第149話 狭山スペシャル
5月に入り、ゴールデンウィークが始まった。
ここはマモノ対策室十字市支部。
リビングには、日向たち予知夢の五人に狭山、そして的井まで集まっている。
日向がスマホのゲームで遊び、北園がそれを眺めている。
本堂はテーブルに向かって勉強をしている。
日影とシャオランはダンベル上げで競っているようだ。当然シャオランが勝っている。
その傍らで、狭山は慌ただしく動いていた。
「これが人件費……それでこっちが装備費用か……。国からの予算はどうなっている? ……これはひどい。これでどうやってやりくりしろというのだろう。まぁでもやってみせましょう。それが仕事だからね。それでこっちは……なるほど、桜山にてブラックマウントが出現か。これは空自に頼んで、戦闘機で吹き飛ばしてもらうか」
「狭山さん。本部エージェントの南さんが有給休暇を申請してきました。第一子のご誕生が近いそうで」
「この時期にかー。なかなかキツイことをしてくれるお子さんだ。まぁ仕方ない。好きなだけ休みなさいと伝えておいて」
「わかりました」
「えーとそれで、北海道で『星の牙』が出現、だったか。ここには馬場班を当てよう。彼らの実力なら、そろそろ『星の牙』を任せても大丈夫なはずだ。……お、松葉班が作戦を成功させたみたいだね。これで彼らの討伐数は22体か。いや、流石だね」
「狭山さん。南さんに連絡したところ、『二日ほどで大丈夫です、ピンポイントで当ててみせます』とのことです」
「ダメ! 余裕を持って二週間は休みなさい! ……って伝えておいて」
「分かりました」
「フランスじゃあ男性はそれくらいの産休を取るのが法律で決められているというのに、日本は仕事を休むことに厳しすぎるきらいがあるのは悲しいことだねぇ。自分も休みたいなー」
「はいコレ、今度のUNAMaCの定例会議の資料です。目を通しておいてくださいね」(紙の山がドン!と置かれる)
「おおぉう……なんと容赦が無い……」
資料やタブレットを交互に見ながら、ときおり的井に指示を飛ばす。
若者である日向たちが見ても一発で分かる、激務に追われている大人の姿だ。
「タフだよなぁ狭山さん。いっつもあんな感じだもん」
「だよねー。デスクワークが中心のハズなのに、一体どこから来るんだろうね、あの体力」
そんな狭山を眺めながら、日向と北園が呟く。
それを聞いていたのか、狭山が二人の方を向いた。
「おや? 気になるかい? 自分の体力の源が」
「え? 何か秘密があるんですか?」
「あるよ。見たいかい?」
「見たい見たい!」
「よろしい。ではちょっと待っててくれ」
北園の声を受け、狭山はリビングを飛び出した。
その傍らで、的井が二人を見つめている。
そして、重々しく口を開いた。
「あなたたち……なんてことを……」
「的井さん?」
見ると、的井の表情がかなりひどい。
普段クールな彼女からは想像もつかない、この世全ての絶望を前にしたかのような表情である。控えめに言って絶望のあまり死にそう。
「どうしたんですか、的井さん? 俺たち、何か変なことを言いました?」
「今に分かるわ……。あなたたちはきっと、自分たちの言葉を後悔する」
「………?」
日向と北園は、お互いに顔を見合わせ、首を傾げた。
やがて、狭山がリビングに戻ってきた。
的井の尋常でない様子を察知して、本堂とシャオラン、そして日影も集まっている。
狭山は日向たちが集まるテーブルの上に、あるものを置いた。
「お待たせ! これが自分の元気の源だよ」
「これは……」
テーブルに置かれたそれは、グラスに入った何かの液体だ。
……いや、液体、なのだろうか。
灰色で妙に濁ったソレは、ひどくドロドロしていて重量感がある。
というか、ヘドロだ。見てくれは完全にヘドロそのものだ。
「あの……これは……いや本当に何なんですこれ……」
「自分が作った健康飲料だよ。通称『狭山スペシャル』。これ一杯で三日分のエネルギーが補給できる優れものだ」
「の、飲むんですか!? これを!?」
「飲むよ?」
言うと、狭山は日向の目の前で、そのヘドロめいた何かを飲んでみせた。重々しいグロテスクな液体が狭山の口へと流れていく。そして、あっという間に飲み干してしまった。
「……ふぅ、ごちそうさま」
「本当に飲んだ……」
「どうだい? まだあるから、君たちも飲んでみるかい?」
そう言った瞬間、的井が狭山に接近し……。
「ふんっ!」
「ぐふぅ!?」
狭山の身体に拳を叩きつけた。
一見、ぶっきらぼうに、ともすれば投げやりに放ったように見えたその拳は、しかし狭山の身体をくの字に曲げた。狭山は後ずさって壁に激突する。
「システマだ!」
日向は叫んだ。
隣にいる北園が首を傾げる。
「システマ?」
「ロシア発祥の特殊な格闘技だよ。あのパンチの打ち方は間違いない。ゲームで見たことある」
「イテテ……的井さんはシステマの達人なんだ……よく分かったね日向くん……」
的井に殴られた腹を抑えながら、狭山は立ち上がる。
そんな狭山に向かって、的井は叫んだ。
「狭山さん! 未来ある若者にそんなもの飲ませようとしないでください! 死んでしまったらどうするんですか!」
「え、ちょ、的井さん? 死んでしまうって一体?」
「日向くん。この人はね、味覚が普通の人と違うのよ。人が不味いと思うものさえ美味しいと感じてしまうの。いや、不味いものほど美味しく感じている節さえある。だから作る料理もとにかくひどいわ」
「え!? そうなんですか!?」
「……まぁ、自分の味覚が人間と違うのは否定しないよ。異常と感じたことは一度も無いけどね」
自嘲気味に語る狭山。
その会話を聞いて、横から日影が話しかけてくる。
「けどよ、バレンタインデーの時のチョコは普通に美味かったじゃねぇか。それでもアンタ料理下手なのか?」
「人間の舌に合わせて、本のレシピ通りに作れば美味しくできるよ。自分の味覚に合わせようとすると大変なことになる。周りが」
「な……なるほど……」
納得がいったのか、それとも諦めがいったのか、日影は会話を切り上げた。
今度は日向が的井に話しかける。
「……的井さんは、さっきのドリンクを飲んだことがあるんですか?」
「ええ、あるわ」
「どんな味でした?」
「そうね……たとえば、タイムマシンで一度だけ過去に戻れるとしたら、あの時あのドリンクを飲んでみようと思った自分を殺しに行くわ。今でもあのひどい味が舌に焼き付いてるんだもの」
「そ……壮絶だ……」
飲めば自分殺しを決意させられるほどの威力を持ったドリンク。
聞けば聞くほど、その味の危険性が伝わってくる。
……そして、その危険性にあえて挑戦しようとするのも、また人間の性である。
「よお、一度みんなで飲んでみねぇか? その殺人ドリンクを」
そう言い出したのは日影だ。
いわゆる怖いもの見たさというやつである。
他の三人も妙に乗り気だ。
「面白そうかも! 私さんせーい!」
「そうだな。ここまで言われると逆に興味が湧く」
「健康飲料なんだよね? 飲んだら身長大きくなったりしないかな……!」
そんな中、乗り気でない人物が一人いた。
日向である。
「俺は絶対止めといたほうがいいと思うけどなぁ……。的井さんがここまで言うんだよ? 俺はやめとく」
「ちっ、逃げやがったなヘタレめ」
「ヘタレで結構。君子危うきに近寄らず、だ」
二人が言い合っていると、狭山が例のドリンクを大量に持ってきた。
テーブルの上にヘドロが並べられていく。
「話はまとまったかい? あるだけ持ってきたよ」
並んだドリンクを見て、的井の顔色がみるみるうちに青くなっていく。
「じ……地獄絵図……! ごめんなさい、気持ち悪くなってきました、私は退出しますね」
そう言うと、逃げるようにリビングを出ていってしまった。
その様子を見て日向は「あ、これ絶対ヤバいやつだ」と確信した。
五人に向かって、狭山が声をかけてくる。
「……さて、一番手は誰が行くかい?」
「……よっしゃ、オレが行くぜ。言い出しっぺだしな」
そう言うと日影が前に出て、ドリンクを手に取った。
かくして、予知夢の五人と最凶ドリンクの戦いが始まった。




