みんな後ろ暗いみたいです
私が転生してしまったこのファンタジーな世界には、様々な不思議生物がいる。
そのひとつが精霊だ。
精霊は神々の眷属と言われ、人々の信仰を集めてきた。とはいえ、けっこう身近な存在なんだよね。特別な人間にしか見えない……なんてことはなくて、古い木の周辺、深い淵の底、自然に出来た洞窟の奥にある闇が溜まるところ、苔むした遺跡、神殿の聖火の周りなんかに行くと、ふわふわと飛んでいる様を見ることができる。
それが精霊だ。人間の幼児に似た姿で、体長は十センチくらい。背中には翅、耳が尖っていて、髪や瞳の色がカラフルなのが特徴かな。けっこう可愛い。
地球でいう妖精をイメージするといいかもね。見た目は可愛いけど、エグいことを仕出かすところもそっくり。精霊を蔑ろにした人間に罰が当たった話は枚挙に暇がないくらい。だからこそ、こちらの世界の人たちは精霊を大切にしている。長い年月を経て、徳を積んだ精霊が神様になる……なんて考えもあるくらいだからね。
そんな精霊がときおり大発生することがある。
理由は不明。まあ、精霊側になんらかの事情があるんだろうけれど、人間にはわからない。
そうなったら一大事だ。なにせ精霊は信仰対象。害獣駆除みたいに有無を言わせずに排除する訳にもいかない。とはいえ、対処法がない訳じゃなかった。
方法は簡単。精霊は甘味が好きだ。彼らが好む甘いお菓子を用意できれば、小さな願いを叶えてくれるのだそうだ。なんだか、本当に地球の妖精みたいだよね。アイルランドでは、ブラウニーなんかの屋敷妖精のために、台所にクリームやミルクを置いておく風習があるそうだよ。あんまりひどい悪戯はしないでね。いつも掃除をしてくれてありがとうねという意味を込めて。人間とは違う存在と、食べ物を通じて意思疎通を図るってロマンだよね~!
とはいえ、そう簡単に問題が解決できる訳ではなかった。
精霊は人間の清廉さに敏感だ。いずれ神に至るかもしれない存在だからだろうか。重度の嘘つきや罪人、同族殺しの臭いには敏感で、容赦なく襲いかかってくるという。精霊に近づけるのは、罪を犯したことのない心の清らかな人間だけなのだ。
なんでなの。なんでそういうところだけ凶暴なの。
たぶん、そんな精霊の特性のせいでラビンは手出しが出来なかったのだ。
だって彼はインド人ですらなかったのだから。まぎれもない嘘つきだ。
ともかく、精霊に近づく面子は厳選する必要があった。
「……まさか、私しか残らなかったなんて……!」
大誤算である。
精霊が大発生している畑に向かいながら、私は頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。
背後を確認すると、少し離れた場所をヴァイスとグリード、サリー、ラビンが歩いている。彼らは、精霊に攻撃されてしまうからと同行を辞退してきたのだ。
……まあ、グリードは仕方ないよね。
元々暗殺者だ。しかも腕利きだったというし、かなりの人数を手に掛けてきている。今は公爵家の使用人に収まっているけれど、どうにもね~。暗殺家業を辞めてない気配がひしひしとする。まあ、プライベートに関しては個人に任せているから構わないけれど、どう考えてもグリードは精霊に嫌われる人間の筆頭だ。
サリーもいろいろあったからね……。
彼女は魔の森で暮らす魔女だ。エルフなのもあって、私なんかと比べものにならないくらい長い時間を生きてきた。仲良くさせてもらっているけれど、彼女がどういう生き方をしてきたかまでは知らない。それに、直近まで魔の森に侵入してくる冒険者たちを次々と排除してきた背景を考えると、あまり精霊に近づかない方がいいかもしれない。
ラビンは……うん……。絶対になにかやらかしてそう。知らなかったなあ。彼が裏社会とも繋がってたなんて。自称インド人だし。しれっと嘘を吐くタイプみたいだし。いい人だと思ってたのにな~。勉強させてもらいました……。
まあ、ここまでの三人はいいんだ。なんか納得できるから。
それよりも――ヴァイスですよ。
『お嬢、申し訳ないのですが、今日はあまりお役に立てそうにないです』
アイツ……しれっとそう言い放ちやがった!
幼馴染みで獣人、小さい頃から知っている彼は、いつの間にか汚れてしまったらしい。
「ヴァイス、アンタいったい何したのよ……」
いや別に、なにをしててもいいんだけどさ。お仕事さえちゃんとしてくれていればね?
でもなあ……。その仕事の過程でやらかしていそうで怖かった。アイツ、私のためになら何をしてもいいと思っている節がある。
だって、家令と口裏合わせて公爵家の至る所に隠し通路を作ってたんだよ!
それも、お嬢の世話に遅れないためとかいう意味のわからない理由で!
「うちの執事の忠信が怖い……」
胃がキリキリするぅ! お願いだから常識の範囲内のやらかしであってほしい。
「いつか絶対に吐かせてやる」
決意を口にしてから前を向く。
ともかく、今はスパイス畑である。カレーが私を待っている。ああ、お腹空いた!
「とりあえずいろいろと持ってきてみたけど……」
どんなお菓子を精霊にあげようかな。
ラビンいわく、ここ最近は公爵領内で精霊の大量発生が増えているそうだ。時期としてはブラックバス騒動が終結した辺りから。 ぶっちゃけ初耳である。私まで報告が上がってないだけで、けっこう大事になっていたのかも知れない。何せお菓子で解決出来てしまうのだ。話題になる前に問題が終結してしまっている可能性がある。
だがしかし、今はそれが問題だった。
度重なる大量発生のせいで、精霊たちが領内に流通しているお菓子の味を覚えてしまったらしいのだ。なんかね、精霊によっては食べたことのあるお菓子を差し出すと、怒り出すこともあるそうで。毎度、新しいお菓子を用意するのが大変なんだって。厄介だね~。
つまり、普通のお菓子じゃ駄目。工夫しなくちゃいけないぞ、という訳ですよ。まあ、私には当てがあったからいいんだけどね。だってほら、こちとら人生二回目じゃないですか? 金なら腐るほど持っているし? こう見えて貴族令嬢である。珍しいお菓子を集める伝手ならいくらでもある。
と言うわけで、今日は単独行動だ。
さてさて、どうしたものか……と思っていると、ふとあることに気がついた。
――もしかして、今って私を止められる人間いないんじゃない?
ヴァイスたちは、精霊のせいで私に近づけないのである。
ならば、やりたい放題できるのではないか?
「血がたぎるぜ……」
こうなったら、買ってきたお菓子を差し出すだけなんて野暮だ。
――せっかくだし! 現地でお菓子を作りながら飲もうかなあ!
精霊用と、お酒に合う用のお菓子を作って満喫するのもありじゃない? ありだよね~!!
普通の貴族令嬢なら、可愛らしい精霊たんとアフタヌーンティー♡みたいな展開になるんだろうが、そこは私である。酒を飲める機会を見つけたのだ。逃すはずもない。
「ひゃっほう!」
心が浮き立ってきて、ついついスキップしてしまった。あっ、なんかヴァイスがすごい顔をしてる。なんか口をパクパクさせてんな~。何を言ってるんだろう。えっと……。
『落ち着いてください。お酒に固執するお嬢の心は本当に清らかですか?』
喉の奥がひゅっ……ってなったよね。
な、ななななな、なに言ってんのよ! 清らかに決まってんでしょ! 白寄りのグレーでしょ~!? 人をグレー寄りの黒みたいに言わないでくれる!?
「胃が痛くなってきた」
どうしよう。精霊に攻撃されたら立ち直れる気がしない。
胃を摩りながら歩いていると、ラビンの畑が見えてきた。
広大な敷地の中に、スパイスの素になる作物や香草が植えられている。季節が秋だということもあって、すでに収穫を終えたものも多いようだが、区画毎に植えられた作物はまだまだ青々とした葉を茂らせていた。納屋と思われる小屋と、倉庫らしき建物も見える。
普段なら長閑だなあとのほほんとするような光景ではあるのだが……。
「うわあ。すごいなあ。精霊がうじゃうじゃいる」
思わず声に出してしまう程度には、精霊の姿が目立っていた。
葉っぱの上や木々の枝で精霊たちが翅を休めている。近くにいる仲間とじゃれ合ったり、小石をぶつけ合ったりする姿は微笑ましくもあったが、気に入らない相手だと一斉に襲いかかってくる相手である。油断はできない。
「……うう。がんばれ私。がんばれ! カレー粉のためだから……!」
きゅっと口許を引き結んで、なんとなくヴァイスたちがいる方を確認する。
怯えている私を勇気づけてほしい。そんな気分だったからだ。
すると、彼らはこんな反応をしてくれた。
「ご主人様~。面白い光景期待してるからな~!」
「あんまり変なことしないのよ、アイシャ! 黒歴史はもうじゅうぶんでしょう!?」
「アイシャサァン……! 終わった後、カレー粉の値段交渉いいデスカァ……! 原材料的に、いまの値段じゃ苦しいンデェ……!」
「お嬢! ぜったいに調子に乗らないでくださいよ! すぐに助けにいけないんですから。買ってきたお菓子で解決できるんですからね。余計なことはしない。お酒は飲まない。自由に憧れない。誰が尻拭いすると思ってるんですか!」
「あんたら、私のことなんだって思ってるのよ! ひとり守銭奴が交じってるし!」
もうやだ。あいつらマジで許さないからな!
「そんなに心配なら禊ぎでもして清らかな体になってきなさいよ!」
ばーかばーか!
ひとりで精霊に対処する羽目になったのは、アンタらの日頃の行いが悪いからだ。私のせいじゃない。
怒りにまかせて背を向ける。ああでも、お陰で緊張がほぐれてきた。
この際だ。どうにでもなれ。当たって砕けろ。
なにかあっても、ヴァイスが尻拭いしてくれるらしいし!
ここぞとばかりに満面の笑みを浮かべる。
勢いよく片手を挙げた私は、声高らかにこう言った。
「清純派公爵令嬢代表、アイシャ・ヴァレンティノ! お邪魔しまぁす!」
ぶっちゃけ何言ってんだって話だけれども。
こうして私は、精霊の巣窟となってしまっている畑に足を踏み入れたのである。
*
――まあ、結論として。
精霊は私を襲わなかった。
物珍しそうに眺めてはくるものの、特段襲いかかってくる訳でもなし。むしろ、興味深そうにじゃれついてくる。「きれい」と銀髪を何本か抜かれたり(必死に悲鳴を飲み込んだ)、肩に乗ってはしゃいだり、頬をぺちぺち叩かれたり。
どうやら彼らから敵認定はされなかったようだ。
――つまりだ。私の心が綺麗だと証明された訳である。
「許された……!!」
ああああああ、神様ありがとう!
これからもいっぱい飲みます!
「お嬢……! またお酒のことを考えてるでしょう!」
――なんでわかるんだろうなあ。
うちの執事は読心術でも会得してるんだろうか。いやでも無視だ、無視。
私は自由だ。おいしいお菓子で飲むまで帰らないからな!
ウキウキで畑を闊歩する。ヴァイスたちは、ギリギリ精霊に怒られない畑と道の境界部分で、こちらの様子を見守ってくれているようだった。
「ああああああ、お嬢……大丈夫でしょうか。やらかす予感しかしません」
「ヴァイス、同情するヨ……。アイシャサァン、無理するところあるヨネ!」
「やめろ。アンタにお嬢の何がわかるって言うんですか!」
「しゅ、修羅場や。あは、あはははははは! おもろすぎる。腹痛い……!」
「ほんとアイシャって魔性の女よね。魔女のアタシより男を振り回してる」
なんか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするけど、きっと聞き間違いだ。
「さてさて。お、いいところに焚き火跡発見!」
畑の一角に、土が炭化して黒ずんでいる場所があった。
栽培の際に出た雑草などを燃やした跡みたいだ。よしよし、ここを使わせてもらおう。
「こりゃデイキャンプみたいなものだね」
ウキウキしながら準備に取りかかる。
今日は秋らしい薄曇り。雨は降らないはずだから、タープを張るだけでいいかな。
アウトドアテーブルにチェアをセット。
少し前にヴィンダー爺に作ってもらった焚き火台で火を熾していく。あ、ヴァイスが青い顔してウロウロしてる。なんでですか。お菓子を並べるだけで済む話では? ってブツブツ言ってそう。耳がぺたんと折れてるし、尻尾が不安げに揺れていた。わあ。手出しができなくて死にそうになってるなあ。レアな姿だ。これは愉悦……!
「がんばれっ! ヴァイス!」
小声で応援したら、めちゃくちゃ睨まれた。
後が怖いなあ。でも、そんなこと気にしてたら公爵令嬢なんてやってられないのよ!
「さてさて。なにを作ろうかな……」
こんな涼やかな秋の日には、きっと白ワインが似合うと思うんだよね。
あ、一杯目にビールを飲むのは前提として。白ワインに合うおつまみ……ゴホンゴホン! お、お菓子ってなんだろうな。
「うん。これにしよう!」
白ワイン担当は、キャンプデザートで定番の奴――焼き林檎にしちゃおっか。
こちらの世界でも林檎の旬は秋である。
ちょうど採れたてのものを差し入れてもらっていたのだ。
それに焼き林檎は手間がかからなくていい。調理している間に別のお菓子も作れるしね。
焼き林檎と言えば! オープンワールドの方のゼ○ダの伝説だよね~! 序盤の回復アイテムとして優秀で、焼き林檎を大量生産したなあ。あれは焚き火に林檎を投げ入れていたけれど、さすがに現実ではもう少し手間が掛かる。
必要な材料はシンプルだ。
林檎にバター、砂糖にシナモン。それにはちみつ!
竹串と、アルミホイル状に加工した魔鉄も忘れずに。
マジックバッグから取り出した林檎は、実にいい色だった。鮮やかな赤色はまさに秋を象徴しているようだ。皮に浮かぶ斑点模様が可愛らしい。ほんのり鼻孔を擽る爽やかな甘い香りが心地よかった。
「なにしてるの」
すると、精霊が声を掛けてきた。
「うわ」
気がつけば、周りにウジャウジャ集まってきている。
「まっかっか! りんごだ。いいにおーい」
「くれるの? くれるの?」
「ねえ、おねえさんはなんでここにいるの」
「りんごはほかのにんげんからもらった。いらなーい」
「おかしくれない? くれたらいいことあるよ」
一斉に話しかけられると実にカオスである。
うっかり幼稚園にでも迷い込んだ気分だ。胸がほわほわ温かくなるのを感じながら、近くにいた精霊をじっと見つめた。
彼らは意識の根っこの部分で繋がっているという話を聞いたことがある。複数個体いたとしても、あくまでひとつの生命体。一体とでも仲良くできたら、それすなわちすべての精霊の友人となったのと同じ意味があるらしい。
夢があるなあ。精霊と仲良く……ううう! なんて魅力的な響き!
「ねえ。おいしいお菓子を作ったら食べてくれる?」
にっこり。笑顔を向けると、一体の精霊の頬が薔薇色に染まった。紅葉みたいな小さな手で、ぷっくりした頬を押さえてなにやら悶えている。すみれ色の髪にアクアマリンの瞳が特徴のその子は、「えっと、うんと……」と戸惑いを見せていたかと思うと、おもむろに私の肩の上に着地して唇を尖らせた。
「いーいーよー。おいしくなかったらゆるさないけど」
「え。怒られる感じ?」
「うーん。いたずらする。おねえさんをいしにしちゃうかも」
「石か~~~~~~~~~。それは大変だなあ」
うわあ。悪戯がえげつないな~~~~~。
でも、可愛いからいっか。
「へへ。がんばるね~」
ヘラヘラ笑うと、すみれ色の髪の精霊が再び真っ赤になった。「ひゃあ!」なにやら私の髪の中に潜り込んで騒いでいる。「みんなこわがるのに。なんでかわいくわらうの……」葛藤しているようだ。どうしたどうした。思春期か? まあ、私って、顔だけは絶世の美少女だからなー! 自分で言うのもなんだけど。罪な女だぜ……。
「……ねえ、アイシャったら、順調に精霊を誑かしてるわよ」
「そやな! それよりサリーねえさん。ヴァイスの顔が土気色なんやけど、大丈夫やろか」
「石……お嬢……危機感を……危機感を持って……」
「ワ~~~~~~! ヴァイスダイジョブ!? 心臓を強くする薬アゲヨカ! 金貨五枚デ」
なにやら外野がうるさいが、ともかく調理を続けていくことにする。
林檎は芯の部分をナイフでくり抜いて、竹串でプスプス穴を開けておく。爆発防止のためだね。くり抜いた中にはバター、砂糖、シナモンを入れておく。アルミホイル状に加工した魔鉄にくるんだら、焚き火の中にポーン! 後は待つだけだ。
「きゃっきゃ!」
「もえる~もえてしまう~」
「まってろ、りんご。ぼくがたすけにいくからな!」
男児っぽい精霊が、焼き林檎の周りではしゃいでいる。男の子って感じだな~。一方、女児っぽい精霊はもうひとつの材料に興味津々だった。




