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86 遺書

 翌日、早苗夫人の亡き骸が山の中で見つかった。早苗夫人は静かに横たわっていて、その枕元には遺書と記されたノートが置かれていた。それは、麗華当ての遺書であった。


           *


 麗華は、探偵さんのお話を聞いて、わたしのことを残酷で悪魔のような女だと思ったことでしょう。もう母親とも思ってくれないかもしれませんね。確かに、探偵さんの仰る通り、わたしは鞠奈さんを殺害し、夫重五郎を殺害し、実の息子、蓮三までも死なせてしまった張本人です。それをあなたにずっと隠していたことは、ずっと申し訳なく思っています。でも、わたしはこのような悲劇が起こった原因は、重五郎さんにあったと思うのです。あの人が、滝川沙希という女中と結びついて、琴音と鞠奈という子供を産ませてから、すべてが変わってしまったのです。それからというもの、あの人の心はどこをふらふらとしていたのでしょうか。

 あの女が死んだ後も、あの人は、わたしに隠れて滝川家にずっとお金を流していたのです。滝川家の借金はそれで消えて、あの方々は良い生活を送っていたようです。それはあまりにも過剰な行為に思えました。

 そうして、わたしにはあの人が、わたしとの子供である、淳一、吟二、蓮三、麗華より、あの滝川沙希という女の間に産まれた、琴音と鞠奈というふたりの娘の方を、ずっと愛しているように見えたのです。わたしは、あの人の心が滝川家に流れてゆくことが、わたしの子供たちに、いずれとんでもない惨事をもたらすことになる気がしてなりませんでした。それは赤沼家の崩壊というものです。あの人の愛情も、財産も、全て、滝川家に奪われていったら、わたしの子供たちには何が残されてるのでしょうか。どんなことが待ち受けているのでしょうか。取り返しのつかないことになりはしないか、そのことが、ずっとひどく気持ちの悪く思えて仕方ありませんでした。

 わたしは、あの女がすでに死んでいる以上、あの人が滝川家に心を奪われているのは、そこに鞠奈という娘がいたからだと思いました。だから、わたしにはだんだん、鞠奈が赤沼家を崩壊させる悪魔の子のように思えてきたのです。

 わたしは、その頃、鞠奈さんのことを悪魔の子のように思いすぎていたと思います。しかし、わたしの心は常に不安の中にありました。ただ、鞠奈さえ、どこかに消えてしまえば、何かが変わるような気がしました。そして、わたしの心は、そして人生は、鞠奈という存在によって、大きく未来を左右されているというひとつの幻想が組み立てていったのです。もしも、わたしの心がもっと明るければ、こんなことはきっと思わなかった。しかし実際には、わたしの心は、あの人が滝川沙希という女と結びついたその時から、暗く醜く腫れ上がってしまったのです。

 わたしは鞠奈の命を狙うようになりました。そして、その三度目のことでした。日光の観光地で、休憩をしていた鞠奈と鞠奈の親戚の方がそろそろ帰りそうな様子で、椅子に鞄を残して、トイレへと行くところが見えました。わたしは用意していた青酸カリ入りのカプセルを、鞄の中の薬とこっそりすり替えたのです。その帰り道、その二人の乗った自動車は谷底に落ちたということでした。おそらく、わたしのカプセルが効いたのでしょう。

 わたしは、ついに悪魔の子が死んだと思って、長年の苦しみが癒えるようでした。これであの人の心も赤沼家に戻ってきてくれると感じました。ところがしばらくして、わたしはだんだん冷静になるにしたがって、なんて恐ろしいことをしてしまったのだろうと後悔するようになりました。鞠奈を殺してしまったわたしは、もはや自分ではないように思いました。ずっと自分でない誰かがわたしのふりをして生きていたのだ、と心の底から恐ろしくなりました。

 それからです、わたしの心の中に、ずっとその時の罪悪が露見する恐怖が付きまとうようになったのは。そして、わたしは平常心を装うのに必死でした。偽りの仮面の裏側に自分の本性を隠すことに、わたしはただ夢中になっていました。

 ところが、その十四年後、わたしの罪悪を明かそうとする人間が現れた。いや、そうではない。わたしの罪悪の原因である張本人が、生き返って、わたしの目の前に現れたのです……!

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