57 三度目のフラッシュバック
わたしにとって、この夜は深いため息が白くくもるほど寒いものに感じられた。妹の麗華はどこか、わたしの気持ちを察してくれているように寂しげだった。隼人さんとの結婚はこの夜の闇に消えていくようね、とわたしが麗華にぽつりと告げると、わたしの代わりに彼女は涙を流してくれた。すべてが虚しい雪のように溶けてゆく。この冷えた感情も何の意味もなさずに、ただ思い出の一欠片となるだけだと昨日、悟ったのだった。
新しい結婚の話、けして悪い話じゃない。でも、そこに何の愛があるというのかしら。幸福というのは外から見えるものじゃない。ただ外面ばかりの人生だったけれど、それでも真実の愛を求めてかけ走った数年間が一瞬で破れて、雪のように消えていった。
今夜は、お父さんがわたしに言ってくれた言葉があった。「違う形の幸せもあるよ」とお父さんは言った。でも、そんなものはない。違う形の幸せなんてありえない。
この目の前のバルコニーから、外の暗闇を見つめていたら、何かが見えてきそうな気がして、涙を流しながらずっと見つめていた。山並みは黒い影、鉄柵が冷たく光る。それでも、わたしには何も見えなかった。
ところが、わたしの首に、今まさに、後ろから、ロープが。
(助けて!)
わたしは首を絞められた。誰。今、首を絞めているのは一体。誰なの。お願い。離して。わたしの人生はこんなものではない。こんなことで終わってしまう人生ではないわ。
わたしを殺そうとしている誰かが。わたしのことが憎い誰かが。わたしの命尽きるのを喜ぶ誰かが。その誰かが今わたしを地獄に突き落としてしまう。
わたしの人生は偽りだらけ。本当のわたしは。本当のわたしは琴音ではない。琴音なんかじゃない。
(助けて!)
わたしはずっと影法師だった。わたしは死ぬ時も琴音のまま。でも、わたしは琴音じゃない。死んだ後までわたしは琴音の影法師。誰か。わたしは琴音じゃない。わたしはわたしとして生きたい。生まれた時から死ぬ時まで。死んだ後も。ただ滝川鞠奈として生きたかった……。




