第99話 バレンタインデー
十字高校にて。
今日は2月14日。バレンタインデー。
「興味ないね」
日下部日向は呟いた。
この少年、生まれてこの方、女子からチョコレートなど貰ったことはもちろん、贈り物など何一つ貰ったことは無い。
2月のひんやりした風をその身に受けながら、日向は自転車を停めて教室へと向かう。
「ヒューガ、おはよー!」
そんな日向の元へシャオランがやって来た。
先日まで日向に負い目を感じていたシャオランも、今ではすっかり元通りだ。
「おはよ、シャオラン。きっとリンファさんからチョコ貰ったんだろ? 爆ぜて、シャオラン」
「もらってないよ? むしろ、ボクがリンファにあげないといけない」
「へ? なんで?」
「バレンタインデーって、男性が女性に贈り物をする日でしょ?」
「えっ」
「え?」
何やらこちらと向こうでは事情が違うらしい。
そう思い日向が話を聞いたところ、どうやら中国のバレンタインではそうするようだ。男性が、恋人の女性にプレゼントを贈る日、それが中国のバレンタインデーなのだ。ちなみに、贈り物はチョコの他に、花束や化粧品なども選ばれるのだとか。
「リンファがプレゼント寄越せってうるさいから、ボクも色々考えてるんだ」
「そういえば、イギリスのバレンタインでも男から女へプレゼントを渡すって聞いたなぁ。もしかして、日本が特殊なのか……?」
「どうだろう? それより、ヒューガは何かいい考えは無い? 変なもの渡したらビンタ食らわせるって脅されてるんだ……」
「かわいそうに……」
会話を続けているうちに、二人は教室に到着する。
日向が席に座ると、待ってましたとばかりに、北園が駆け寄ってくる。
「日向くん、おはよー」
「おはよ、北園さん。何か用?」
「ふふふー。はいコレ!」
そう言って北園が差し出してきたのは、一枚の板チョコ。
「……まさか、俺にこれを……?」
「そーだよ。バレンタインデーだからねー。嬉しい?」
「感動で言葉が見つからない……」
「おー。一枚百円の板チョコでそこまで喜んでもらえるなんて、買ってきた甲斐があったなぁ」
初めて女子から貰ったチョコレート。
震える手でそれを口へと運ぶ日向。
舌の上で踊る甘味に思わず顔がほころぶ。
世界で一番おいしい百円チョコレートだと感じた。
「……美味い」
「でしょ?」
「北園さん」
「んー?」
「ありがとね」
「どーいたしまして!」
と、ここで北園がシャオランとリンファを発見し、二人に駆け寄っていく。
「シャオランくん! リンファ! チョコレートあげるよ!」
「わ、良いの? ありがとうキタゾノ!」
「あら、ありがとう。日本では友達同士でもチョコを渡すのよね。アタシも持って来れば良かった」
それを見た日向は一言、
「……友チョコだったかぁ。まあ、そうだよね」
と、呟いた。
◆ ◆ ◆
それから、授業の合間の休み時間にて。
「おう、日向。チョコ貰った?」
そう言って日向に声をかけてきたのは、別のクラスの友人、田中剛志だった。
「お、田中。そっちは……結構貰ってるな。モテるという噂は本当だったか」
田中は両手いっぱいにチョコを持っている。
もしかしなくてもバレンタインの贈り物なのだろう。
「はっはっは。いやーモテる男はつらいねぇ! 何がつらいって、ホワイトデーのお返しが総額いくらになるのか想像がつかないのがつらい! 今月、ゲーム買っておこづかいがピンチなんだけどねぇ!」
「割と切実なつらさだな……」
「まぁあれだな。嬉しい悲鳴ってやつだな。で、そっちはどうだった? 今年もゼロか? かわいそうな奴め、そろそろ俺が友チョコでも買って……」
「舐めんな、一枚貰ったぞ」
「え!? マジか! やったじゃねえか! 誰からだ!?」
そこで日向は「しまった」と思った。
日向がチョコを貰った相手である北園は、田中が惚れている女子だったということを忘れていた。
(やべぇ。ここで「北園さんから貰った」なんて言おうものなら絶対面倒くさくなる。繰り返す、絶対面倒くさくなる。なんとか誤魔化さねば……!)
「どうした日向? 黙り込んで」
「…………。」
「おーい日向? 誰から貰ったんだー?」
「…………母さんから?」
「おま、まさかの母チョコかよ……。それをカウントに入れるなんて……やっぱり俺がチョコ買ってやるから、それをカウントしろよ、な……?」
「いや、いい。いいから、これ以上何も聞かずに放っておいてくれ、頼むから」
「お、おう、そうするよ……」
面倒くさい展開は回避できたが、代わりに何か大切なものが犠牲になった気がした日向であった。
◆ ◆ ◆
時刻は正午。
こちらは狭山や日影が住む家、マモノ対策室十字市支部。
「何してるんだアンタ?」
日影が怪訝な声を上げる。
その疑問を向けられた相手は、マモノ対策室室長の狭山誠だ。
台所に立って、何やら濃い茶色の液体をかき混ぜている。
「いやなに、チョコをプレゼントしてくれる友達がいないであろう日影くんのために、一つ自分がチョコレートを作ってあげようと思ってね」
「このヤロ、余計なお世話だ」
「おやおや、良いのかい? チョコをもらえないバレンタインデーって、寂しいものだよ?」
「うるせ、お前は仕事しろ仕事」
「今は休憩時間だよ。休憩だって立派な仕事だからね」
「クソが、ああ言えばこう言う……」
「……けどまぁ、確かに自分が作らなくとも、北園さんとかなら友チョコを用意してたかもね」
「北園からの友チョコ……」
「おや? 興味アリかな?」
「……けっ。何も期待なんかしちゃいねぇよ」
二人がそんなやり取りを交わしていると、狭山の部下、的井美穂がリビングへと入ってきた。デパートからの買い物帰りである。
「ただいま帰りました。必要な物資は全て集まりましたよ。あとコレ、おみやげです」
そう言って的井がテーブルの上に置いたのは、チョコレートの詰め合わせだ。
「世間ではバレンタインデーらしいですからね。お二人とも、どうぞ」
「おお、ナイスだぜ的井! ……どーよ、狭山。チョコのプレゼント貰ったぜ?」
「良いのかい的井さんで? 歳が離れすぎじゃあないかい?」
「日影くん、チョコ全部食べていいわよ。狭山さんは私が抑えるから」
「あ、しまった!? 違うんだ的井さん、今のはちょっとした言葉のあやで……」
(あーあ、自爆しやがった。女性は年齢に触れられると怖くなる。オレ知ってる)
ちなみに、北園は日影の分のチョコもしっかり用意していた。
後日、日影は北園からチョコを貰い、照れくさそうにしていたとか。
「……ところで狭山さん。台所で一体何をしてたんですか?」
的井が狭山に尋ねる。
「え? ああ、ちょっと日影くんのためにチョコレートを作っててね。あ、もちろん的井さんの分もあるよ。食べるかい?」
「……あの、それは、ちゃんとレシピ通りに作っていますか……?」
「もちろんだとも。他人に出す料理はちゃんとレシピ通りに作るさ」
「だったら良いのですが……」
的井は知っていた。
この男に、好きに料理を作らせると、大変なことになるということを。
◆ ◆ ◆
夕方、本堂兄妹の家にて。
本堂仁は迫る二次試験に向けて、最後の追い込みをかけているところだ。
と、そこへ……。
「お兄ちゃん? いる?」
本堂の部屋に、妹の舞がやって来た。
「どうした? 何か用か?」
「うん。今日はバレンタインデーでしょ? だから、チョコを用意したの」
「ほお。それは嬉しいな。いただくよ」
「うん。はいコレ」
そう言って舞は包み箱を渡してきた。
「ふむ、結構本格的じゃないか。ラッピングまでして……。気になる男子にでも渡してやれば良かっただろうに」
「良いの良いの。ソレは、お兄ちゃんに食べてほしかったから。手作りなんだよソレ」
「そうか。さて、どんなチョコか……」
本堂が箱のフタを開けると……。
「こ、これは……」
そこにあったのは、何やら珍妙なチョコだった。
綺麗な焦げ茶色のチョコレートに、何やら味噌のような色のドロリとしたものがかかっている。
本堂は、臭いでその味噌色の何かの正体に気付いた。
これは、ぬかみそだ。
「あははははは! どう? 舞ちゃん特性、チョコのぬか炊きよ! 日頃ぬか炊きばかり作らされている私の恨みを込めて作っちゃいました! そんなにぬか炊きが好きならチョコもぬか炊きにしちゃえばいいじゃない! さぁ観念したかお兄ちゃん!」
無表情でチョコを眺める兄を見て、腹を抱えて爆笑する妹。
そして兄は……。
「いただきます」
そう言って、チョコをパクリと一口。
「……え? あれ? あれっ?」
呆気に取られる妹。
「美味いぞ」
「………あ、ハイ、さようでございますか……」
自身の想像を絶する兄のぬか炊きジャンキーぶりに、開いた口が塞がらない舞であった。




