第229話 考えながらボールを避けろ
日向のトレーニングは続く。学校が終わればマモノ対策室十字市支部に直行し、鍛錬に励む毎日だ。有酸素運動も兼ねて、筋トレの前にまずはボール避けから始まる。
「ほいっ!」
「おっと!」
狭山が日向にテニスボールを投げ、それを日向が避ける。
半径5メートルの円の内側で、身体全体を使って大きく避ける。
狭山のボールの狙いは、相変わらず鋭い。
変化球も織り交ぜて、的確に日向の逃げ道を塞いでくる。
オマケに、狭山は利き手とは逆の手でも問題なく変化球を投げてくる。コントロールも驚異的な精度だ。右のボールで日向を追い詰め、左のボールでトドメを刺してくる。
「よっ!」
狭山がフォークボールを投げてきた。
日向が、それを屈んで避けようとしたところに、真っ直ぐボールが投げられる。
「うわっとぉ!?」
身を投げ出すようにして、二球目のボールを避けた日向。素早く起き上がり体勢を立て直すが、ちょうどその起き上がった頭の位置にボールを投げられ、まんまとぶつけられた。
「あいたっ」
「ふふふ、甘いね。戦闘中に相手から目を放しちゃダメだよ」
「くっそ、まだまだ!」
構えなおし、再び狭山のボールに備える日向。
それを見た狭山は、今度は身体を屈めて、足元のボールかごから次々とボールを投げてきた。
「ほい! ほい! ほい! ほい!」
「とっとっと……」
ボールの数は多いが、軌道は山なりで弾速はゆっくりだ。
身体を屈め、横に飛び、ボールを避けていく日向。
矢継ぎ早に投げられてくるボールにかすることもなく、見事に避けきっていく。
しかし、狭山が不意に投げてきた足元へのボールで体勢を崩してしまう。
「足元がお留守っ!」
「うわっ!?」
今までの山なりボールと違い、真っ直ぐな軌道、速いスピードだ。ゆっくりなボールに慣れてきていた日向は、完全に不意を突かれてしまった。
そしてその隙を突かれて、さらに二発のボールをぶつけられた。
「まだまだフットワークが重いねぇ。回避後即回避も意識してみようか。常に回避から回避へつなげる体さばきを意識するんだ」
「わ、分かりました」
「よしよし。……では、これはどうかなっ」
そう言って、狭山がボールを投げてきた。
ボールの軌道は、今まで以上に高い。日向の頭めがけて落ちてくるようなコースである。だがその分、落下までに猶予があり、難なく避けられそうに見える。
(……けど、ここまでの特訓で何となく分かってきた。こんなゆっくりなボール、思わず注目してしまいそうになる。つまりこの高めのボールは、狭山さんから意識を逸らすためのブラフ……!)
日向が、落下してくるボールに意識を向けつつ、狭山の方を見れば、狭山はゆっくりとオーバースローの構えを取っている最中だった。そして大人げなしの全力投球をお見舞いしてきた。
「死ねぇ!」
「ひええええっ!?」
日向は尻もちをつくようにこれを避け、間一髪で回避する。
その後すぐに横に転がって、落ちてきた一発目のボールも避けた。
「さすがに今のは分かりやすすぎたかな」
「そ、それより! 『死ね』って言いましたね!? 死ねって!?」
「いやぁゴメンゴメン。つい勢いで」
「オマケに! さっきの全力ストレート、球速が軽く150キロはありませんでしたか!? 恐ろしいスピードで俺の頭上をかすめていったんですけど!? マジで殺す気ですか!?」
「150キロについてはちょっと分からないねぇ。測ったことはないからね。殺す気かどうかについては、今の日向くんならコレも避けきれると信じての一投だったよ」
「避けると信じただけで、殺す気については否定しないんですね!? ま、まぁでもどうせ、実戦じゃどんなマモノだって殺す気で来ますもんね! さぁ、どんどん来てくださいよぉ!(ヤケクソ)」
「そうかいそうかい。では遠慮なく」
そう言うと狭山は、右手にボールを持って、日向に歩いて近づいてきた。
すでに狭山は、日向の目の前にやって来ている。
おもむろにボールを持った手を振りかぶる。
「……ちょっ!? ちょちょちょ!? 近づくのはズルいですって!? 避けられませんって!」
「そう思うかい? けれど自分は『中心から動かない』なんて言った覚えは全く無いよ? さぁ覚悟を決めてね」
「あー!? あー!! わー!! あー!?」
必死に両手をばたつかせて防御を試みる日向。
しかしその努力も虚しく、日向の額にポテン、とボールがぶつけられた。
◆ ◆ ◆
そんな調子で特訓はひと段落し、10分ほどの休憩時間に入る。
「しかし狭山さん、ピッチングも普通に上手いですね……。ホントに完璧超人……」
「お褒めに与り光栄だね。コレを覚えていると、子供たちと遊ぶときに役立つからね」
「子供たちと遊ぶときって……狭山さん、お子さんがいるんですか?」
「いや、いないよ? 自分は独身だよ」
「じゃあ、子供たちと遊ぶときっていうのは……はっ、まさか、公園で見知らぬ子供たちを誘ってキャッチボールをするのが趣味とか!? うーむ……怪異・キャッチボールおじさん……」
「ひっどいあだ名だねぇ……。けど、そうじゃないんだよ」
「むしろ、そうだったらどうしようかと」
狭山が言うには、彼は海外の発展途上国に学校を建てる活動をしているらしい。恵まれない子供たちに学習の場を与えているのだ。そして、時おり創設者として、その学校の様子を見に行くという。この時に、その学校に通う子供たちと遊んでいるのだ。
そして、狭山が子供たちと遊ぶときに野球を選ぶのは、万国共通で子供たちに愛されるスポーツだからだ。どの国の子供と遊んでも、その技術を使い回すことができる。
「怪異・キャッチボールおじさんとか言ってすみませんでした」
「分かってくれて嬉しいよ。……しかし、最近はなかなか学校にも顔を出せていなくてね……。特にマモノ災害が始まってからは全くだ。連絡自体は受けているから、みんな元気にやっているのは分かっているんだけど、たまには顔を出したいなぁ」
遠く離れた情景を懐かしむような表情で、狭山は呟いた。
「……ところで、日向くんも、初日に比べるとだいぶボールを避けるようになってきたね。少しは慣れてきたかな?」
「そうですね。なんとなく、狭山さんがボールを投げる動きが分かってきたというか」
「うんうん、良い傾向だ。相手の動きをよく見て、次の攻撃を予測すること。見てからじゃ避けられない攻撃も、予備動作を見てから回避に移れば、やり過ごせることも多い。先ほどの全力ストレートのようにね」
そして狭山は今回、ボール避けに慣れてきた日向に、次の段階のボール避けを提案した。
「次は、ボールを避けながらクイズに挑戦してみよう。自分がクイズを出しながらボールを投げるから、それに答えていってくれ。もちろん、ボールを避けながらね」
この特訓では、日向の洞察力とひらめき力を鍛えるのが目的だ。また、ボールを避けながら解答を考える必要があるため、二つ以上の物事に考えを集中させる、いわゆる『並列思考』の訓練でもある。
マモノとの戦闘中に、手を止めて思考に没頭する余裕などない。
戦いながら、次々と策を張り巡らせる必要がある。
この特訓では、その部分を鍛えるのだ。
「理屈は分かりましたけど、また変わった特訓ですね……」
「しかし侮るなかれ、これが結構難しいんだ。……とはいえ、今日は初回だから優しめにいってみようね。では位置について?」
狭山に促され、所定の位置につく日向。
いつでもボールを避けられるよう、構える。
「では問題! パンはパンでも食べられない「あいたぁっ!?」パンはなーんだ?」
……狭山は、「食べられない」と言ったあたりから、いきなり日向に向かってボールを投げつけてきた。途中で挟まれた「あいたぁっ!?」は、日向の悲鳴だ。
まさか一問目の問題を読み上げている最中に投げてくるとは思わなかった日向は、顔面でボールを受け止める羽目になった。
「ひ、卑怯だ! 反則だ!」
「ははは。けれど自分は言ったはずだよ?『クイズを出しながらボールを投げる』って。それに、君は問題を聞いている時に、『パンはパンでも』って聞いたあたりから、もう答えを考え始めていたんじゃないかな? なまじ問題が簡単だったからね。つまり、すでに試合は始まっていた」
「へ、屁理屈だ!」
「そうだね。卑怯で、反則で、屁理屈だ。しかしこれは戦闘の訓練。戦闘とはつまり殺し合い。そこでは、多少の卑怯も反則も屁理屈も、勝てば『策略』として昇華される世界だ」
「あ……」
まさしく、狭山の言うとおりだった。勝てば官軍、とはよく言ったもので、命の奪い合いにおいては如何なる謀略であろうと許容されてしまう。今までの『星の牙』だって、あの手この手で日向たちの命を狙ってきた。
これから先、それこそ反則じみた『初見殺し』のような能力が登場するとも限らない。そういった能力者との戦闘において、洞察力とひらめき力に優れているとされた日向は、仲間たちに先駆けてその能力の正体を掴む必要があると言える。
「……とはいえ、初回からいじわるすぎたかな。ここからは今度こそ優しめで……」
「いえ、狭山さん。これくらいの難易度でやってください」
「おや、いいのかい?」
「ええ。少しでも、強くなりたいんです」
「良い心がけだ。では、そのオーダーに応えよう!」
その後、日向は、狭山からの容赦ないクイズとボールの雨にさらされることとなった。結果として、初日の倍近い回数、ボールをぶつけられる羽目になった。さらに、それが終われば今度は筋トレが待っている。
ハードな日々が続くが、それでも少しずつ、日向は成長してきている。肉体的にも、そして精神的にもだ。




