第226話 ボールを避けろ
引き続きマモノ対策室十字市支部にて。
昼食を終えた日向は、しばらく休憩した後、狭山から庭に呼び出された。
庭に出てみれば、その中央に半径5メートルほどの白い円が描かれている。そして、その中央に狭山が立っている。足元に、テニスボールが山盛りに入ったカゴを置いて。
「お、来たね、日向くん」
日向が来ると、狭山は笑顔で出迎えた。
「狭山さん……一応聞いてみますが、今から何をするんです?」
「うん。今から自分は、このテニスボールを日向くんに投げる」
「やっぱり。そしてどうせ、その白い円の中から出ないように避けてね、って言うんでしょ」
「お、正解。ちなみに、ボクサーみたいに上体だけで避けろとは言わない。円の中なら自由に動いていいよ。走るも跳ぶも君の自由だ。マモノとの戦いを想定するなら、大きく動く場面が多いだろうからね。ただし、ボールを受け止めるのはナシだ」
「この特訓をするのは、俺の回避能力を上げるため、ですか?」
「その通り。……と言っても『なぜいきなり回避力を?』と思うだろうね。だからまずは説明しよう」
そう言って、狭山は説明を始めた。
曰く。
日向の戦闘における能力は『敵の動き、および能力の分析』である。相手の攻撃のクセや能力の正体を見抜き、誰よりも早く対応してみせる。
しかし、日向自身の運動神経、反射神経自体は、そこまで優れてはいない。今までは他の仲間たちより一段劣る回避力を、無意識のうちに敵の動きを分析して先読みし、カバーしていたのだ。
つまり、日向の戦闘の本質は、どちらかというと防御寄りなのだ。日向自身は、日影のようなガンガン攻めるスタイルに憧れているようだが。
しかし、日影は日影で、考えるより先に攻撃を仕掛けるきらいがある。まず相手の動きをよく見てから行動に入るのは、日影には無くて日向だけが持っている特徴でもある。
「……まぁ、結論を言うと、『敵の動きを見てから対応する』という戦い方が日向くんに合っているから、それを鍛えるためにこの訓練をするワケだね」
「う、うーん……俺ってそんなに敵の動きを先読みできていますかね? 結構いつもボコボコにされているイメージしかないんですけど……」
「では、ひとつ思い出してみてほしい。君が今までボコボコにされたマモノたちは、ほとんどが『たいして大きくないマモノ』ではなかったかな?」
そう言われて、日向は顎に手を当てて考えてみる。
確かに狭山の言うとおり、小型~中型のマモノが多かったように感じる。
「……言われてみれば、そうかも。ロックワームやフレアマイトドラグの攻撃はかなり避けきれたけど、スライムやスイゲツの攻撃は嫌になるくらい喰らった気がする……」
「これらのマモノに共通する点は『素早く、動きに小回りが利く』という部分だ。日向くんが動きを先読みできても、身体が追いつけていないんだろうね」
「あー、そんな気がする……」
「それともう一つ。日向くんに防御寄りのスタイルを身に着けてもらうのは、『それが日向くんに合っているから』というだけでなく、『日影くんと同じ、攻撃寄りのスタイルから外れさせる』という狙いもある。対日影くんを見据えての訓練というワケだ」
「日影と一緒じゃ、ダメなんですか?」
正直、日向としては、身体を鍛え抜いて『太陽の牙』を軽々と振り回すような戦い方を夢見ていたのだが、狭山はそういったスタイルから日向を遠ざけるのだという。
「もちろん、それだけの筋力がつけられるなら、それに越したことはない。しかし、だ。日向くんはともかく、日影くんはガンガン攻める『攻撃寄りのスタイル』に高い適性を持っている。身体能力から性格に至るまで、何もかもね」
「それはもう本当におっしゃる通りで」
「ゆえに君が日影くんと同じような戦い方で日影くんに挑めば、まず間違いなく負ける。相手の土俵にみすみす上がるようなものだ」
「ぐぬぬ……」
「だから日向くんには、君ならではの戦法を極めてもらう。敵の攻撃を耐え凌ぎ、ここぞという場面で反撃に移る。特に君の場合は”紅炎奔流”という超火力があるから、純粋な攻撃力に関してはすでに問題無しの範疇だ」
「つまり、相手の動きを見極めつつ、”紅炎奔流”をぶち込むようなスタイルを身に着けていけ、と」
「極端に言ったらそうなるね。そして、そこまでの流れを有利に運ぶために、筋力や回避力を鍛えてもらう。日影くんと戦うことになった時、彼の攻撃をどれほど凌げるか、そしてどれだけ正確に”紅炎奔流”を叩き込めるか、がカギとなってくるだろう」
そこまで言い終えると、狭山がテニスボールを手に取った。日向も白い円の中に入り、すぐさま回避行動に移れるよう、構える。
「今日はまだ初めてだからね。肩慣らしも兼ねて、そんなに速くは投げないよ。日向くんも落ち着いて避けてね」
そう言って、狭山は右手に持ったボールをポーン、と日向に向かって投げる。
ボールはゆっくり、日向の顔面に向かって飛んでくる。
この程度なら、日向も余裕をもって避けられる。
(狭山さん、いくら俺が運動神経ゴミムシだからって、流石にこれは舐めすぎでしょう。これくらいなら俺だって……)
そう思いつつ、日向は頭を下げてボールを避ける。
……すると、ボールは日向の目の前で、いきなり軌道が落ちてきた。
(ふ、フォークボールだとぉぉぉ!?)
ボールは追尾するように日向に向かって落ちてくる。目の前まで迫ってきながら、もはやどうすることもできず、ボールは日向の顔面にポテン、と直撃。
「ぐえ」
あわれっぽい悲鳴を上げて、日向は尻もちをついた。
「ぐ……まさか変化球を仕掛けてくるとは……」
「ふふふ。なかなかのものだろう? さぁ、どんどんいくよー!」
「え、ちょ、待っ……」
言うや否や、狭山は矢継ぎ早にボールを投げつけてくる。
しかも、そのどれもが、狙いがエグイ。
日向の上半身、下半身に向かってバランスよく打ち分けてくる。
横に逃げようとしたら、退路を塞ぐようにボールを投げてくる。
後ろに逃げようにも、すぐ後ろが円の外側だ。
狭山は時おり、変化球を織り交ぜてくるのだが、この変化球がまた凄まじい。プロ野球選手かというくらいにボールが曲がってくる。
球種もフォーク、カーブ、スライダー、シンカー、シュート、ナックル、スローカーブとえらい豊富である。日向もまったくボールを避けきれず、面白いように被弾した。
「ほら日向くん! 脚が止まってるよー!」
「アンタ絶対楽しんでるだろ!!」
◆ ◆ ◆
「……とまぁ、こんな感じだね」
「ぜー……ぜー……もう何発ボールぶつけられたか分からない……」
「十分間やって270発被弾だね。初めてにしては、まぁ上出来じゃないかな」
「律儀に数えてたんかい……」
庭の芝生の上に、大の字になって寝転がる日向。
そんな日向に、狭山は何かを持ってきたようだ。
「さて日向くん。君は『運動してから30分以内にたんぱく質を取ると、筋肉がつきやすい』という法則を聞いたことはあるかい?」
「まぁ、ちょっとだけ。今からプロテインでも飲むんですか?」
「その通り。しかし、このプロテインはちょっと特別だ」
「特別……?」
狭山が日向に持ってきたものは、どうやら特別製のプロテインらしい。
しかし、見てみると妙に色合いが強烈である。
玉虫色というか。サイケデリックというか。
間違ってもプロテインがしていい色彩ではない。
「あの……狭山さん……この見るからにヤバそうな液体は一体……?」
「よくぞ聞いてくれた! これは自分手作りのスーパープロテインさ!」
「お疲れ様でしたぁぁ!!」
狭山手作り、と聞いた瞬間、日向は逃げ出した。
5月ごろの、苦いを通り越して吐き気を催す思い出が脳裏に蘇ってしまった。
「おっと待ちたまえ」
しかし狭山は、逃げる日向の首根っこを掴んで、逃走を阻止した。
「嫌だぁぁぁ!! 死にたくなーい!! 死にたくなーい!!」
「ははは。泣くほどうれしいのかい?」
「一体全体どこに喜んでる要素がありましたか!? 人の心が分からないってレベルじゃねーぞ!!」
「まぁまぁ、落ち着いて日向くん。確かにこのドリンク、見た目はヤバいし味も君にとっては少々悪いだろうが、栄養価は本物だ」
「だ、だからってこんな産業廃棄物みたいな何かを飲めというのですか……?」
「一応、君の口に合うように味も研究して、改良に改良を重ねたんだよ? 騙されたと思って飲んでみてほしいな。さぁさぁ。さぁさぁ」
「く……」
狭山の人当たりの良い笑顔を受け、日向もまんまと毒気を抜かれる。
実際、狭山の言うとおり栄養価だけは本物なのだろう。
これを飲めば、あるいは一気に強くなれるかもしれない。
そう自分を誤魔化して、日向はこのプロテインを騙る何かに挑戦することにした。
「い……いただきます……」
意を決して、プロテインの容器を傾ける。
ヤバい色の液体が、日向の口の中へと流れていく。
(確かに……この前のよりはいくらかマシおええええええええええええええ)
ダメでした。
明るい緑の芝生の上に、飲み込めなかったプロテインがぶちまけられる。環境汚染もいいところである。
「ああー。もったいない」
「もったいない、じゃねーですよ!! なにが『騙されたと思って』ですか!! 騙したな!!」
「とはいえ、意識が消し飛んだ前回よりは、まだ幾分かマシだろう? 今日は日向くんの意識もちゃんと保ってるし」
「飲み物飲むだけで意識がカッ飛ぶ、って言う時点でマシもクソもないですけどね!」
「しかし、手っ取り早く強くなりたいのなら、このドリンクにもぜひ挑戦してほしい。繰り返すが、栄養価だけは本物だからね。自分もさらに味に改良を重ね、少しでも日向くんが飲みやすいようにしよう」
「気持ちはありがたいですけど……なんか自分、モルモットにされてません?」
「気のせい気のせい」
◆ ◆ ◆
その後、再びボール避けや筋トレを行い、今回のトレーニングは終了となった。
ある程度慣れてきたら、いよいよ本格的に日向専用のトレーニングメニューを組み、それに沿って鍛えていく、とのことだ。ボール避けも、より高いレベルのものを用意しているらしい。
しかし、明日のトレーニングは休みでいい、とのことだった。
日向は今日、慣れない筋トレに一日中励んだ。
だから、普段使われていない筋肉も酷使され、間違いなく筋肉痛になる、と狭山が言っていた。
「筋肉痛は筋肉の炎症だ。動いた方が治る、なんて言う人がいるけど、まず気のせいだよ。早く治すにはゆっくり休むのが一番だ」
「けど、俺には”再生の炎”がありますから、筋肉痛も治るんじゃ……?」
「ははは。治るといいねぇ」
そして、次の日。
「か……身体が重い……」
日向は見事に、筋肉痛になっていた。
ベッドの上から、一歩も動くことができない。
寝返りを打つことさえままならない。
「ま、まさか、筋肉痛はもしかして、体力の消費にカウントされるのか……?」
”再生の炎”は、消費したスタミナまでは回復してくれない。
疲労した身体を癒してくれる機能も無い。
この筋肉痛が『疲労』から来るものだというのなら、治らないのは道理である。
「こ、こんなことになるなら、もう少し抑えめに運動するんだった……」
筋肉痛になった人間の多くが抱くであろう所感を呟く日向。
何がひどいって、今日は月曜日。登校日なのだ。
その日、日向は学校に遅刻しかけたそうな。




