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第五十九章 師匠  

十月三十日。鎌倉。

 海に近い古い日本家屋。庭に修復用の工房が建てられている。七十八歳の永田修造は、工房の中で鎌倉時代の阿弥陀如来の右手を修復していた。

 仏像の指先——親指と人差し指が欠損しており、永田が漆と木粉の混合物で慎重に再建を進めている。直人が工房の入口に立つと、永田は手を止めずに言った。

「靴を脱いで上がれ。茶は棚の急須にある」

 直人は靴を脱ぎ、工房に入った。木の香りと漆の匂い。修復の匂いだ。

 永田は仏像の指先にヘラで混合物を盛りつけながら、直人の方を見もせずに言った。

「話は電話で聞いた。首里城だな」

「はい。先生のお力を借りたいのです」

「力か。七十八の爺さんにどんな力がある」

「先生の紹介状と名前があれば、沖縄の復元現場に入れます。先生は首里城の漆器修復に関わったことがおありだと」

 永田の手が止まった。ヘラを置き、老眼鏡を外して直人を見た。

「直人。お前に聞く。修復士の仕事は何だ」

「過去の遺物を、未来に読める形に整えることです」

 永田の目が、わずかに開いた。修復士としての三十年の経験が刻まれた目。厳しさと慈しみが同居する目。

「……お前、変わったな」

「何がですか」

「十年前にこの工房に入ってきたとき、同じ質問をした。お前は何と答えた」

「——『壊れたものを元に戻すことです』と」

「ああ。俺はそれを聞いて、まあ合格だと思った。修復の入口としては正しい。だが——」

 永田は仏像の欠損した指先を見つめた。

「この仏像の指は、七百年前に彫られた。途中で欠けた。俺が今やっていることは——七百年前の指を復元することか。違うな。七百年前の職人の意図を読み取り、欠損を補い、次の七百年のために仕上げることだ。元に戻すのではなく——先に進めるんだ」

「先に進める——」

「お前が言った『未来に読める形に整える』。それは正しい。だが、もっと正確に言えば——修復士は橋だ。過去と未来を繋ぐ橋。橋は過去の側にも未来の側にも属さない。橋は橋として、両方を支える」

 永田は老眼鏡をかけ直し、仏像に向き直った。

「首里城の件は、知り合いに当たってみる。沖縄県の文化財課に教え子がいる。比嘉という男だ。真面目な男でな。首里城の復元に命をかけとる」

「ありがとうございます」

「ただし、条件がある」

「何ですか」

「俺も行く」

「先生が?」

「七十八の爺さんが洞窟に潜るのは無理だが、復元現場の視察くらいはできる。名目は——漆工芸品の修復技法に関する専門家視察。首里城の復元には漆工芸が不可欠だからな。正当な理由だ」

「それに——お前が見つけたものが本物なら、俺の目で確認したい。修復士として」

 直人は頭を下げた。

「もう一つ」永田が付け加えた。「聞いておく。お前が追っているその暗号。それは、誰のためのものだ」

「設計者は——次の世代のために残しました。未完のまま、次の世代に渡すために」

「次の世代か」

 永田は仏像を見つめた。

「この阿弥陀如来は、七百年の間に三度修復されとる。俺の前に三人の修復士が手を入れた。それぞれの時代の技法で、それぞれの判断で。俺は四人目だ。そして俺の後にも、誰かが手を入れる。修復はな、直人——一人で完成させるものじゃない。何世代もかけて続く仕事だ。お前の暗号も、同じかもしれんな」

「はい」

「なら——行け。対話を途切れさせるな」

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