第212話 ウサギは獅子を狩るにも全力を尽くす
シャオランは、建物の外壁にクレーターができるほどの勢いで叩きつけられた。”地の気質”も纏っていない、生身の身体で、だ。
ラビパンヘビィの耳拳を受けた右腕は、「壊れている」と形容する必要があるくらいにボロボロだった。
「キーーーーーッ!!!」
ラビパンヘビィは、両腕と両耳を振り上げて、高らかに勝利を宣言する。あの一撃をまともに受けて、生き延びる人間などいるはずがない。そう信じていた。
「う……ぐ……」
「キッ!?」
しかし、うめき声と共に、シャオランはフラフラと起き上がった。
右腕は、力無く垂れ下がっている。
とても動かせるような状態ではない。
だがそれでも、シャオランは生きていた。
なぜシャオランは、『地の練気法』を使用していない生身の状態で、ラビパンヘビィの『地震の振動エネルギー』を纏った拳を耐えきることができたのか。
シャオランが特別カラダを鍛えていたから、というのも、もちろんある。だが、シャオランが生き延びることができた最大の要因は、”火の気質”を纏った拳でラビパンヘビィの攻撃を受け止めたことにある。”火の気質”の凄まじいパワーが、ラビパンヘビィの拳の威力をある程度緩和したのだ。
(……とはいえ、こんなのもう、戦うどころじゃないよぉ……)
利き腕である右腕に力が入らない。
恐らくは粉砕骨折しているか。
身体全体もひどい痛みに苛まれている。
外壁にクレーターができる勢いで叩きつけられたのだ。無理もない。
「こ、こんな痛み、修行時代でも受けたことないよ……い、痛い……すごく痛い……だから戦うのイヤだったのに……もうヤダ、お家に帰りたいよぉ……」
「キー……ッ!」
「ひぃ……」
シャオランの生存を確認すると、ラビパンヘビィはすぐさま戦闘態勢を整える。
一方のシャオランは、怯えてすくみ上がっている。
シャオランの戦意は、完全に喪失している。
もはや肉体的にも、精神的にも、戦うどころではなかった。
シャオランは、自身が激突した建物の壁を背に、ラビパンヘビィに命乞いを始める。
「も、もう許して!? キミの仲間を倒したことなら謝るから! だからお願い!? ね!? ね!?」
「キー……ッ!」
しかしラビパンヘビィは聞く耳を持たない。
持ち合わせる耳は、シャオランを殴り殺す耳拳だけである。
「ほ、ホント許して!? ホント許してぇぇ!? これ以上殴られたら、ホントに死んじゃうからぁぁぁぁ!?」
「キー……ッ!」
「イヤぁぁぁぁぁぁぁ!? ああああああああああ!! もうヤダああああああああ!!」
「キーッ!!」
「あああああああああああああああ!? あああああぁぁぁああぁぁあああああ!!! ああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁあぁあああああ!!!
……と、ひとしきり泣き叫んでみたはいいものの、やっぱり誰も助けに来てはくれないよね……」
不意にシャオランが冷静になり、そう呟いた。
「分かってたよ……こうやって戦いに身を投じる以上、いつかはこんな時が来るだろうって……。どんなに辛くても、どんなに怖くても、自分一人で目の前の敵を何とかしなくちゃならない時があるだろうって……」
呟きながら、シャオランは再び構えを取る。
利き手である右腕は、やはり垂れ下がっている。
指一本さえ動かすことが出来ない。
だから、代わりに左腕で構えを取った。
恐怖が消し飛んだワケではない。
押し殺しているが、身体の芯は未だに震えが止まらない。
痛みを感じ無くなったワケではない。
潰れた右腕は、さっきから頭が沸騰しそうになるくらい痛む。
今まで本気を隠していたワケでもない。
本気を隠すような余裕など、シャオランに存在するハズがない。
しかし、シャオランにだって意地がある。
武闘家としての意地が。
辛い修行を乗り越えて、今まで鍛えてきた力と技、その総てを出し尽くすことなく果てるなど、まさしく死んでも御免なのだ。
「怖いのはイヤだ。けれど、怖がるだけで何もできずにやられるのは、もっとイヤだ。だったら、最後の最後くらいボクだって派手に暴れてやるとも。覚悟完了、よし行くぞ……!」
そう呟くシャオランの表情に、先ほどの怯えは全くない。
敵を射抜くような力強い瞳は、まさしく武人のソレである。
「キッ……!?」
ラビパンヘビィも、シャオランの雰囲気が変わったことを感じ取り、一度距離を取って様子をうかがう。獲物を前に舌なめずりする時間から、瞬時に戦闘モードへと切り替えた。
「キーッ!!」
「はぁぁぁぁ……!」
ラビパンヘビィが耳拳を振るってくる。
シャオランも”地の気質”を身に纏い、構える。
ラビパンヘビィが、耳で素早いジャブを放ってくる。
それを後ろに下がって避けるシャオラン。
だが、先ほどよりも回避のキレが落ちている。
身体のダメージが抜けきっていないせいだ。
「くっ!?」
ラビパンヘビィの拳が一発、シャオランに直撃した。
シャオランは右腕を庇いつつ、左の腕と肩を使って防御する。
後ろに大きく後ずさり、しかしなんとか堪えてみせた。
(右腕が使えない以上、マトモな打ち合いはできない。ヤツを倒すには、『火の練気法』による一撃必殺の攻撃力が不可欠……。けど、下手に『火の練気法』を使えば、さっきみたいに攻撃を読まれて、大ダメージを受けるかもしれない……)
シャオランが『火の練気法』を使うと、攻撃に使う部位に赤いオーラが集中する。それは相手からしてみれば、「今からココで攻撃しますよ」と教えているようなものだ。当然、相手は警戒する。
シャオランが受けているダメージも相当なものだ。
先ほどのような手痛い一撃を受ければ、いよいよ命の保証は無い。
(あるいは師匠みたいに、他の練気法が使えれば、色々な打開策があったのかな。……けど、無いものねだりしてもしょうがない。今持っているボクの力で、ヤツを打ち倒してみせる!)
シャオランは一度、纏っていた”地の気質”を解除する。
姿勢を正し、精神を集中させる。
「……はぁぁぁぁッ!!」
そしてすぐに、シャオランが気合のこもった声を上げた。
息を大きく吸い込み、そして吐く。
すると、シャオランの右足が、炎を纏ったかのようなオーラを発する。『火の練気法』だ。
先ほど、『火の練気法』を使うことを躊躇したシャオランだが、それでもやはり『火の練気法』を使うことを選択したのだ。
「さぁ、行くよ……!」
「キー……ッ」
シャオランが攻撃態勢を取ったのを見て、ラビパンヘビィも自身の右耳拳に、再び振動エネルギーを凝縮させる。無色透明のエネルギーが、ラビパンヘビィの右耳に集まっていく。
両者は、再び相手との距離を測り始める。
一瞬でも油断したら、即座に即死級の一撃が飛んでくる。
西部劇のガンマンの如く。
あるいは刀を抜いて睨み合うサムライの如く。
慎重に、しかし力強く相手を見据える。
(生半可な踏み込みでは、また逃げられる。渾身の勢いで肉薄しなければ……)
シャオランが大きく息を吸い込み、そして吐いた。
その様子は、今まさに死地に赴く覚悟を決めた戦士そのもの。
そして……。
「……ふッ!」
シャオランが、踏み込んだ。
ラビパンヘビィに接近するために。
それを見たラビパンヘビィは、バックステップで後ろに下がる。先ほどのように、シャオランの攻撃を避けてから必殺の一撃を叩き込むつもりなのだろう。
だが、二度も同じ手に引っかかるほど、シャオランも考え無しではない。
シャオランが踏み込んだのは、”火の気質”を纏った右足だ。
人智を超えた脚力によって、アスファルトに亀裂が走る。
そして、道路が爆ぜ飛んだかと思うほどの勢いで、一気に駆け出す。
「駆け出す」と言っても、実際のシャオランの動きはそんな生易しいものではない。ジェット機もかくやという勢いで、ラビパンヘビィに真っ直ぐ跳躍した。
つまりシャオランは、『火の練気法』を攻撃ではなく、接近手段に用いたのだ。
「キッ……!?」
ラビパンヘビィは、完全に意表を突かれた。
バックステップで生み出した間合いはあっという間に埋められ、シャオランがラビパンヘビィの懐深くに潜り込む。
シャオランは跳躍の間に、すでに左の拳に”火の気質”を新しく纏わせている。そして……。
「……せいりゃあああああッ!!!」
「ギッ……!?」
ラビパンヘビィの心臓目掛けて、真っ赤な拳を叩き込んだ。
赤いオーラが噴火のような勢いで、ラビパンヘビィの身体を突き抜け、おびただしい量の血を吐き出す。
その後、ラビパンヘビィは大きく吹っ飛ばされ、背後のビルに叩きつけられた。その叩きつけられたビルの外壁に、巨大なクレーターができる。
「グ……キ……」
ラビパンヘビィは、まだ息がある。
両の耳拳を支えにして、何とか立ち上がろうと動き出す。
だが、すでにシャオランはラビパンヘビィに向かって跳躍し、その右脚に”火の気質”を纏わせていた。
「だりゃあああああああッ!!!」
「グギャ……ッ!!」
ラビパンヘビィの心臓に、ドラゴンキックのごとき飛び蹴りを叩き込む。
”火の気質”が、大爆発を起こしたかのように発散する。
ラビパンヘビィは、シャオランの飛び蹴りとビルの外壁の板挟みにされる。
ビルの外壁は衝撃に耐え切れず、崩壊した。
建物の中に叩き込まれ、仰向けに倒れるラビパンヘビィ。
ビクビクと二、三度痙攣した後、その動きが止まり、二度と起き上がってくることはなかった。
「はぁ……はぁ……はっ……はぁ……」
肩で大きく息をするシャオラン。
天を仰ぎ見るような姿勢で、まさに疲労困憊という様子である。
そして、建物の外壁に、背をもたれるようにして座り込んでしまった。
「……ぶ、無事に勝てたら、急に痛いのと怖いのが戻ってきた……。も、もうイヤだ! ボクはここから一歩も動かないぞ! いや、一歩も動けないぞ! だからここで休むぞ! 誰が何と言おうとだぞぉぉぉ!」
誰に向けられたものでもないシャオランの悲鳴が、閑静な大通りに響き渡った。




