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7.レテの海


次が最終話となります。


 


「水下サン、いっしょに帰ろうよ」


 いつものようにさあっといなくなる生徒たちの中で、”本物の”心愛だけが残っていた。彼女は、デニムのショートパンツのポケットに手を突っ込んで、くちゃくちゃとガムを噛んでいる。


 声をかけてくれたものの、璃子と心愛のあいだにはなかなか会話が生まれず、気がつくともう校門のあたりまで来ていた。





「あ、あれ」


 心愛が校門の向こう側……こんもりと木が茂っている場所を指さした。


「知ってる? うちの学校の七不思議。血が流れる手洗い場のこと」


 璃子はふるふると首を振った。


「こっち」


 心愛はずんずん進んでいく。

 迷ったが後を追った。茂みのなかにまるで隠されるように、古い手洗い場があった。蝉の声が濃くなった。水道管はすっかりさびついており、ざらざらした茶色いものがこびりついている。


「んー!」


 心愛が力を入れるが、蛇口はぴくりとも動かなかった。


「教頭先生が言ってたんだよね。むかし、ここで殺された女の子がいて。まっ白なワンピースが赤く染まってたんだって。それから蛇口から赤い水が出るようになったんだって。だから、血の蛇口なんて呼ばれててさ。これが、うちの学校の怪談。ほかはよくある話だったよ。トイレの花子さんとか。踊り場の鏡とか……」


「血の蛇口……」


 砂浜で出会った”心愛”が尋ねてきたのは、この怪談のことなのだろうか。


 ぷう、と膨らんだガムの風船が、ぱちんと割れた。


「そ。その話を親になにげなくしたらさ、猛抗議。子どもに変なこと教えないでください!って。うちの親、モンペってゆーの? 変なんだよ。ガチで異常」







 それからぽつりぽつりと互いの話をした。

 心愛の家族は、この島に縁もゆかりもなく、関東から引っ越してきたのだとか。当時はどちらかというと引っ込み思案だった心愛だが、桃乃とのこと、親とのことがあり、ある日とつぜんなにかが切れたのだという。


 学校に行かずに家でネットゲームばかりするようになった。でも、そのおかげで世界が変わったのだという。


「いろんな年代や環境の人としゃべりながらゲームしてたらさ……自分の周りがおかしいかもって気づけたんだよね。親もそうだし。桃乃もね。それまではあたしが悪いんだって思ってた」


 心愛は視線を落とす。


「自分の目だけに頼ると、一直線にしか見えないってゆーか。視野が狭い? みたいな感じ。あとね、学校だけじゃない、あたしの居場所ができてうれしかった。安心した。──でもそれでも、桃乃のせいで傷ついた気持ちが癒えるわけじゃないじゃん? 見た目だけでも強くってがんばった結果がこれ」


 心愛は「強そうでしょ」と、からからと笑った。


「決意してグレてみたんだけど、逆にクラスで浮いちゃっててウケるよね。周りがさ、桃乃の机をどかしはじめたときびっくりした! なんだこれって。……そういうことしたかったわけじゃないんだけど」


 璃子はほっとした。

 あれ(排除)を”指示”したのが心愛だったとしたら、仲良くできないと思ったのだ。


「でもギャル風にしてよかったー。なにも変えずに学校に来るより、ずっとよかったと思うの」


「どうして?」


「んー。武装してるみたいな感じ。見た目を変えたらそれだけで強くなれた気がするんだ!」


 彼女は自信に満ちた強い目をして言った。


 海から生ぬるい風が吹いてきて、ふたりの間を通り抜けていった。

 木の葉がこすれてしゃらしゃらと鈴のように鳴る。それから心愛はこちらに向き直って、声をひそめた。


「桃乃はね、ずくずく様に引きずり込まれたんだよ」











 彼女と別れた帰り道、ずっと考えていた。

 ”心愛”が解放されて、桃乃が取り込まれたということなのだろうか。いや、たぶん違う。


 桃乃の遺体は海辺で見つかったと下級生が話していた。

 いつものように、みんなでボートに乗って、沖まで行かずにゆらゆらと舟遊びをしていた。気づいたら桃乃の姿がなくて。


 璃子は、自分の腕を日に透かすようにして見た。

 両方の腕にあった、くらげのような形をした発疹。そこだけ切り抜かれたみたいに日焼けしていなくて、ざらざらしたかさぶたのような感触だけが残っている。きっともうすぐ消える。


 でも最後に会ったとき、桃乃の様子がおかしくなかっただろうか。

 痒そうにしていた気がするのだ。いつか海ですれ違ったあの女子中学生と同じように──。


 ずくずく様とは、なんだったのだろう。

 もう一つ、怪異があったのだとしたら……。








 翌朝、教室に入ると、”双子の島”は解体されていた。


 すべての机が均等な配置になっている。窓の向こうから蝉の声が降ってきた。

 黒板の前で心愛がピースサインをしていた。








小暮冬芽(こぐれとうが)が転校することになった」


 教頭先生は、重々しく言った。

 桃乃が亡くなったのは、新学期がはじまる前日のことだったらしい。それから冬芽は一度も学校に来ていないのだという。


 1時間目は図工だった。怪訝な顔をした久慈先生と入れ違うように、慌てて教頭先生を追いかける。


「先生、冬芽くんは、いつ引っ越すんですか」


 先生は困ったように笑うと「10時の船だそうだ」と言った。








 璃子は学校を飛び出した。先生は止めなかった。家に向かうのとは反対方向に走る。港までは長い長い坂道が続いているだけ。車では通れない、細くくねくねした道を、迷いそうになりながら走る。


 空が青い。海も碧い。でも、涙で滲んで、ふたつが溶け合うみたいに一緒になった。息を切らしながら走る。走る──。


 そうして港についたのは、船が出港する20分ほど前のことだった。現実を受け入れられないといった様子の夫婦と、その後ろでひっそり影のように佇んでいる冬芽だけが、待ち合いのラインに並んでいた。


「璃子ちゃん……?」


 骨壺を抱いた夫婦は、璃子に会釈をすると、そっとその場を離れた。

 璃子は目元をごしごしと乱暴にぬぐうと、冬芽に「……引っ越すの?」と尋ねた。


「うん」


 冬芽はくしゃりと笑った。璃子の胸が痛んだ。無理して笑わなくたっていいのに。


「ごめんね」


「え?」


「桃乃がごめん。それを見て見ぬふりしたのも、……ごめん」


 璃子はどう答えていいかわからなかった。「許す」というのは、ちがう気がした。でも突き放したいわけでもなかった。








「こんな島、きらいだった。桃乃のことだって好きにはなれなかった。でもそれでも、桃乃は、どうしようもないやつだけど、僕にとっては姉だったんだ」


 語尾が滲んでいた。

 冬芽はじっと下を向いている。港のアスファルトに、ぽたぽたと黒い水玉模様ができた。言葉が出ない。璃子はそっとハンカチを差し出した。








「手紙、……書くよ」


 璃子がそう言うと、冬芽は弾かれたように顔を上げた。

 口がぽかんと開いている。自分でもどうしたいのかわからなかった。


 冬芽は泣きながら笑った。そのどこか幼い顔は、璃子がはじめて見る彼の純粋な素顔のような気がした。


「なにか渡したい」


「いいよ」


「ううん。このハンカチと交換してくれない?」


 冬芽は尋ねた。

 璃子は迷ったがうなずく。冬芽は鞄のなかをごそごそと探ると、一冊の本を取り出した。『ギリシャ神話 忘却の女神レテの物語』と書かれたものを、璃子の手に押しつけて、船のタラップを走っていった。


 船に乗り込んだ冬芽は、島側に向いた船首のデッキに立っていた。

 やがて汽笛が鳴り、ゆっくりと船が動き出す。冬芽は身体の前で小さく手を振った。船首はゆっくりと向きを変える。


 冬芽はデッキの上を走り、船の後ろ側に回った。

 こちらがよく見えるように。表情が見えないくらい遠くなったころ、冬芽の手を振る動きは大きく、大きくなった。


 だんだん本土に近づいていく船が、染みみたいに小さくなるまで、璃子はずっと港に立って見送っていた。










 船が見えなくなってからも、璃子は、その場から立ち去れずにいた。

 港のアスファルトに座り込んで、足をぶらぶらさせながら、ハンカチと交換した本を読んだ。


 いつかの放課後も冬芽がギリシャ神話を読んでいたことを思い出す。






 この本では、忘却の川について描かれていた。


 ギリシャ神話のレテは、黄泉の国を流れる川のひとつ。その水を飲むとすべてを忘れてしまう。人が前世の記憶を持たないのは、生まれ変わる前にレテの川の水を飲まされるからだという。






「にゃおん」


 白い猫がすり寄ってきた。


「ごはん持ってないよ」


 そう言っても、猫は璃子の横にごろりと寝転んだ。


 最後に”海辺の心愛”と出会ったときのことが気にかかっていた。あの子は心愛じゃなかった。それじゃあ、一体──。最後の言葉が忘れられない。







『ねえ、これで私のこと、忘れないでしょ』







 耳元でささやかれたような気がして、驚いてあたりを見回す。けれどもそこには、凪いできらきらと輝く夏の果ての海があるだけ。









 学校にもどらず、そのまま家に走った。

 父が少年時代に使っていた引き出しの中から、原稿用紙の束を取り出す。小さく息を吸って、ゆっくり吐き出した。


 タイトルを綴る。一文字ずつ丁寧に。緊張で硬くなった手でゆっくりと。

 鉛筆をぎゅうっとにぎりしめているせいで、指先が白くなっていた。


 璃子の頭のなかには、答えのない想像がぐるぐると渦巻いている。この島には、忘れられた子どもたちがたくさんいる。


 生贄になったづく助。ずくずく様に成り代わった子ども(キノ)たち。そしてきっと別の怪異(海辺の心愛)に殺された子ども(桃乃)たち……。


 しるしをつけていたのは、ずくずく様じゃなくて──。








 璃子は、原稿用紙の一行目に、こんなふうに書いた。






『沈む子どもたち』













たくさん書いているのですが、「なろう」では久しぶりの投稿です。

読んでくださってありがとうございます!


最近は現代ものを多く書いていたのでnoteを中心に活動していました。

note創作大賞2025にて、ミステリー小説部門とホラー小説部門の2作品が中間選考に残っています。結果を待っているところです><


現代ものもお好きな方は、たくさん載せているのでよかったら見てみてください。

異世界もそろそろ書きたい!



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