ワーカホリック再び
アイシャ・ヴァレンティノの執事である獣人ヴァイスは、頭を悩ませていた。
もちろん主人であるアイシャについてである。
今のアイシャの精神は健全とは言えなかった。
原因は、彼の主人が薬聖ラビンに開発させたカレー粉である。例のスパイスに想定外の効果が出たことが発覚した後、アイシャは再び執務に追われることになったのだ。
様々な事件が重なり、激務に疲れ切っていた城の人間たちからすれば、強力な滋養強壮効果があるスパイスは喉から手が出るほど魅力的だ。もちろん王城勤めの人間だけではなく、王族や貴族、諸外国から見ても、魅力的な商品であることは事実だった。
そんなカレー粉の増産体制を整えるように指示されたのがアイシャだ。
他の人間にはできない。薬聖ラビンはかなり扱いにくい人物なのである。
機嫌を損ねるとふらっと姿を消すし、天才肌にありがちな珍妙な行動や発言に戸惑う人間も多い。その点、彼を支援してきたアイシャは適役だった。彼の扱いを心得ている。
結果として、カレー粉の増産体制は整えられた。一ヶ月という早業である。
スパイス類が収穫され次第、調合されたカレー粉は国内外で流通され始めるだろう。
とはいえ、以前の仕事量を考えると軽微な仕事ではあった。
トントン拍子に販路を開拓した後、気がつけば手の空く時間が増えている。
また自由気ままな生活に戻れるのだ。きっとアイシャも喜ぶだろう――
ヴァイスは、そう考えていたのだが。
問題が発生した。何故かアイシャ自身が仕事に拘り始めたのである。
「……ヴァイス、なにか仕事ないかしら。あ、ヴィンダー爺のところにいこうかな。こないだ試作をお願いしたのが完成したのかもしれないし」
「お嬢。もうずいぶん遅い時間ですよ。明日になさっては」
「そ、そうね。じゃ、じゃあ! 水の神殿から寄付のお願いが来ていたわよね。額について検討しようかな」
「その件については、現地視察をしてからの予定ですよね。一ヶ月後にスケジュールは押さえてあります。急いで着手する必要はございません」
「ああああ。そうだった。じゃあ、どうしよっか! 私に出来ることないのかな!」
「……なんで仕事したがるんですか……」
「だってなんだか落ち着かなくて!!」
つまり、だ。
ほんの少し仕事をしたせいで、アイシャのワーカホリック魂が再燃してしまったのである。
元々、その気はあったのだ。
アイシャは前世で過酷な労働条件に置かれ、かなり苦労していたと聞いていた。それなのに、〝ブラック〟な企業を抜け出して転職した後も、ワーカホリック気味な性質は変わらなかったらしい。
つまり働くことが好き。
なのに、自由になりたいと心から望んでいる。
大きな矛盾を内包している女。それがアイシャ・ヴァレンティノという人間だ。
それだけならば、適当な仕事を熟しつつ働けばいいと思うだろう。だが、アイシャに限ってはそうもいかない。彼女は何事もやり過ぎるきらいがある。いったん仕事を始めれば、どんどん新しい仕事を増やしていくのが目に見えている。それでは、以前とまるで変わらないではないか。
「……ほんで、僕らに声を掛けたって訳やな」
「まったく。アイシャったら面倒くさいところがあるんだから」
アイシャが寝静まった後。
公爵邸のヴァイスの私室に、ふたりの人物が訪れていた。
グリードとサリーだ。公爵家の使用人で元暗殺者と、魔の森の魔女でエルフ。アイシャにとって大切な友人である彼らは、ヴァイスの話を聞いて険しい顔をしている。
「あれだけ自由に生きたいって言うとったのに。女心って不可解やな」
「アイシャくらいよ。仕事したいって馬鹿は。どういう心境なわけ?」
「お嬢いわく、メンタルが小市民だからなんだそうです。働いていないと、お天道様に顔向け出来ないような気持ちになるとか。日本人にありがちだそうですよ。ニートは嫌だと、よく魘されておいでですね」
「ニートってなに?」
「お嬢の前世で言う、家事・通学・就業をせずに職業訓練も受けていない人のことです」
「そんなの、お貴族様にはゴロゴロいるじゃない」
「それはそうなんですが、お嬢の価値観的には受け入れられないようなんです。なにかをしていないと落ち着かないらしく……。以前、もしも転生していなかったらという話をされていた時もそうでした。自分なら定年退職をした後も、なにがしかの仕事をしていたはずだと……。遺跡の発掘作業とか、山小屋でのアルバイトに興味があったみたいですね」
「うん。うちのご主人様ってヤバいな」
「どうしましょう……」ヴァイスは肩を落とした。
「このままじゃ、お嬢は社畜生活に戻ってしまいます。そうしてほしいと考えている人間は山ほどいますからね。気を抜いたらあっという間ですよ」
「せやな……。それでまた自由になりたいって騒ぐんやろ。可哀想になあ」
「お嬢には穏やかな余生を送っていただきたいんですがね……」
「いや。アイシャ本人のせいだからね? 誰も仕事を強要してないけど?」
すかさずツッコミをいれたサリーに、ふたりはきょとんと目を丸くしている。
「……悪いのは、お嬢の心を乱す仕事の方では?」
「そやな。ご主人様はなんも悪くないし」
さも当然という顔で反応されて、サリーは頭痛を覚えて眉をしかめた。
嘘でしょ。怖い。元々そういうきらいはあったけど、過保護に磨きがかかってる……!
このままじゃ、なにを仕出かすかわからない。主人であるアイシャもそうだが、ヴァイスやグリードも物事をやり過ぎる傾向があるのだ。アタシがしっかりしなくちゃ。サリーはひとり決意を固めている。
「……と、ともかく、アイシャが仕事を忘れるようにしたいのね?」
「ええ! 疲弊しきった頃のお嬢の姿はもう見たくないんです。ふたりもそうでしょう?」
グリードとサリーは思わず顔を見合わせる。そして同時に表情を緩めた。
「そうね。アタシも嫌だわ。あの子には笑っていてほしい。友だちだもの」
「僕もや! ご主人様は自由にしてた方がおもろいし。僕に構ってくれるしな。せやかて、どうすればええんかなあ。悩むわ。つまり、ご主人様が仕事以上に楽しいことを見つければええんやろ? それって――」
思わず三人で顔を見合わせる。
「「「キャンプしかないんじゃ……」」」
そして、同時にため息をこぼした。
「悩む必要なんてありませんでしたね」
「そういえば、こないだ王様にキャンプを台無しにされたってキレてたわよ」
「なら! 最高のキャンプを演出してあげたらええんやない?」
にんまりとグリードが笑う。
「実は最高にええ感じのキャンプの候補地を見つけてあるんやけど」
「そうなんですか?」
「ふふん。これでもご主人様思いなんや。ちょっと耳貸してくれへん?」
グリードがこしょこしょとふたりに耳打ちする。すると、ふたりの表情が華やいだ。
「それはいいですね! 確実に喜びますよ」
「いいわね~! そういう場所ならアタシもいきたい!」
「なら決まりやな」
目を合わせて頷き合う。三人は決意と共に言った。
「お嬢を社畜の道に戻さないように!」
「これからもあの子の笑顔を絶やさないように!」
「脱・ワーカホリックキャンプ、決行や……!」
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