71 盗まれたふたつの革靴
地下室からは、犯人の決定的な証拠となる指紋は検出されなかった。また地下室から発見された出刃包丁は、重五郎殺害の凶器であることが判明した。
しかも、それは料理人の井川の所持品であることがだんだんとはっきりしてきた。井川は複数の包丁を所持しているので、この包丁が無くなっていた事実に気が付かなかったということであった。さらに包丁の指紋は綺麗に拭き取られていて、これも犯人特定の証拠にはならなかった。
また青酸カリが入っている小瓶からも指紋は検出されなかった。
根来はこのことに、すっかり落胆したようであった。包丁や青酸カリの小瓶が、犯人特定の決定的な証拠になると思っていたからである。
しかしこの時、羽黒祐介の頭にはある推理が出来上がっていた。しかし、その推理をより精密に仕上げる必要があると彼は考えていて、根来を通じて、さらに複数の情報を集めようとしていた。助手の室生英治は、祐介がどのような推理を組み立てているのか、非常に気になっていたが、祐介がそれを明かすことはなかった。
そうした時期のことであった。淳一が根来を呼び出したのは。祐介も根来から連絡を受けると民宿から飛び出して、すぐに赤沼家の本邸に駆けつけた。淳一は人目を気にしているように、根来と祐介を自分の部屋に招き入れた。
「今まで、気づかなかったのですが、無くなっているものがあることに気づいたんです……」
淳一が怪訝そうな表情で、首を傾げながら言った。
「一体、何が無くなっていたのです……？」
と根来が淳一に尋ねた。
「革靴が……二足ほど……」
「革靴ですって……それも二足……？」
根来はわけが分からなそうに呟いた。
「非常に気に入ったものだったので、二足まったく同じものを購入して、玄関ホール横の下駄箱の奥の方に入れておいたのですが、先ほど見たらそれが両方とも無くなっていたんです。それで、確かに一度目の事件の前には、下駄箱の中にあったと思いましたので……一応」
「犯人が盗んだと言うのですかな……」
「それはわたしには分かりませんが……」
「ううむ……」
根来が悩んで唸っていると、祐介がなにか考えているらしく顎に指を添えて立っていた。あの重五郎殺害事件の起こった頃、二足、同じ革靴が何者かに盗まれた。それは一体、何を意味するのか。祐介はすぐさま淳一に質問した。
「その靴のサイズは……？」
「26.5センチです」
「26.5ですね……。すると淳一さん、あなたの足のサイズも……」
「当然、26.5ですね」
淳一は祐介が言い切らぬうちにそう言った。
「すみませんが、足を見せていただけますか？」
「足ですか……？」
淳一は、その言葉が薄気味悪く感じられたらしく、祐介をまじまじと見つめていたが、刑事である根来の手前、渋々、靴と靴下を脱いで、足を祐介に見せた。
祐介はその足を興味深そうに観察して、
「分かりました。もう結構です」
と言った。
ふたりが淳一の部屋から出ると、根来は小声で祐介に語りかけてきた。
「一体どういうつもりだ、足なんか調べて」
「彼がサイズの違う靴を履いた形跡がないか、足を確認したんです。しかし、もう最初の事件から二週間近く経とうとしていますから、足を見てもはっきりしませんね」
「なんだ、靴擦れのことを言っているのなら、事件直後に容疑者の足の寸法を測って、その時に確認したよ」
「本当ですか……」
祐介は、きらりと光り輝く瞳で、根来を見つめた。
「ああ。殺害現場のアトリエは雪の密室だっただろ。あの時、足跡の問題が浮上したんで、現場に残っていた足跡が一体誰のものか、ひとつひとつ確認する必要があったんだ。サイズの違う靴を履いたなら、なんらかの痕跡が残っている可能性があるのでね……」
「その資料を読ませていただけますか……？」
「ええ、すぐにお渡するよ。しかし、何か閃いたのか？」
「まだ推測の段階ですが……」
祐介はそれ以上のことは言わなかった。探偵というのは自分の考えが完全に正しいという確信を得るまでは人に喋らないものなのである。そのまま、二人はこの赤沼家の本邸をあとにした。
＊
その日の内に、根来からメールで次の資料が送られてきた。
靴のサイズ 靴擦れその他
赤沼重五郎 26.0 なし
赤沼早苗 23.5 なし
赤沼淳一 26.5 なし
赤沼吟二 27.5 なし
赤沼蓮三 26.5 なし
赤沼麗華 24.0 なし
赤沼琴音 23.5 なし
赤沼由美 23.5 なし
赤沼真衣 23.5 なし
稲山文蔵 26.0 なし
井川哲彦 28.0 なし
長谷川瑠美 23.0 なし
村上隼人 26.5 不明
滝川真司 27.0 不明
