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92 麗華の気持ち

 麗華は、自分の部屋の真ん中で木製の椅子に座っていた。そして窓のカーテンの間から差し込む光をじっと見つめているのだった。白い壁に取り付けられた円形の時計がカチッカチッと規則正しい音を立てている。小鳥のさえずる声がしきりに外から聴こえてきていた。


 麗華は、朝が来た、と思った。しかし今までの日常とはまったく変わってしまった朝だ。一年前、姉が首を吊った時から麗華の人生のすべてが変わってしまった。父と兄が殺され、死んだはずの姉が不死鳥のように生き返り、兄の死を嘆いていた母が自ら命を絶って、赤沼家の内情はこの短い期間にすっかり変わってしまった。麗華はただ茫然とする他なかった。


 母の遺書を警察署で読んだ時、麗華は自分の未来にはなにも残されていないと思った。すべての悲劇を巻き起こした母を恨むことはできなかった。もし母を恨もうとしたら、ますます赤沼家の内部の腐敗は強調され、その未来は救いがたいものになってしまうように感じられたから。ただ……。

(すべてを失ったわたしに、これからどんな未来が待ち受けているの……?)


 麗華には、自分の明るい未来を想像することができなかった。父も兄も母もいない麗華には、これから赤沼家を立て直す気力など湧いてくるはずがなかった。泣き疲れて腫れ上がった瞼からはもう一滴の涙も出なかった。


 麗華は窓の外を見つめた。ベランダの鉄柵が見えた。一年前、ベランダの鉄柵にぶら下げった姉の無惨な姿を麗華は今でも覚えていた。

(わたしもあそこに行けばいいのかな……)

 麗華は一瞬そう思うと、取り憑かれたように椅子から立ち上がった。そして窓の近くへと静かに歩み寄った。このカーテンの先に自分の行くべき世界があると思った。生きることを放棄してしまえば心は救われると思った。


 しかし麗華は足を止めた。ベランダの植木鉢にパンジーの花が咲いているのが目に入ったのだ。

(花……)

 その時、麗華は思い出した。かつて姉の琴音と一緒に花をいけたことを、そしてふたりで心を通わした大切な思い出を。

 姉の琴音は不死鳥のように蘇った。それがたとえ鞠奈であっても麗華には変わりないことだった。


 麗華は昨夜、姉と再会して活花の思い出を少し話したのだった。あの時、一緒に花を活けた姉は琴音だったのか、鞠奈だったのか、そのことが麗華は気になっていたのだ。


(ふたりで花を活けたことがあるよね)


 姉はその問いにしばらく答えずに静かに頷いていた。麗華は不安になった。やはりあの時、一緒に語らった姉は一年前に死んでしまったのだろうか。実のところ、麗華は姉の半分はやはり今でも死んだままであることをどう飲み込めばよいのかわからなかった。だから目の前の姉に心を開けずにいたのだ。目の前の人物が、本当にわたしの思い出の中の姉なのか、それともまったく別の姉なのか、それをどう受け止めてよいのか、麗華は答えを探し求めていた。


 しばらくして姉は、以前と変わらない微笑みを浮かべ、

(もう一輪、花を活けてあげましょう……)

 と優しい声で、囁くように言ったのだった。


 それはあの時、麗華が姉に言った言葉だった。それが姉の実際の記憶から出たものであったのか、それとも日記を熟読していたためにつけた嘘であったのか、麗華にはわからなかったが、その言葉を聞いた瞬間から涙が込み上げてきて仕方なかったのだった。

 その記憶に今、麗華は包み込まれてゆくようだった。


(わたしはひとりじゃないんだ……)

 麗華はベランダに出るのをやめた。そしてカーテンの隙間から、ベランダの植木鉢に咲いたパンジーの花が風に揺れているのを、しばらく静かに見つめていたのだった……。

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