第98話 陰陽思想
リンファとシャオランが住む家にて。
リンファは夕食の準備をしていた。
いかにも中華娘な風貌のリンファであるが、料理の腕は素晴らしいもので、ジャンルも和洋中なんでもいける。
今夜は和食中心の献立である。
焼き魚に白飯、漬け物、山菜、味噌汁と、まさに日本の食卓そのものだ。
が、そこにシャオランの好物である肉まんを追加する。
純和風のメニューに突如コッテコテの中華料理が追加されたその構図は「江戸の街並みにいきなり現れた横浜中華街」と言えばそのシュールさが伝わるだろうか。
「さて、準備完了~。それにしてもシャオシャオ遅いわね……。早く帰ってくるように連絡入れようかしら」
シャオランのために晩ご飯を作り、風呂の準備をし、「まだ帰らない? 遅くなる?」とスマホにメッセージを送るリンファ。これはもはや、夫婦でなければ何なのか、と言わんばかりの新妻ぶりである。
と、そこで玄関の戸が開く音が聞こえた。
「あ、シャオシャオ帰ってきたのかしら」
リンファは、急いで玄関へと向かう。
「遅いじゃないシャオシャオ! 一体どこをほっつき歩いて―――」
玄関に向かい、シャオランを叱りつけるリンファ。
しかしそこにいたのは日下部日向と、その日向に背負われる、ボロボロになったシャオラン。リンファの怒り声は、一瞬で止まってしまった。
「あ、リンファ……。えっと、ただいま……」
「お……お邪魔します……疲れた……シャオラン重い……」
日向はシャオランを玄関に下ろすと、ヘロヘロになって倒れた。
リンファは、玄関に座るシャオランに駆け寄り、声をかける。
「ちょっとシャオシャオ、どうしたの!? 酷い怪我じゃない!?」
「えっと、ちょっとマモノと闘り合って……」
「だからってそんなボロボロになるまで……。と、とにかく待ってて! 布団敷いて、包帯持ってくるから! あ、あと狭山さんも呼んだ方が良いのかな!? それと日向は大丈夫なの!?」
ややパニックになりつつも、リンファは日向に声をかける。
「ぜー……。ぜー……。」
日向はさっきからゼェゼェと息を切らせて動かない。
ずっしりと重いシャオランを、裏山からここまで背負って歩いてきたのだ。その消耗は測り知れない。オマケに日向は、元より体力が無い。傍から見れば、シャオランより日向の方がよっぽど瀕死の状態だ。
「……シャオシャオ。一応聞くけど、これって日向とアナタ、どっちが重傷なの?」
「えーと、傷の具合で聞かれたなら、ボクかなぁ……いちおう……」
「そ、そうなのね。日向、とりあえず落ち着くまでここで休んでていいわよ」
「た……助かります……膝がプルプルする……」
リンファの言葉を受けた日向は、パタリと床に突っ伏した。
日向の様子を確認したリンファは、再びシャオランに声をかける。
「シャオシャオ、身体は大丈夫なの? 部屋までおんぶしてあげよっか?」
「だ、大丈夫だよ。自分で部屋まで行くよ。それにリンファは女の子だし、悪いよ」
「……そんなこと言われたら、余計におんぶしたくなっちゃうじゃない!」
「なんで?」
「いいから! ほら背中に乗って!」
「わわわ……」
リンファは無理やりシャオランを自身の背に乗せる。
しかし……。
「あ、重っも!? シャオシャオ重っもぉ!? 日向が(体力的に)死んだ理由ってコレ!?」
「失礼だなぁみんな人のことを重い重いって」
「知ってるつもりだったけど、アンタここまで筋肉ダルマだったのね……」
「筋肉ダルマって」
「アンタにピッタリでしょ? ……あ、そうそう、さっき言い忘れてたんだけど……」
「まだ何かあるの……?」
するとリンファは、背中に乗せているシャオランに少し顔を向けると、言った。
「……おかえり」
「……うん。ただいま。遅くなってゴメンね」
「バカ。ご飯出来てるわよ」
「ありがとう。おいしくいただくよ」
やり取りを交わしながら、二人は家の奥へと入っていった。
「……もげろ」
床に突っ伏したまま、日向は小さく呟いた。
◆ ◆ ◆
それから二時間後。
シャオランは、自室の布団で横になっている。リンファから応急手当を受け、食事も取り、身体の調子は大分良くなった。
あとは明日、学校で北園から治癒能力を受ければ、身体は完全に回復するだろう。
と、そこへ……。
「具合はどうだい? シャオランくん」
「あ、サヤマ」
狭山誠がシャオランの部屋へと入ってきた。
「リンファさんから連絡を受けてね。戦闘報告の聴収も兼ねてお見舞いに来たよ。リンファさんが応急手当をしたと聞いて、どこかヘンな場所があったら直してくれ、と彼女から言われてたんだけど、いや見事な処置だ。自分の出る幕はなさそうだね」
「うん。みんなのお陰で、だいぶ落ち着いたよ」
「それは重畳。もし良ければ、さっそく今回の戦いについて聞かせてくれるかな?」
「わ、分かった。えーと……」
シャオランは狭山に、ギンクァンとの戦いを語った。
ついでに、クイーン・アントリアに操られていたワケも。
「……『星の牙』を、素手で? しかも一撃で?」
「うん」
「……シャオランくん、人間卒業おめでとう」
「んーどこかで聞いたなーそれ」
苦笑いするシャオラン。
「それとサヤマ。あの時の言葉なんだけど……」
シャオランが言う「狭山の言葉」とは、クイーン・アントリア戦後に狭山がシャオランに向けて言った「不必要な感情なんて無い。練気法を極めるならば」という言葉だ。
「ボクは、無心に拳を振るうことこそ、己を強くする方法だと思ったんだ。怯えや迷い、高揚感を無くすことこそ、武人として己を高める方法だって……。けれどあの時、ギンクァンが女の子を人質に取った時、ボクの心は怒りに支配された。そしてその結果、『火の練気法』を使うことができてしまった。……あの時のサヤマの言葉は、こういうことだったの?」
「まぁ、そうだね。『練気法』は、言うなれば『呼吸を用いて魂を操作する』技術だ。魂の操作、それはすなわち感情の操作。ならば練気法を極めるにあたって、感情は必要不可欠だ。怯えも迷いも区別なく。特に『火の練気法』の本質は『闘魂の爆発』。君は普段大人しいから、そこまで気を高ぶらせることが無かったのだろう。今回の戦いは、良いきっかけ作りになったのかもね。……けど、君に『あの言葉』をかけたのは、それだけじゃないよ」
狭山は話を続ける。
「光と闇は表裏一体。人間は皆、真面目に生きている一方で、何かしら『闇』を抱え込んでいる。それは『仕事をサボりたい』だったり、『誰かに認めてほしい』だったり、『怖いものから逃げ出したい』だったり……。君が操られた原因である『自分の力に溺れたい』だって同じようなものさ』
「そ、そうかなぁ……?」
「突き詰めれば、そんなものだよ。そして、そういう闇に負けぬよう頑張るからこそ、人間は成長できる。怯え、迷い、怒り、悲しみ、絶望……そういった『闇』は、『人間の成長』のために欠かせないものだ、と自分は考えている」
「たしかに、ボクは『いじめっ子たちを見返したい』と思ったから、ここまで成長できた……」
「もちろん、何も考えず無我夢中で鍛錬を積むことも、成長のための道筋の一つではあるだろう。けれど、無我夢中になるきっかけには、たいてい『光』か『闇』が関わっているものさ」
「つまり、サヤマが最終的にボクに言いたいのは……」
「そうだね、まぁつまり、シャオランくんのちょっと怖がりな性格だって立派な個性なんだから、あまり悲観しないようにね、ってところかな」
「いやでもやっぱりそれについては、いつか克服したいんだけどなぁ……」
「ははは……まぁその時こそ、君が真に成長した証、ということになるんだろうね」
と、ここで会話を一区切りする狭山だったが、何かを思い出したように再び口を開く。
「……あぁ、それと、君が新しく習得した『火の練気法』について、注意することがあるのだけれど……そこは君のお師匠さんから聞いているかな?」
「ええと、たぶんアレだよね? 『練気法は、一度に一種類しか使えない』?」
「そう、それだ」
シャオランが使う『練気法』は、大変便利な能力であるが、実は『一つの練気法を使っている間は、他の種類の練気法を使えない』という弱点がある。これは彼の師、ミオンであっても同様である。
「『火の練気法』は絶大な破壊力を生み出すことができるが、その間は『地の練気法』を解かなければならない。さらに『火の練気法』は、攻撃に使う部位の一点に気を集中させるため、『地の練気法』と違って他の部位を気質で守ることが出来ない。結果、『火の練気法』を使っている間は、防御力が著しく落ちることになる」
「それじゃあ、防御力が落ちているところを狙われたり、カウンターを仕掛けられたりすると危ないよね……。相手を殴った時の反動とかにも注意しないといけないかな……」
「そういうことだね。強力な技だけど、使いどころはしっかり見極めないといけないよ?」
「うん、分かった。……けどサヤマ、さっきから妙に練気法に付いて詳しいよね?」
「あー……実は君のお師匠さんとは昔馴染みでね。練気法についても以前、軽く教えてもらったことがある」
突然のカミングアウト。
狭山と、シャオランの師匠のミオンは知り合い。
ミオンもまた多くが謎に包まれた人物なので、この事実を知ったシャオランは目を輝かせる。
「やっぱり! どおりでボクたちの町で、随分と仲良く話してるなーって思ったんだ」
「おや、アレを聞かれてしまったのかな?」
「ううん。話の内容までは分からなかったよ。何を話してたの?」
「まぁ、他愛のない会話だよ。『久しぶりだね、元気にしてた?』っていう程度の、ね」
「ふーん……」
何やらはぐらかされたような感覚があるが、シャオランはなんとなく、特に追及しなかった。それよりも、狭山と自身の師匠が知り合いであったことに驚いていた。
確かに自分の師匠は妙に顔が広く、謎多き人物であるが、こんなところに繋がりがあるなど、世の中は分からないものである。
「……しかし、ふむ。『光と闇は表裏一体』か……」
狭山がポツリと呟いた。
それは先ほど、シャオランにチラリと伝えた言葉だ。
「どうしたの?」
「いや、日向くんと日影くんの関係について考えていたんだ。あれもまさしく陽と陰。思うに、日向くんの性格が反転したものが日影くんの性格を形作っているのではないかと」
「あー、確かにそんな感じがするよね。あの二人、色々と正反対の性格って感じがする。言葉遣いとか、特に」
「うん。……けど、全くの正反対と言えるかというと、そうでもない気がする」
「そうなの?」
「あくまで自分の感覚だけどね。……結論を出すにはまだ早いかな。もう少し、彼らを観察させてもらうとしよう」
そう語る狭山の表情は、楽しそうというより、子を見守る親のような表情だった。




