第五十五章 日曜の食卓
十月二十六日。日曜日。
真琴は実家を訪れた。
市川市の住宅街。父が定年退官後に購入した、二階建ての一軒家。庭には祖父が植えた柿の木があり、今年も橙色の実をつけている。
玄関を開けると、靴を脱ぐ間もなく父が廊下に立っていた。
「上がりなさい。茶を入れた」
居間のテーブルに、湯呑みが二つ。母は五年前に他界しており、この家には父一人だ。
真琴は正座した。父も正座した。大蔵省の官僚だった父は、重要な話をするとき必ず正座する。体に染みついた儀礼だ。
「ノートを返しなさい」
「持ってきていません」
父の眉が動いた。
「真琴——」
「父さん。先に聞かせてください。父さんは、祖父の秘密を——どこまで知っているのですか」
父は湯呑みを手に取り、一口飲んだ。それから湯呑みをテーブルに戻し、長い沈黙の後に口を開いた。
「お祖父様が——維持派と呼ばれる組織の一員だったことは知っている」
真琴は息を止めた。
父は知っていた。
「知ったのは、お祖父様が亡くなる半年前だ。病床で、突然話し始めた。国家の中に暗号が埋め込まれていること。明治以来、二つの派閥がその暗号を巡って静かに対峙してきたこと。そして自分がその一方に属していたこと」
「父さんは——維持派を引き継いだのですか」
「いいや」
父の声が、わずかに揺れた。
「引き継がなかった。お祖父様は私に『継げ』とは言わなかった。代わりにこう言った。『お前には向いていない。だが真琴には——もしかしたら』」
真琴の目が見開いた。
「祖父が——私の名前を」
「真琴はまだ大学生だった。お祖父様は、真琴が書陵部に入ることを望んでいた。書陵部に入れば、いずれ巻子に出会うだろうと。お祖父様は——真琴のために、巻子をあの場所に残したんだ」
茶の湯気が、テーブルの上でゆらゆらと立ち昇っている。
「なぜ——今まで黙っていたのですか」
「お祖父様に口止めされたからだ。『真琴が自分で見つけるまで、何も言うな。教えられた真実は力にならない。自分で掴んだ真実だけが、人を動かす』と」
真琴は湯呑みを両手で包んだ。温かい。
「父さんは——私が調査を続けることに反対なのですか」
父は目を伏せた。
「反対だ。——反対だが、止める権利が私にないことも分かっている」
「権利ではなく、心配しているのでしょう」
「当然だ。お前は私の娘だ。——お祖父様は、この秘密のために人生のすべてを費やした。友人を失い、信頼を裏切り、真実を墓場に持っていかなければならなかった。同じことをお前にさせたくない」
「父さん」
真琴は顔を上げた。
「祖父は真実を墓場に持っていった。でも——完全には持っていけなかった。ノートに書き、巻子を残し、私の名前を口にした。祖父は——持っていきたくなかったのだと思います。誰かに渡したかった。だから私に渡した」
父は何も言わなかった。
「ノートは返しません。でも——父さんにお願いがあります」
「何だ」
「祖父が病床で話したこと。維持派のこと。暗号のこと。他に何か——覚えていることはありませんか。どんな小さなことでも」
父は長い間、柿の木を見つめていた。窓から入る秋の光が、父の白髪を銀色に染めている。
「一つだけ、ある」
「何ですか」
「お祖父様が最後に言った言葉だ。意味は分からなかった。だが——お前なら分かるかもしれない」
父は真琴をまっすぐに見た。
「『空白を読め。空白の中に、お前たちの答えがある。空白を恐れるな。空白は——自由だ』」
空白は自由。
真琴の目から涙が溢れた。今度は我慢しなかった。
祖父は——維持派でありながら、最後に更新派の思想に到達していた。空白を守ることが任務だった人間が、空白の中に自由を見た。
父が、不器用にティッシュの箱を差し出した。
「——泣くな。人前で泣くのは九条家の家風に反する」
「家風なんか知りません」
真琴は泣きながら笑った。父も——わずかに、口元を緩めた。




