第七十一章 百八番目
糸満からの帰り道。夕暮れの海岸沿いを、直人と真琴は歩いていた。
パヤオ漁から戻った漁船が波止場に並んでいる。潮の匂い。エンジンの残響。漁師たちが網を畳む声。
「直人さん」
「ん」
「百八番目の要素——分かりました」
直人は足を止めた。
「照屋真栄さんの話を聞いて、思ったんです。百八番目の要素は、照屋筑登之の物語そのものではなく——照屋筑登之の物語を『聞く』という行為です」
「聞く行為——」
「暗号は解読するものだと思っていました。物証を見つけ、数値を照合し、文字を読み解く。でも照屋家の口伝は、解読では到達できない。沖縄の人間の声を、沖縄の家で、直接聞く。その行為そのものが——暗号の最後の要素です」
直人は海を見つめた。夕日が水平線に沈もうとしている。
「暗号の設計者は、五つの封印を物証として埋め込みました。物証の解読は本土の人間にもできる。でも沖縄の封印だけは——沖縄の人間の声を聞かなければ完成しない。解読ではなく対話。分析ではなく傾聴。それが——第五の封印の核心であり、百八番目です」
「物と声」直人が呟いた。「暗号は物に刻まれている。だが暗号の意味は、声の中にある。照屋筑登之の声。照屋真栄さんの声。そして——百五十年前に声を発することのできなかった、すべての人々の声」
真琴は直人の手を取った。今度は握手ではなかった。指が絡んだ。手のひらが重なった。
「第二部はここで終わりですか」
「ああ。封印の構造が判明したのが第一部。封印を実際に解いたのが第二部。そして第三部は——」
「空白を書く」
「空白を——語る。書くのではなく。声にする」
水平線に太陽の最後の光が沈んだ。
その一瞬——空が緑色に閃いた。グリーンフラッシュ。太陽が水平線に没する最後の刹那に、大気の屈折で緑色の光が走る現象。沖縄の海でまれに見られる。
直人と真琴は、その一瞬の緑を見た。
約束の光のようだった。




