第196話 全て丸く収めるために
スイゲツから北園を庇った九重老人が、意識を取り戻さない。その知らせを受け、日向たちは社の中へと駆け付けた。
スイゲツも、狭い入口に身をねじ込ませ、社の中へ入った。ちなみに、本堂やシャオラン、そしてスイゲツの傷は、既に北園が治している。
社の中では、狭山が九重に心臓マッサージを行っている。
九重は仰向けに倒れたまま目を閉じて、眠っているように動かない。
九重の顔には、人工呼吸用のマウスシートが被せられている。
雨に濡れていた身体は、既に狭山が持ってきたタオルで拭き終えているようだ。
「狭山さん! 九重さんは!?」
「ご覧の通り、危篤状態だ! 心室細動を引き起こし、心肺停止している!」
「心室細動……? と、とにかく危険な状態なんですよね!? 助かるんですか!?」
「こればかりは、もう自分も祈るしかないな……! ……ところで、その後ろのスイゲツは……」
「紆余曲折あって和解しました……」
「なるほど、理由はともかく都合が良い! スイゲツは、九重老人の側にいて、声を聞かせてやってくれ。意識が無くとも声は聞こえていた、という体験談もある。意識不明の患者に耳元で声を聞かせ続けるのは、意識回復に極めて有効な治療法だ」
「コン!」
狭山の言葉を受けたスイゲツは、横たわっている九重の元まで歩み寄り、「コーン、コーン」と鳴き声を聞かせ続ける。しかし、九重は目を覚まさない。
「……それとシャオランくん! 戦闘終了後に申し訳ないのだが、ちょっと通信車までひとっ走りして、車内からAEDを取って来てくれるだろうか! 九重さんの回復には、もはやそれに頼るしかなさそうだ!」
「わ、分かった! そういうことなら任せて!」
狭山の指示を受けると、シャオランは急いで社から飛び出ていった。
シャオランの後ろ姿を見送りながら、今度は北園が狭山に声をかける。
「……あのー。通信車に行って戻るなら、私の空中浮遊の方が速いんじゃ……?」
「いや、恐らく北園さんだと、行って帰るためのスタミナが足りないと思う。空中浮遊はかなりの体力を使うし、君だってついさっき目が覚めたばかりだ。空中浮遊の途中でスタミナが切れて墜落でもされたら大変だ」
「う……確かに……」
「とにかく、使える手はすべて使わねば! 日向くんと日影くん、そして北園さんは、それぞれ炎を出して九重さんを温めてくれ! 身体が冷えるのを避けるんだ!」
「わ、分かりました!」
「りょーかいです!」
「……これも大事なことだってのは重々承知してるけどよ、ただジッとするしかないってのも歯がゆいな」
日向と日影が『太陽の牙』に炎を灯し、北園も両手に火の玉を発生させ、九重に近づける。周囲がどんどん暖かくなっていくのが感じられる。
「本堂くんは自分と心臓マッサージを代わってくれ。自分は九重さんに人工呼吸を行う。心肺蘇生の二人法は知っているね?」
「ええ、もちろんです」
「さすが! よし、それじゃあ自分に合わせてくれ」
本堂と心臓マッサージを代わった狭山は、人工呼吸用のシート越しに九重に人工呼吸を始める。……しかし、やはり九重の意識は回復しない。
日向は九重の身体を診てみる。
九重の傷自体は、既に塞がっている。
北園が治したのだろう。
だがそれでも、九重は危険な状態にあるという。
「すでに傷は塞がっているのに、意識は回復しないのか……」
「……私の治癒能力は、傷を治すことはできるけど、それだけ。失った血液や体力、そして命までは回復できない……」
「く……これはもう、シャオランくんがどれだけ早く戻って来てくれるかが鍵だな。一秒ごとに九重さんの蘇生確率が下がっていく……。うーむ、なぜよりによってこんな時に、通信車からAEDを持ち出さなかったのか……」
「な、何か他に手は無いんですか? 本堂さんの電気をAEDの代わりにするとか……」
「え?」
日向の言葉を聞いた狭山が、素っ頓狂な声を上げて日向に向き直る。
見れば、本堂も同じく、目を丸くして日向を見つめている。
「あ、あーいや、その、そんなことが出来ればいいなって思っただけで……医療的に無理なのは重々承知してますので、素人が口出しして申し訳ございませんというか……」
「「それだ。」」
「……はい?」
すると、本堂が急いで九重の上着を脱がせ始める。
狭山はバッグから新しいタオルを取り出し、九重の身体をもう一度拭き始める。
「ちょ、マジでやるんですか!? 冗談……じゃないけど、ただの希望的観測ですよ!?」
「マジでやるよ。一パーセントでも蘇生確率が上がるのならば、ね。……本堂くん、AEDについての知識は大丈夫かい?」
「ええ。胸の左上と右下に、電圧1200ボルト、電流30アンペア、これくらいなら俺でもいけます」
「さすが! さて、じゃあさっそくやってみようか……!」
狭山の言葉に頷き、本堂は九重の胸の左上と右下に手を当てる。
電流を流す直前、本堂は静かに九重に語り掛けた。
「九重さん。あなたは先ほど『自分のことは放っておいてくれ』と言ってましたね。しかし、自分はこれでも医者を目指す身でして。まだ医大にも通えていない未熟者ですが、それでも医者を代表して言わせてもらいますよ。
……医者の前で、そう簡単に命を捨てないでもらおうか……!」
その言葉と共に、本堂は九重の身体に、両手から電気を撃ち込んだ。九重の身体がビクンと跳ね上がる。
「……む……ここは……」
そして、九重がゆっくりと目を開けた。
「せ、成功した……!」
日向の言葉が社の中に響く。
それを聞いて、皆の中に実感が湧いてくる。
無事に終わったのだという実感が。
「よ……良かったぁ~」
北園がへなへなとその場に座り込む。
他の皆も、それぞれバタリと座り込んだり、大きく息を吐いている者がほとんどで、誰一人として飛び跳ねて喜ぶ者はいない。もはや、それだけの気力が無かったのだ。ここまでを含めて、今回の戦いは、本当に険しく、厳しいものであった。
◆ ◆ ◆
「この度は、本当にお世話になりました」
そう言って、九重が狭山に頭を下げた。
その九重の後ろには、九尾のスイゲツが佇んでいる。
ここは九重の家の前。
空は既に夕焼けの色に染まり、周囲には狭山が呼んだマモノ対策室の人間たちがあちこちを調べている。ボロボロにしてしまった九重の庭や山の上の神社、激流に晒され続けたダムなどの修繕を担当する者たちだ。
ボロボロになった通信車は、後日レッカー車で回収する予定だ。今日の狭山たちは、マモノ対策室が用意してくれた新しい車に乗って帰る。九重たちは、その見送りだ。
ちなみに、既に日向たちはワゴン車に乗って、ほとんどが疲れ果てて眠っている。起きているのは、助手席に座っている本堂だけだ。
「……しかし狭山さんや、ここまでやってしまって、我々にお咎め無しというのは、本当に大丈夫なのでしょうか……?」
「ええ、良いんですよ。なぜなら、ライコたちが襲った企業の人間たちは皆、無事に生きているからです」
「……はい?」
その言葉に、九重は目を丸くする。
彼はライコに襲われた企業の人間たちが、死んだものと信じて疑っていなかった。
狭山曰く。
あの時、ライコに襲われて逃げ出した三人は、山の中でライコとフウビに追い詰められてしまった。……しかしその時、水色の狐が現れて、ライコとフウビを止めてくれたらしい。
その後、彼らはその日の夜に何とか下の町まで辿り着き、そこで保護されていたのだ。つまり、結果としてだが、スイゲツたちは誰一人として殺してはいない。
保護された彼らは現在、下の町の自失状態に陥っており、事情が聴取されるのが遅れたのだ。
「その報告を受けたのは、自分もつい先ほどのことでしてね。……やはりあの三狐の中で、スイゲツだけは自由派のマモノだったのでしょうね」
「スイゲツ、お前……」
「コン。」
目を丸くしてスイゲツを見つめる九重老人。
そんな九重に、スイゲツは短く鳴いて返事をした。
「……しかし、企業の方々が無事だというのなら、彼らに危害を加えた我々を訴えてきてもおかしくはありません。やはり、この地でこれからも平和に、というのは……」
「ああ、その点についても恐らく問題ありませんよ。あの企業は無理な営業を頻繁に繰り返していたらしく、問題が多い会社のようです。ほどなくトラブルが発生して、もうあなた方の相手をする余裕など無くなると思います」
「は、はい? なんでそんなことを知っているのですか……?」
「ふふふ。こればっかりは企業秘密とさせていただきたいですね」
そう言うと狭山は九重に別れを告げて、ワゴン車へと乗り込む。
そしてアクセルを踏み、九重の家を後にした。
ワゴン車の車内で、狭山はハンドルを切りながら、唯一起きている隣の席の本堂に話しかける。
「今日はお疲れ様、本堂くん。最後の電気ショック、君がいてくれて本当に助かったよ」
「礼なら日向に言ってください。俺は既存の蘇生治療のことばかり考えていて、あんな発想は出来ませんでした」
「たしかに、自分としても盲点だったね。あの時は切羽詰まって慌てていたとはいえ、最後は日向くんにお株を取られてしまったかな」
「……しかし、俺のこの能力が、こんな形で役に立つとは。これなら、こんな能力を手に入れてしまったのも、少しは悪くないと思えます」
「ふむ……その言い方、本堂くんは自分の能力が好きじゃないのかな?」
「正直に言うと、嫌いです。これのせいで、昔は苦労しましたから……おっと、今のは他の皆には黙っておいてください。俺の心の内を知られて、遠慮はされたくないので」
「なるほどね……。本堂くんも無理ばかりせずに、たまには自分たち大人を頼っておくれ」
「俺が、無理を?」
「うん。なにせ、君は『予知夢の五人』の中で断トツの最年長、そして唯一成人している。それを意識しているのか、君は他の仲間四人と行動を共にするとき、より大人らしく振舞っているように見えるんだ」
「む……」
「最近はフリーダムな一面が目立ちがちだけど、本来の君は義理堅く、責任感のある性格だということを、自分はちゃんと覚えているからね。21歳だって自分から見ればまだまだ若者。もっと他者を頼って良いんだよ」
「……やれやれ。本当に、貴方には敵わないな」
「はは。誉め言葉として受け取らせてもらうよ」
本堂との会話を終えると、車内に静寂が訪れる。
その静寂によって、後部座席の四人の寝息が聞こえてくる。
一番後ろの座席では、シャオランと日影が盛大に眠りこけている。
そして、真ん中の座席では日向と北園が寝ている。
北園はなぜか日向に寄りかかる形で眠っている。
その表情はとても幸せそうだ。
一方の日向は深い眠りに落ちていて、北園のぬくもりには気付いていないらしい。起きていれば、さぞ大騒ぎしていたであろう。
「ふふ、気持ちよさそうに眠っているね。どうか、良い夢を見ていますように」
そんな若者たちの寝息を聞いて、狭山は優しく微笑み、そして呟いた。
後日。
例の、九重に圧力をかけていた企業は、狭山の予告通り、別件のトラブルが浮上し、経営危機に陥った。これによって、九重が住んでいる山をゴルフ場に改装する計画も、やがて自然消滅した。




