急募)よく効く胃薬
「……えっっぐいんですけど!?」
水盆に映されたディアーヌの行方を見守っていた私は、たまらず悲鳴を上げた。
女神様方の晩酌が始まって三十分ほど経過した頃の出来事である。
『アイシャ、ディアーヌがどうなったか見てみる?』なんて、水の女神アクアの誘いに乗って水盆を眺めていた私は、たいそう後悔することになった。
えぐい。えぐすぎる。常にお尻がブッツブツな時点で辛い。辛すぎる。常にうつ伏せでいないと安らげないってことでしょ!? たぶんジュクジュクした発疹は熱を持つだろうし、かゆみや痛みもあるはずだ。上手く治療できたとしても、肌がクレーターみたいにボコボコになっていそうだった。悲しい。そんなお尻嫌だ。水の女神アクアって残酷!
灯の女神ホーリーの呪いだってそうだ。常に手許足下が不注意になってしまうのなら、今後ディアーヌは階段に近づけなくなるだろう。だって転ぶ未来しか見えないもの。落ちたら大惨事よ! 飲み物だって飲めない! うっかり手を当ててグラスを転がす気しかしない! これじゃビールも飲めないじゃないか。上手にビールを注げたなあと思った瞬間にこぼしちゃうんだよ。辛い。無理。
容姿が内面で変わってしまう呪いに関してはもう、あまりの恐ろしさに泣くしかなかった。人間、簡単に改心なんてできないものだ。どう頑張ってもゴブリンタイムは長くなる。辛いな。病んじゃうよ。恋愛の女神って怖~……。恋愛物語が好きらしいし、もしかしてざまあを司ってもいるのだろうか。ざまあの女神様。なにそれ恐ろしすぎない? しかも苛烈なざまあ派。うう、穏やかな話の方が私は好きかなーー!
思わず呆然としてしまう。正直、あまりいい気分ではなかった。ディアーヌがこんな目に遭ったのは――私のせいだからかも。
『あら。気に病むことなんてないわよ?』
すると、私の内心を見透かしたように水の女神アクアが言った。
ニコニコしながら私を手招きする。自分の隣に座らせて、ビールを注いだスチールカップを握らせてきた。困惑している私に、狩猟の女神アイリスがカラカラ笑っている。
『安心しろ。ディアーヌは無事に城から逃げられたみたいだ。狩猟の女神であるアタシが、追手から隠してやったからな! 命までは獲らないのがお前の希望だったろう?』
「そ、それはありがとうございます……?」
げっそりしながらお礼を言う。無事なのは安心したけれど、そうじゃないんだよなあとも思う。とはいえ、ディアーヌがやってきたことは許されない。誰かを犠牲にして成り立つ幸せなんてあってはならないから、因果応報だとも思う。
でも――小市民メンタルがなあ……。
「おほほほ! ざまあみろ!」って、悪女みたいに高笑いできる性格だったらよかったのに!
ひとり悶々としていると、ふいに狩猟の女神アイリスが口を開いた。
「だから気に病むなって。お前が何もしなくても、いずれディアーヌは不幸になってただろうからな」
そう言って、アイリスは豪快にウイスキーの水割りを呷った。さすが狩猟の女神。アルコール度数高めのお酒が好みらしい。目を丸くしている私にアイリスは言った。
『アイツはディアブロに近づき過ぎた。遅かれ早かれ死ぬような目に遭ってたはずだ』
「それはどういう――」
『アイシャはディアブロという神のことをどれくらい知っている?』
訊ねられた私は、自分の知識を披露した。かつて神々の戦争で敗れた神だということ。『死』と『怠惰』『色欲』を司っていて、邪悪なる者たちが信奉していたこと。
「……世を乱しすぎたせいで、創世神に天界を追い出されたと聞きました」
『うん。大筋は合ってる。でも、それだけじゃない』
険しい表情になったアイリスは、グラスの中の氷を眺めながら言った。
『アイツは創世神――アタシたちの父を憎んでる。歴史には残っちゃいないが、何度も何度も反乱を起こしてるんだ』
『…………。ディアブロ、本当にしつこい』
『そうね。今回で十回目だったかしら。そのしつこさを別のことに発揮したらいいのにね♡』
『本当に。でも――あの子の気持ちもわからないではないのよ』
ほう、とため息をこぼす。
ワイングラスを片手に、水の女神アクアは切なげに瞼を伏せた。
『父上にディアボロの最愛の人を寝取られたんだもの……』
「…………」
思わず黙り込んで、しょっぱい顔になった。
うーーーーーーーーーーーーーーん。これは……。
どう考えてもゼウス案件的なやつではないだろうか……。
ゼウス。言わずと知れたギリシャ神話に登場する主神である。
強大な力を持つ神だが、愛多き神としても知られている。
ぶっちゃけ見境がない。どこぞの浮気男も真っ青なレベルで、目に付いた女性に手を出す。そしてだいたい孕ませる。婚約者になりすました話もあったなあ……。可哀想なアルクメネ。結果、生まれた子どもがヘラクレスだよ。ヘラクレスはみんな知ってるよね。
ゼウスのやばいところは、目を付けた女は是が非でも手に入れるところだ。そのための手段は選ばないし、邪魔する相手にはまるで容赦がない。
興味がある人は、ゼウスの関係図を調べてみよう。あ~~~~~。コイツやっちまってんな! ってなるから。
「……つ、つまり。ディアブロは寝取られの被害者……」
この世界の創世神も、ゼウスなみに奔放なタイプらしい。
――これはヤバい。性癖に合致しないNTRは脳が焼き切れるとよく聞く……!
激おこなディアボロが、復讐のために虎視眈々と機会を狙っていたとしたら――かなりヤバい状況なのではないだろうか。というか内輪もめじゃん。神様の内輪もめに巻き込まれてんじゃん……! 正直、勘弁してほしい。まあ、女神様方には口が裂けても言えないけれど。
「あの、ディアボロ教がディアーヌに力を貸している理由も、それに関係があるんですか?」
『そうね。あの子の目的――創世神である父を害するために、この国の中枢に入り込む必要があったの』
水の女神アクアが指さしたのは地面だ。
『この国は、古代遺跡の上に建てられたでしょう? そこにね、創世神の分身が封じられているのよ。どうも、ディアボロはそれを狙っているみたい』
「そんな大層なものがうちの国に!?」
『ええ。場所は――そうね、ちょうどお城の真下あたりかしら』
「だから、城の人間ぜんぶを呪い殺そうと? 極端……いや、神様だからそういうものなんですかね……」
『…………。…………それだけじゃない。ディアボロが城の人間たちを呪って、たのは。大勢の人間を生け贄にして、お父様の分身を穢して貶めるため、だと思う』
『実際、効果が出始めてるみたいね。城にかけられた呪いの余波で、あちこち穢れが噴出してる。男の恨みってしつこくてやあね~♡ おかげで精霊が好む清浄な場所が激減しているの』
「あ! ま、まさか……精霊大発生の原因って……」
『十中八九、ディアボロのせいだろうな』
原因が判明して遠い目になる。そうまでして復讐したいのか。あわわわ。寝取られの恨みが強い。寝取られってやっぱり脳を焼き切るんだなー! 迷惑!
「いやでも、それとディアーヌがひどい目に遭うことは関係ないんじゃ」
首を傾げた私に、狩猟の女神アイリスはからから笑った。
『そうでもない。清らかではない――それも、大勢から恨みを買っている人間は、悪神にとって利用価値があるからな』
善なる神々が清らかな人間を好むように、悪の神にとっても好みがあるらしい。
ディアブロに近いところにいるディアーヌの行いを見ればわかりそうなものだ。
『このままじゃ世界の危機だ。ここは創世神ありきの世界だからな。分身といえど、父になにかがあれば、世界のバランスが崩れ、大災害が起こるだろう。大勢の人間が死ぬ。地形も変わってしまうかも知れない』
なんと世界の危機!
うわあ。なんか話がでっかくなってきたなー!
……で、なんで私はこんな話をされているのだろう。
嫌な予感。現実逃避したくって、手許のビールを呷る。うん、あんまり味がしない。ちっとも落ち着けないからだ。燻製したナッツにも手を伸ばしてみる。……うん。これもよくわかんないなー! きっと脳内のキャパシティがいっぱいいっぱいなのだ。だって話が壮大過ぎる。
こういう話は勇者とか賢者とか、選ばれし者にするべきだ。私みたいな、ただの公爵令嬢には荷が重い。
「まあ、隣国の王の庇護下から出た以上、ディアーヌの暗躍は止められた訳だし。これで私の役目は終わりだよね……」
後は女神様方に任せておけばいい。なにせ、過去九回もディアブロの反乱を食い止めてきたのだから、素人は手を出さない方がいいに決まっている。……お。そういう風に考えてたら、ビールの味がしてきたかも。いやあ、一仕事終わった感があるね! 帰ったらひとっ風呂浴びようかなー! なんて思っていた私だったのだけれど。
……どうにも運命というものは、私に意地悪をしたいらしい。
ふいに水の女神アクアがこんなことを言い出した。
『それで、アイシャ。あなた、わたくしたちに協力してくださらない?』
「……えっ」
『ディアブロから世界を救う使命をあなたに与えます』
――いらねええええええええええええええええええ!
一瞬、叫びそうになって口を噤む。
あわわわわ。なんでだ。なんで私が寝取られの尻拭いをしなくちゃいけないんだ!
「い、いやいやいや! ご冗談を……。さっきも言ったじゃありませんか。私には何の力もないんですよ。ただの貴族令嬢ですから。武器すら持ったことがない。体力だって、そこらの子どもの方があるはずだし」
『ですが、アイシャはこれまでも様々な機転で危機を乗り越えてきました』
「機転ですか……」
『機転です』
「いやでも、たいしたことしてないですよね? ザリガニ駆除したり、おじさまを追い返したり、精霊をお菓子で誑し込んだり、ブラックバスを駆除した時は頑張ったなーとは思いますけど……」
『ええ。素晴らしい機転でした』
……ん?
ほんのり違和感を覚えて首を傾げる。
「つまり、私には機転しかないってことですかね……」
水の女神アクアは無言である。だが、とってもいい笑顔だ。
……機転オンリー勇者。
なにそれ、『ひのきのぼう』と『ぬののふく』で魔王に挑むようなもんじゃん!
スキルが脆弱すぎる……! 旅立ちの日に100ゴールドしかくれない王様よりも許しがたい!
――無理無理無理無理!
世界の危機より、私は自分の命が惜しい。
断ろうと決意する。金ならいくらでも出すからさ。後方支援でお願いしまーす!
……なんて言おうとしたのに。
「うぐっ……」
私は思わず口を噤んでしまった。
女神四人ぶんの圧に屈してしまったのである。
『アイシャ、あなたなら解決できるはずです』
『…………。…………私には、見える。アイシャはやってくれる……』
『身内のこととはいえ、人界の出来事に女神が直接干渉することはできないの。だから、前も勇者や聖女を選んだのよ。今回はアイシャちゃんに決めた♡ いいわよね? 断らないわよね?』
『無事に問題を解決したら、願い事をひとつくらいは叶えてやれるだろうしさ!』
非常に厄介だ。厄介極まりない!
どうやら、女神様たちは私に世界の運命を託すと決めてしまったらしい。
なんでや。なんでこうなった。
背中を冷たい汗が伝っている。もうやだ。おうちに帰りたい……。
「……う、うちの執事と使用人と、魔女な友だちも一緒なら」
私に出来ることは、友人たちを強制的に巻き込むこと。それだけだった。
ごめんねヴァイス。強力な胃薬、買ってあげるからね――!




