追い詰められた王子の行く末は
ユージーンは英雄とまで呼ばれている父王を心から尊敬していた。憧れていた。
幼い頃、他国からの侵攻を退け、王都に凱旋してきた父王の姿は、いまでも瞼の裏にしっかりと焼き付いている。
父王はユージーンにとっての理想だ。
同時に誇りでもある。
歴史に名を残す父王の後継であること。
それが、彼にとってのアイデンティティーだったのだ。
「……残念だね。ユージーン」
だからこそ、父王から投げかけられた言葉にひどく打ちのめされた。怒気を孕んでいる訳でもない。凪いだ湖面のような声色だったというのに、あまりにも淡々とした口調の裏に潜む冷たさに胸を抉られ、動けなくなってしまった。
「この一ヶ月、君は自分が試されていたのに気がついていたかい?」
「ど、どういうことですか」
「前々から、君が王位を継ぐことに疑問を持つ人間が多くいたということだよ。アイシャ嬢から婚約破棄を叩き付けられた件で、その声はますます大きくなった。だから、しばらく君を観察していたのさ。アイシャ嬢を失った君が、なにを成して、なにをするのか。あまりにも目に余るという側近の声を抑えるのに、ずいぶんと苦労したよ」
小さく息を吐いた父王は、じっとユージーンを見据えてこう続けた。
「君はさまざまなものを失ってしまったね。長子相続制度。絶対的な後継としての地位。周囲の人間からの信頼。有能な婚約者。ここ数ヶ月間で君が失ったものだ。もう二度と取り戻せない」
父王の言葉をユージーンはすぐに理解できなかった。
わかるのは、背中を伝う汗の温度と速度を上げた心臓のリズムだけだ。
「……本当に残念だよ。ユージーン」
再び投げかけられた言葉に、ようやくユージーンは口を開いた。
「父上。それはどういう……」
いまだ状況が掴めていない様子の息子に、父王が向ける視線はどこまでも冷めている。
「僕はね、父親として君にチャンスをやったつもりだったよ」
「……?」
「城内での評判が芳しくなかった君に、有能な婚約者を据えた。政務を一緒にこなしてみたらいいと提案したね。共に研鑽していくうちに、変わってくれると思っていたんだ。でも君は、アイシャ嬢にすべて丸投げした。どこぞの男爵令嬢にうつつを抜かしてもいたね。君は誠実な婚約者にもなれなかった」
息を呑んだユージーンに、父王は更に続けた。
「有能な部下もつけてあげたね。僕の後釜を担うはずの君には、幼い頃から甘い誘惑がつきものだったからね。ガンダルフはよく守ってくれたよ。決定的な部分で、君を傀儡にしようと企む貴族たちの介入は許さなかった。僕が最も信頼している男の息子……カイトも補佐につけてあげたね。それとなく勉学に励むよう、政務をこなすよう、促してくれたようだったけれど。君は変わろうとしなかった。ふたりは結論を出したようだよ。君は生来の特質として怠惰なのだと。王の素質が疑われる、と」
驚きの事実に、ユージーンは思わず背後を振り返った。
「お前たち。僕を裏切っていたのか」
主から投げかけられた言葉に、控えていたふたりは静かにかぶりを振った。
「裏切ってはおりません。殿下」
「自分たちは、王子が立派な王になることを願ってましたッス」
「何度もお声がけしました。それでいいのかと」
「何度もお止めしたッス。そんなのは意味がないと」
「……でも、あなたは聞き入れてはくれなかった」
「ユージーン」
父王からの呼びかけに、ユージーンは体を震わせた。
「アイシャ嬢に暗殺者を放ったんだって?」
「そっ、それは……! 僕じゃありません。取り巻きが勝手にやったことで」
「だとしても、君の管理責任だ。彼女は無事だったようだよ。間違いが起きなくてよかった。彼女が我が国の王子に殺されたと知れたら、どれだけの方面に影響が出るか」
「あ、あの女にそんな価値があるわけ……」
「アイシャ嬢の重要性をまるで理解できていないんだね。……残念だよ。せめて、歩み寄りの姿勢を見せてくれたらよかったんだけどね。どうしてこうなっちゃったのかな。ユージーン、君がこうなってしまう前に、手を差し伸べられたらよかったんだけど」
父王はゆっくりと立ち上がると、ユージーンに背を向けた。
「これは僕の罪でもある。現実は受け止めるつもりだけど――僕は王だ。民草のために生涯を捧げている。彼らの生活を守ることが第一だからね。君のことは……諦めるべきなのかもしれないな」
そのまま部屋を出ていく。取り残されたユージーンは、扉の閉まる音が持つ残酷さに、思わず頭を抱えてしまった。
父王と別れた後、ユージーンはしばらく私室で呆然としていた。人払いを済ませ、なにもする気が起きないユージーンは、ベッドに腰掛けて項垂れていた。
「どうしてこんなことに……」
もっと勉学に励むべきだった?
もっと真摯に政務に臨むべきだった?
後悔ばかりが募る。けれど、いまさらなにを考えても手遅れだった。
「シャルロッテ……」
真っ白になりかけた頭に浮かぶのは、愛する女の面影ばかり。彼女はいまごろなにをしているのだろう。僕を想って泣いているだろうか。……会いたい。
すると、サイドテーブルの上に手紙を見つけた。
ああ、あの封筒はシャルロッテが気に入ってよく使っている――
「……ッ!」
縋るように手紙に飛びついた。ペーパーナイフを持つ手が震えている。手紙からは、シャルロッテの香水が香った。普段ならば心を癒やしてくれる香りだ。けれどもそれは、いまのユージーンにとっては残酷なものでしかなかった。
『好きな男ができました。さようなら。 シャルロッテ』
「あ。ああ。ああああああああああああああああっ……!!」
愛する女にすら見捨てられてしまった。
もう終わりだ。なにもかも終わってしまった。
感情の赴くままに室内で暴れ回る。壁に打ち付けられたクッションから羽毛が舞った。贅をこらしたカーテンが破れ、デスクが倒れる。甲高い音を立てて窓ガラスが割れた。
だのに、誰も室内に踏み入ってこない。
ユージーンの孤独を象徴しているようで、ますます心が荒んでいった。
「まだだ。まだ僕はやれる……」
顔を上げたユージーンの表情からは、かつての優男振りは拭い去られていた。
修羅のような顔でこれからの展望を考え続ける。どうすれば、再び父王は自分を認めてくれる? なにか手柄を立てればいいのではないか。そうだ。誰にも文句を言わせないような、そんな手柄さえあれば――!
「……?」
すると、室外が騒がしいのに気がついた。
不思議に思って扉を薄く開けると、兵士らしき男の声が聞こえてくる。
「王都の貯水湖にて、魔物の大量発生を確認……! 早急に対処を!! このままでは、魔物が王都になだれ込みます!」
その時、ユージーンの脳裏に浮かんだのはかつての父王の姿。
他国からの侵攻を防ぎ、観衆から喝采を浴びる姿だった。
「……これだ……!!」
まさに天啓と言える出来事。
歪んだ笑みを浮かべたユージーンは、私室を飛び出していった。
たった一ヶ月間の出来事だったんだなあとしみじみしてる作者です
いっぱいやったったな!王子!




