学生、中学生、高校生、大学生、専門学生、大学院生。 一番大きいのは?」
「こ、このタイミングで!? え、えーと……!」
「コンッ!!」
「ぐええ!?」
スイゲツの行動を先読みしようとしたところに、狭山の問題。両方が重なって、日向の頭が混乱した。その一瞬の隙を狙い、スイゲツは自慢の九尾で日向を薙ぎ払ってしまった。
「や、やられたぁ~」
日向は仰向けに大の字に倒れ、わざとらしく声を上げた。
これは訓練。本気の戦闘ではない。これまでの攻撃も、今の薙ぎ払いも、大してダメージの無い手加減した攻撃だ。
以前は日向たちの身体を撃ち抜いた水のレーザーも、今回はちょっと強い水鉄砲くらいの威力しかなかった。
「生存時間、30秒かぁ。目標の1分に少しずつ近づいているね。ちなみに先ほどの問題の正解は『幼稚園』だよ。他は人間を指しているけど、これだけは施設だ。幼稚園児とは言ってないからね。だから幼稚園がダントツで一番大きい」
いまだに地面に倒れている日向に、狭山が声をかけた。
この訓練の内容は、『スイゲツの攻撃を回避しつつ、狭山が出してくる問題を解きながら、一分間耐え凌ぐ』というものだ。
今までのボール除けと比べると、目の前の狭山だけ見ていれば良かったのに対して、水球は日向の全方位から襲ってくるので格段に難しい。さらにそこへスイゲツ自身が波状攻撃を仕掛けてくるので、その難易度は凄まじい高さである。そしてトドメに、狭山の問題が絶妙に集中力を削ってくる。
「ほ、本堂さんは実戦でこれを避けきってたって言うんだから恐ろしい……」
「彼の反射神経は、まさしく天賦のものだ。愚直にトレーニングを積んでも、彼に追いつくことは難しいだろうね。だからこそ、君には『思考力』を鍛えてもらっている」
思考力。
思考力とは、考える力。
相手の動きを読む力。
相手の能力を分析する力。
相手を倒す方法をひらめく力。
そして、どんなに激しい戦いの中にあっても、考えることを止めない力。その活用法は、無限にもわたる多岐に分かれている。
「君の策が、戦局を変えるかもしれない。仲間や人々を助けるかもしれない。負けたくないのなら、どんな状況でも考えることを止めちゃダメだ。どんなに苦しくても、どんなに激しい戦闘の中でも、思考を続けるんだ。勝利の糸口を探し続けるんだ。考えて、考えて、考え抜くんだ」
「考えて、考えて、考え抜く……」
狭山の言葉を、口の中で繰り返す日向。
己の役割を再認識するかのように。
勝利の道筋を考えること。
相手の異能を暴き立てること。
戦いの中で逆転の一手を見出すこと。
それは、漫画やアニメの世界なら多くの登場人物が備えている能力であるが、現実で持っている人間となると極めて希少な存在である。そして、それこそが予知夢の五人の中で、日向に与えられた能力だ。戦闘における状況分析能力において、彼は五人の中でも群を抜いている。
「さて、小休止はここまでにして、ネクストラウンド、行ってみようか?」
「……はい!」
日向は元気よく返事して、立ち上がり、再びスイゲツに向き直った。




