こんな色気がない温泉回なんて
やってきました温泉回……!
わ~~~~! すごい。ラノベとかだと、ヒロインたちがキャッキャするサービス回である。謎に乳のサイズを比べ始めるのは、様式美というものなのだろうか。
えっ。まさか、まさか! う、うちでも~~~~!? なんてことにはならなかった。
女性は私だけだからである。加えてサリーは男だ。比べる乳がない。普通に水着着用だし、日焼け対策にラッシュガードも準備してあった。ヴァイスの手配が抜かりなさ過ぎる。
まあ、私のムフフなシーンに需要はないから別にいいんだけどね~!
温泉は入り江の中にあった。エメラルドグリーンの海が綺麗だ。海底がポコポコと粟立っていて、白い湯気が立ち上っている。つまり海中温泉である。干潮の前後二時間しか入れない幻の温泉。知る人ぞ知る秘湯らしく、私たちの他に客はなかった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」
サリーとふたり、温泉に浸かって野太い声を出す。
熱々ではないけれども、海中温泉は疲れた体にしみる温度だった。指先からじわじわと溶けていく感覚がある。強ばっていた筋肉がほぐれていく。額を流れていく汗すら心地いい。
海と繋がっているだけあって、ごくごく微弱な波が発生している。水中で脱力していると、まるでゆりかごに揺られているかのようだ。鼓膜を震わせる波の音といい、癒やし効果が半端ない。
「……こんなとこ、よく見つけたねえ……」
ふわふわした声で訊ねると、これまたふわふわした声でサリーが答えた。
「グリードが見つけたのよ……。すっごい気持ちいいわね。海水のミネラル分が肌にもいいみたいよ」
「えっ……! それはいっぱい浴びておかなくちゃ」
「あはははははは! 顔にかけすぎよ! びしゃびしゃじゃない!」
「いいの。肌から吸収してるので!」
「やだ。それよりアンタ、ちょっと日焼けしてない……!?」
「嘘!」
真っ青になって顔を押さえる。ケアしたつもりだったのに……!
「日焼けしちゃったらどうするんだっけ。きゅ、きゅうりを乗せたらいんだっけ? きゅうりパックはどこ!」と混乱していると、サリーが深々と嘆息した。
「日焼け後の顔に、きゅうりが効くわけないでしょ。刺激が強すぎるし、下手したらアレルギーの原因にもなっちゃうんだから」
「ええええ~。前世で有名人が言ってたのに……」
「馬鹿なこと言ってんじゃないの。仕方ないわね。アタシのクリームを貸してあげるわ。ああ、それとこれを飲んで。日焼けしたってことは、体内の水分が失われてるってことよ」
「わ、なにこれ!」
「炭酸にハーブとレモンのスライスを入れたの。おいしいわよ」
「ありがとう。至れり尽くせりだなあ。さすが、サリーママ!」
冗談めかして言うと、ぐわしと顎を鷲掴みにされた。グキッと音がするくらいに、強引に上向きにされる。ひっくり返った視界の中で、サリーと目が合った。
あ、なんかすごい怒ってません……?
「……誰がママですって?」
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。ママじゃないよね、友だちだよね!」
「そりゃそうでしょ。アタシがママだなんて、本当の母親に悪いと思わない訳?」
「あー……。どうだろう」
私を見下ろしているサリーに、ほんのり苦く笑って言う。
「前世でも今世でも母親に縁がなくて」
「……どういうこと?」
「ふたりとも、私が小さい頃に亡くなってしまったからかな。前世と今世って因果関係があるのかなあ。そこのところはわかんないけど。だからか、サリーに世話を焼かれると胸の辺りがほわほわして好きなんだよね。まあ、それにしても母親扱いはひどいか。ごめんね!」
――あ。うっかり重い話をしちゃったかも。
サリーの表情が曇っていた。悪いことしちゃったな。
罪悪感を覚えて、へらっと笑う。
「もうしないよ」
すると、なぜだかますますサリーの表情が曇ってしまった。みるみるうちに険しくなっていく。森を思わせる深緑の瞳がわずかに濡れて、まなざしの奥に計り知れない苦悩が垣間見えた。
「……ねえ、母親がいないのってアンタが働きたがるのと関係があるの?」
意外な問いかけにパチパチと目を瞬く。
今まで考えたことはなかったけど――そういう部分はあるのかも知れない。
「そうかもね。前世の時は特にそうかも。一人っ子で、父の他に頼れる人もいなかったし。一度、父が大病を患ってさ。完治した後も不安だったなあ」
お金を稼いでいたのは、将来に備えるためだ。父が働けなくなった場合を考えて、ある程度まとまったお金を貯めておきたかった。
だからか、働いても働いても足りない気がしてならない。入院を伴うような病気になると、貯金なんてあっという間に溶けちゃうって思い知っていたからかな。
今世でもそうだ。うっかり没落の憂き目にでも遭ったら、家族どころか公爵家の使用人たちまで路頭に迷ってしまう。うん。それは嫌だな。みんな私の家族だからね。幸せでいてほしい。だから、家業とは関係ない事業で、せっせとお金を稼いでいたのかも知れない。
……ああ、そうか。せっかく自由になれたのに、また仕事をしなくちゃって思ったのは、貯金額がほんの少し減っていたのを目にしてしまったからかも。
「……私って家族思いなのかもね?」
「アンタって子は……」
思わずつぶやいた言葉に、サリーは呆れ顔だった。
「そういう優しさはアンタの魅力かも知れないけど、無理をしたら駄目よ。定命の者はすぐに死んじゃうんだから。置いて逝かれる方の身にもなりなさい」
真摯な口振りが、やけに耳に残った。……そうだったな。サリーはかつて長い時間を共に過ごした友人をすべて喪っている。
彼らを弔うために、百年以上もひとりで過ごすくらいには愛情深い人だ。
「……サリー……」
思わず名前を呼ぶと、サリーの顔がみるみるうちに紅くなっていった。
「べ、べべべべ別に! アンタとなるべく長く居たいからとか、そういうんじゃないんだからね! 皺くちゃババアになったらみすぼらしいわよって、ただそれだけの話!」
――ああ、もう。天然のツンデレだなあ。優しさしかない。
「ちょっと。変な目で見ないでくれる!?」
ブツブツ言いながら、サリーは荷物の中から肌ケアグッズを持ってきた。
温泉に浸かったままの私の顔に、なにやらいろいろと塗りたくり始める。
「じっとしてなさいよ」
「うわ。冷たい! 気持ちいい~! なにそれ」
「スライムを使った冷却ジェルよ。まずは火照った肌を冷やさなくちゃ。治癒の魔法もかけていくわね。細胞を活性化させて肌の再生を促すわ」
「おお……。すごいあちこち揉んでくるね……」
「リンパを流してるだけよ。もう。ゴリッゴリじゃない! 疲れてるわね」
サリーの施術は見事だった。優しく触れているのに、ちょうどいい力加減でツボを刺激してくる。「今すぐにでもエステ店を開業できそう……」思わずそうこぼすと「見ず知らずの相手の癒しに、なんでアタシが労力使わないといけないのよ」とのことだった。
つまり、私だからマッサージしてくれるし、肌ケアをしてくれるらしい。
なんてこった。私のことが好き過ぎる。ありがたいなあ。彼女の好意に、私はどれだけのものを返せるのだろう。
「とりあえず長生きするね……」
「とりあえずって何よ。そんなの当然じゃない。そうしてもらわないとアタシが困るわ」
サリーが穏やかに笑っている。
思えば、彼女と出会ったのも温泉がきっかけだった。温泉を探しに魔の森に突入した挙げ句、手土産を突きつけたあの日が、もう遠い出来事のようだ。
「これからも仲良くしてね」
ウトウトしながらそう言うと、サリーは手を止めて、
「アンタがこれからもアンタのままなら、考えてやるわ」
と、どこか楽しげに笑っていた。




