第三十八章 インク差
直人はマイクロフィルムの画像を高精細で撮影し、早川に送信した。
同時に、真琴に連絡を取った。真琴は書陵部に戻り、通常業務をこなしながら内部調査を続けている。
『GHQ文書AG-091.3に改変の痕跡がある。書き込みの署名は「K」。書陵部の記録で、戦後GHQとの連絡に関わった人物に「K」のイニシャルを持つ者はいるか。』
真琴の返信は三時間後に来た。
『調べました。戦後、GHQの民政局と宮内省の間で連絡役を務めた人物がいます。川村啓一郎。宮内省式部官。イニシャルはK.K.。この人物が「K」である可能性があります。ただし——川村啓一郎は、昭和二十三年に急死しています。死因は心不全と記録されていますが、詳細は不明です。』
急死。
GHQ文書の改変に関与した人物が、改変の二年後に急死している。偶然か、それとも——
直人は国会図書館の閲覧室を出て、近くのカフェに入った。早川からのメッセージが来ていた。
『先輩。GHQ文書の画像解析やりました。インクの話をしますね。』
『文書の本文は、タイプライター打ちです。これは一九四六年当時のGHQの標準的な事務処理。使用されたインクリボンは、スペクトル分析からカーボンブラック系のインク。時代と一致。問題ないっす。』
『でも、三ページ目の一部——選択肢Bの推奨理由の段落だけ、インクの成分が微妙に違うんすよ。同じカーボンブラック系だけど、バインダー成分の比率が異なる。つまり、この段落だけ別のインクリボンで打ち直されている。』
直人はカフェのテーブルに肘をついた。
『つまり——選択肢Bの推奨理由は、後から差し替えられている。』
『ですね。原本には別の理由が書かれていたのを、誰かが差し替えた。しかもタイプライターの機種は同じGHQ標準のレミントン・ランド。つまりGHQの内部で、GHQの機材を使って改変が行われた。外部犯じゃない。内部犯です。』
『川村啓一郎——宮内省の連絡役が、GHQ内部に出入りできる立場を利用して改変した可能性がある。』
『あるいは、川村の協力者がGHQ内部にいた。日系の通訳や事務官が多数雇用されていた時期です。彼らの中に——更新派か維持派の関係者がいてもおかしくない。』
直人はコーヒーを飲んだ。冷めていた。
GHQ文書の改変。インクの差異。消された理由文。
選択肢Bの推奨理由——改変前の原本には、何が書かれていたのか。
そして原本は「別途保管」されている。どこに。
直人はもう一つのメッセージを早川に送った。
『GHQ文書の管理番号AG-091.3の関連文書を検索してくれ。同じ番号体系で、関連する付属文書や参考資料が存在するはずだ。特に、AG-091.3に「A」のサフィックスがつく文書——つまりAG-091.3-Aがないか確認しろ。GHQの文書管理体系では、原本と改訂版が別番号で管理される場合がある。』
早川の返信は二十分後。
『AG-091.3-A、ヒットしました。ただし——所在が「National Archives, Washington D.C.」になってます。アメリカの国立公文書館。つまり原本はアメリカに渡ってる。』
アメリカ。
直人はカフェの天井を見上げた。
暗号の糸は、太平洋を越えていた。




