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70 お城の地下室

 その頃、赤沼家の人々は、琴音が生きていたということを警察署からやってきたひとりの刑事から知らされて、皆、理解が追いつかない為にひどい混乱を生じていた。


 応接間でその話を聞いた後、早苗夫人は自分の部屋で寝込み、吟二は興奮して感情的になって部屋の壺を叩き割り、淳一は人とまったく会話をしなくなり、麗華は姉に会いたがって泣き喚き、稲山はどうすることもできずにおろおろしていた。

 赤沼家の人々の間には、琴音が生きて帰ってきたという喜び以上に、一連の事件の犯人は琴音だったという直観的な説が病魔のように蔓延し、強く信じられてしまったために、よりひどい困惑に陥っていたのである。


 根来と祐介が、赤沼家の邸宅に訪れたのは、その日の午後九時を過ぎた頃であった。根来と祐介が玄関のベルを鳴らすと稲山執事が出迎えた。


「琴音さんの部屋を見せていただけますかな」

「琴音お嬢様のお部屋ですか……?」

 玄関ホールで、稲山は困惑したように根来に聞き返した。

「ええ、是非とも見せていただきましょう。一階にある部屋だとお聞きしたのですが……」


「分かりました。こちらです……」

 根来と祐介は、稲山に案内されて、美しい骨董品の壺の並ぶ廊下を歩いて、琴音の部屋に向かった。根来は琴音の部屋のドアを開けて室内へ入る。そこは左側にベッド、右側に本棚と机が並んでいる掃除の行き届いた綺麗な部屋だった。一年前から時間が止まってしまったようでもある。

 ふたりはその部屋の床をじっと見つめる。本当にこの下に、秘密の地下室などあるのだろうか。


「すみませんが、少し調べものがあるので外に出ていて下さいますか」

「分かりました……」

 捜査に邪魔な稲山をしっしと追い払うように外に出すと、根来と祐介はすぐさまその部屋の床を調べ始めた。


 フローリングの床を端から調べていくと、床はある部分を境にして、色が少しだけ色褪せたように変わっていた。まさか、これが地下室の入り口なのではないか、と祐介と根来は顔を見合わせる。

 よく見るとそのフローリングの床の端っこに少し床が欠けて隙間が空いている部分があった。そのわずかな隙間に根来は指を入れて、床を持ち上げようとすると、まさしく正方形の一枚の床が、扉のようにぱっくりと上に開いたのである。

「おい、本当にあるぞ……階段だ」

 根来は驚きの声を上げた。


 床の開いた扉の下には、暗い暗い地下の底へと長い階段が続いているのだった。そして、その先は完全な暗闇であった。根来と祐介は用意してきた懐中電灯を取り出して、その光を暗闇の中に差し向けた。その光は、舞い上がる無数の埃を映し出し、階段の下に鉄の扉が鈍く輝いているのを明らかにした。

「降りるぞ」

 根来はそう低い声で言って立ち上がった。


 ふたりはその暗い階段を降りて行った。十五年前、琴音がこの階段をひとりで降りて行ったように。ふたりが階段の下に着くと、壁にスイッチがあって、それを押すと白熱灯のランプがぼうっとともった。


 そして根来は、目の前の冷たい鉄の扉を押し開いた。根来と祐介は地下室がどうなっているのか覗き込んだ。室内は暗くてはっきりと様子が見えない。根来はすぐさま側の壁にやはり電灯のスイッチがあるのを見つけて、それを押した。天井から吊るされた丸い電灯に赤みを帯びた灯りがともった。


「あっ……」

 根来は思わず声を上げた。電灯の灯りによって部屋の全貌が明らかになった。部屋は長方形で奥には組み立て式のベッドがあった。そして、その枕元には小さな丸いテーブルと椅子、壁には棚が立てかけられていた。だが根来は決してそのことに驚いていたわけではない。


 根来が驚いたことは、地下室の床の中央に、黒い血がべっとりとこびりついた出刃包丁と、小さな瓶が置かれていたことであった。


「なんてこった……こりゃ……第一の殺人の凶器じゃねえか……それに、これは青酸カリの瓶だな……」

 根来は凶器を見下ろしながら震えた声で言った。


「犯人もこの地下室を利用していたんですね」

 と祐介が腕組みをしてあたりを見まわしながら言うと、

「おかしいじゃねえか。この地下室の存在を知っていたのは、琴音と鞠奈と重五郎の三人だけじゃねえのか……」

 と根来は祐介に振り返りながら唸り声を上げる。


「そうとも限りませんよ……」

 根来がだんだんと、ため口になってきていることに祐介は違和感を抱きながら、

「犯人がこの赤沼家の人間であれば、琴音さんがいなくなってからは、誰でも琴音さんの部屋に入ることができたのですからね。この地下室の存在に気づくチャンスは誰にでもあったと言えるでしょう」


「まあな……よし、すぐに、この凶器の指紋とこの部屋の指紋を調べることとしよう」

 根来はそう言って満足げに頷いた。これが決定的な証拠になるかもしれないと思ったからである。

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