消極的ノブレス・オブリージュ
その日、王都はひどく落ち着かない空気に包まれていた。
貯水湖にて、大量の魔物が発生したという報せが届いたからだ。
万が一に備え、住民たちの避難が始まっている。公爵邸でも対応に大わらわだった。「パパはアイシャと一緒にいる~」と駄々をこねる父を説得して、馬車に詰め込むのに大変苦労したからだ。
「ようやく一段落ついたわね」
気がつけば昼時である。疲れた体を椅子に預け、ヴァイスが用意したサンドイッチをパクついていた。避難が終わった公爵邸は静まり返っていて、非常時なんだなあとしみじみする。すると、扉を開けて見知った顔が入ってきた。
「ご主人様! ただいま~!」
「お邪魔するわよ」
「グリード、お帰り。あ、サリー! 来てくれたんだ!」
「べ、別にアンタが心配だったって訳じゃないんだからね?」
「へへへ。嬉しいなあ。ヴァイス、お茶にしよ!」
「かしこまりました」
ヴァイスのおかげで、あっという間にお茶のセッティングが整う。
席に着いた私たちは、香り高い紅茶を楽しみながら現状を報告し合った。
「うちって公爵家だけあって大所帯でね。やっと避難が終わってホッとしてたとこ」
「というか、なんでアンタが居残ってるわけ? 公爵令嬢でしょうが」
「責任者だから? なにかあった時、家令だけに責任を押しつけたくないじゃない?」
「……そういうところ、本当にアンタって感じ」
「あはははは。まあ、たとえ私が死んでもお父様とお兄様がいるからね」
「もっと自分を大事にしなさいよ。馬鹿!」
「ウッ! ごめんごめん」
なぜか憤慨しているサリーを宥めつつ、次はグリードに話の水を向けた。
「そっちはどうだった? 貯水湖まで行って様子を見てきてくれたんでしょ?」
「そやな。確かに魔物の大量発生が起きてるみたいやった。なんか、でっかい魚でな~! ふわふわ空を飛んでたなあ」
「魚なのに……?」
「ウン。珍しいやろ。元々、あそこには湖上を飛ぶちんまい魚の魔物がいたんやけどね。それとは別種みたいだってお役人が言うてたよ」
「別種……。それって初めて見るってこと?」
「そうみたい。新種かもって聞いたわ。だけど不思議やなあ。湖やろ? 地上と違って、どっかから別の魔物が入り込むなんて滅多にないと思うねんけど。お役人もな、在来種となにかが交雑したものかもって……。ご主人様!? どないしてん。顔色が悪いけど」
グリードが気遣わしげにこちらを見ている。
でも、私はすぐに反応できなかった。
――ああ。嫌な予感がする。
「お嬢、なにか懸念事項でも?」
「……それ、もしかしたら地球から来た外来生物かもしれない」
私の発言に、一気に場の空気に緊張が走った。
「あのね、アメリカザリガニの時も、イケチョウガイの時も感じてたんだけど。地球から転移してきた向こうの動植物が、なぜか普通よりも大きく成長しているのが気になっていて。原因を知りたいと思ってたんだよね。それで、転移物の研究をしているお城の学者さんとね、いろいろ意見交換をしていたの」
「アンタ、知らないうちにまた仕事増やしてたのね……?」
「ウッ。そ、それはそれとして。いくつかサンプルを調べてもらったりもしたんだけど、どうもね……地球から転移して来た動植物って、こっちの世界の生き物を取り込むと、巨大化したり、その特性を引き継ぐ傾向があるみたいで……」
アメリカザリガニは、転移して間もない頃に対処できたので、それほど巨大化していなかった。それでも、驚くべきサイズだったのは間違いない。イケチョウガイの栄養源は植物プランクトンだ。かなり前に転移してきたものだったとしても、一度に体内に取り込む量が少なかったせいもあって、ゆっくりと巨大化していったんじゃないだろうか。
柚子胡椒を作った時もそうだ。こちらの植物と交雑した柚子を使ったら、なぜか〝足が速くなる〟という特性がついた。もちろん、普通の柚子にそんな効能はない。なにがしかの生物の影響があったとしか考えられない。
――そして、今回の件。
「誰も見たことがない交雑種でしょ? 可能性のひとつとして、その空飛ぶ巨大魚が、元は地球から来た肉食魚だったってことはないかな?」
「……今回の魔物の大量発生は、転移してきた地球の生物が、在来種の小魚を摂取して、〝空を飛ぶ〟という特性を得た結果ってこと?」
「うん。それも食欲旺盛な奴。増えるスピードが尋常じゃないもの」
「…………」
「危険だと思わない? 空飛ぶ小魚を食べ尽くした交雑種が、次に人間を襲ったら――」
「ま、待って。妄想にしたって怖すぎるわよ。やめて!!」
もちろんこれまで、地球の生物は数えきれないほどこちらの世界にやってきたはずだ。私なんかが予測できないレベルの影響があったことは間違いない。
それについてとやかく言う気はないが……。目の前で新たな被害が起きている。これは見逃せない。
「被害が少ない今のうちに、手を打つべきだと思うの」
「お嬢が関与する必要がありますか? 城の人間に任せておけばいいのでは」
「私の知識が役に立つかも知れないじゃない。地球でも、在来種を守るために水辺に入り込んだ外来生物への対処をしていたし。できないわけじゃないわ」
知識と言っても、あくまで素人がわかる範囲内だ。
でも、なにもせずに手をこまねいているのも目覚めが悪い。
「ねえ、手伝ってくれない?」
私の言葉に、みんなは複雑そうだった。余計な手出しだと思われているのは明白だ。私だってそう思うもの。結果的に仕事も増えるだろうし。でもなあ。
「あの貯水湖。ちょっとした漁場にもなっているのよね。放って置いたら漁師さんの仕事がなくなっちゃう。湖を魔物に占拠されたら水害とかあった場合に困るし……」
自覚はしてるんだ。別に私がやらなくてもって。
だけど、問題から目を逸らしたくはない。〝逸らせない〟って言った方が正しいのかもしれないね。たぶん、私という人間の性格がそうさせている。
それはきっと、お城で十年間も人生を消費してしまったことと原因を同じくしているのだろう。そう、これは――
「ほら、いちおう私ってば公爵令嬢だからさ。やらなかったら方々から怒られそうだし」
消極的ノブレス・オブリージュ。
ふふふふ。小市民メンタルとも言う。
「…………。まったくアンタって子は。それだから賢王にいいように使われるのよ。普通の公爵令嬢はやらなくていいの」
最初に口を開いたのはサリーだった。
「でも、それがアンタなんでしょうね。方法はちゃんと考えてるんでしょうね? なにをするつもり?」
呆れ混じりではあったが、その表情は明るい。協力してくれる気があるようだ。
「サリー……! えっとね。詳しくは現場を見てからになるとは思うんだけど。ちゃんとアイディアはあるんだ。後、ヴィンダーじいとか、ルシルさんとかにも手伝ってもらえたらなって思ってる! あ、もちろんサリーにも! グリードにもお願いしたいなあ~」
「ご主人様の命令なら、僕はええよ~」
「うっわ、軽い! でもありがとうー!」
嬉しくなってグリードの手をブンブン振っていると、ヴァイスが盛大なため息をついた。うっ。さすがに怒らせただろうか。これって私のわがままだもんねえ。めちゃくちゃ怒られるかも。
だけど、ヴァイスの反応は予想とは違った。
「かしこまりました。お嬢の望みどおりに」
「いいのっ!?」
「どうせ、言ってもきかないでしょう。なら、執事である俺はお嬢に従うのみです」
「……うううう! やっぱりヴァイスって最高の執事だねえ!」
「調子に乗らないでください」
「ハッ! ごめん」
けっきょく怒られてしまった。
でもこれで、地球からの外来生物の対処に向かえる……!
「みんな、ありがとう。大好き!」
満面の笑みで言うと、ヴァイスは優しげに目を細めて、サリーは頬を染めてそっぽを向いて、グリードは満更じゃない様子で笑っていた。ん? お嬢に振り回されるのも仕事の一環だって? それってどういうことかなあ!
「アイシャお嬢様! 大変です!」
すると、室内に誰かが飛び込んできた。私と同じく避難誘導のために邸に残っていた家令である。
彼の背後に視線をやると、見慣れない人物が立っていた。あ、いや……違うな。どこかで見たことがある。そうだ! 王子といつも一緒にいた人物だ!
「あなた、ユージーン王子の側近の……!?」
「自分、カイトと申します。痛てて……。すみませんッス。こんな格好で」
カイトはボロボロだった。あちこち血が出ているし、細身の体には似合わない軽装鎧や剣まで身につけている。なんだか痛々しくて戸惑っていると、彼は私の前に進み出てこう言った。
「お願いッス。ユージーン王子を助けてほしいんス!」
その切実な表情は、彼の焦りを象徴しているようだった。
この時点で外来種が何かを特定できたらすごい
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