第三十九章 巡幸座標
十月九日。
アメリカの国立公文書館に直接行くことは、時間的にも資金的にも現実的ではなかった。だが、デジタル化が進んでいる米国の公文書は、オンラインでアクセスできるものも多い。
早川が三日間かけて、米国国立公文書館のデジタルアーカイブを検索した。AG-091.3-Aはデジタル化されていなかったが、関連する文書群——GHQ民政局の「皇室関連ファイル」の中に、思いがけないものが見つかった。
昭和天皇の戦後巡幸の記録だった。
昭和天皇は、一九四六年から一九五四年にかけて、全国各地を巡幸した。戦災からの復興を激励する目的で、沖縄を除く全都道府県を訪問した。
沖縄を除く。
GHQのファイルには、巡幸の日程表と訪問先の一覧が含まれていた。各訪問先の座標——緯度と経度が、地図上にプロットされている。GHQが天皇の移動を監視するために作成した資料だ。
早川がこの座標データをAIに入力し、パターン解析をかけた。
結果は驚くべきものだった。
『先輩。巡幸のルートを全部つなぐと、日本列島上に一つの図形が浮かぶんすよ。全訪問先の座標を線で結ぶと——螺旋になる。出雲の螺旋と同じ回転方向。しかも、螺旋の中心が——』
『どこだ。』
『富士山です。また富士山。すべてが富士山に収束する。』
直人は早川の解析結果を画面で確認した。昭和天皇の巡幸ルートが、日本列島の上に巨大な螺旋を描いている。
だが、螺旋には欠損があった。沖縄が含まれていないため、螺旋の南端が途切れている。
「沖縄がないから、螺旋が完成しない」
「ですね。で、もう一個。巡幸の訪問先のうち、二重和紙の五点座標と重なる場所が四つある。東京(皇居)、伊勢(伊勢神宮)、京都(京都御所)、出雲(出雲大社)。いずれも巡幸で訪問されている。だが沖縄は——」
「巡幸の対象外だった」
「昭和天皇は沖縄を訪問できなかった。沖縄はアメリカの施政権下にあったから。そして昭和天皇は崩御まで、ついに沖縄を訪れることができなかった」
直人は黙った。
暗号の設計者が五点目に沖縄を選んだのは、明治初期だ。その時点で、八十年後の戦争も、沖縄の米軍統治も、昭和天皇の巡幸も予見できたはずがない。
だが——結果として、暗号の構造と歴史の現実が、恐ろしいほど重なっている。
五つの封印のうち、沖縄だけが「断絶」を示している。そして歴史の中で、沖縄だけが天皇の巡幸から除外された。暗号が予言したのではない。暗号が指摘した「断絶」の構造が、歴史の中で繰り返し現実化したのだ。
「もう一つあるんすけど」早川が言った。
「巡幸の座標データに、不自然な点があります。各訪問先の座標は、GHQが記録したものですが——三箇所だけ、座標の精度が異常に高いんすよ。他の訪問先は緯度経度の秒単位まで。でも伊勢、京都、出雲の三箇所だけ、秒の小数点以下二桁まで記録されている」
「精度を上げる必要があったということか」
「いや、逆っす。精度を上げた結果——この三箇所の座標が、二重和紙の座標と完全に一致するんすよ。つまり、GHQの記録者は、巡幸の座標を記録する際に、意図的にこの三箇所だけ精度を上げて、暗号の座標と一致させた」
「GHQの中に——暗号を知っている人間がいた」
「川村啓一郎。あるいはその協力者。GHQ文書を改変した人物と同一かもしれません」
直人はカフェの窓から外を見た。十月の東京。街路樹が色づき始めている。
暗号は明治初期に設計された。だが、その後も——大正、昭和、戦後——暗号を知る人間が世代を超えて存在し、歴史の要所要所で暗号に新たな層を加えていた。
巡幸の座標。GHQ文書の改変。沖縄の排除。
暗号は百五十年前に完成していたのではない。百五十年間、成長し続けていたのだ。




