56 村上隼人の絶望
羽黒祐介は、警察署で村上隼人と面会することとなった。根来は、羽黒祐介なら村上隼人を落とすことができると信じていたのである。それは無実を証明するものであるから、一般的な「落とす」とは反対の意味を持っていた。祐介は、この警察署にたどり着くまでにいくつかの推論を立てていた。そのうちで、もっとも可能性のあるものを本人に突きつけて、確かめてみようと思っていたのである。
祐介が警察署の取調べ室に入ると、村上隼人は、少しばかり血の気が引いた悪い顔色で、鬱々とした表情でうつむいていた。見ればその美しい顔にもずいぶんと深い影が差している。祐介は、村上隼人が座っている椅子の前の椅子に腰掛け、目の前の机に腕を置いた。
「お久しぶりですね、村上さん」
「…………」
「探偵の羽黒祐介です」
「…………」
「あなたがこのような行動に打って出たことには大変、驚きました」
「探偵さん……」
何も語らないかに思えた村上隼人が顔を上げた。
「………わたしは重五郎さんと、蓮三さんを、殺しました……」
「…………」
祐介は黙ってそれを見ている。祐介は口を開いた。
「どうでしょうね……」
祐介は立ち上がった。そして言葉を続けた。
「あなたが重五郎さんと蓮三さんを殺害するのは不可能だ。あなたにはアリバイがあるじゃないですか」
「それはトリックを使ったのです」
「どんな……?」
「………」
隼人は何も言わなかった。答えられるトリックなど持ち合わせてなかったのだから。
祐介はじっとその姿を見つめていた。隼人の困惑した表情をみて、もう隠し続けることが無益であることを告げてしまおうと思った。そうでなければ、この隼人も決して救われないのである。
「隼人さん……」
「……わたしが犯人です」
「いいや、あなたは犯人ではない……」
祐介の声が静かに響いて消えた。そして、祐介は言葉を続けた。
「あなたは今や、自分のアリバイを証明してしまったことを後悔されているようだ。あなたは初めからアリバイがあったにも関わらず、それを隠して、我々から逃げ続けていました。なぜなら、あなたにとって、アリバイはあってはならないものだったのだから。もしものことがあったら、すぐに自分が真犯人の代わりに罪を被ろうとしていたのです……」
隼人は、恐ろしいものを見るように祐介を見上げた。
「あなたは以前から、赤沼家のある「驚くべき秘密」に気づき始めていました。もしも、それが事実であれば自分が犯人の代わりに罪を被る、そうあなたは考えていました。そのあなたが突然、京都でのアリバイを持ち出して、この赤沼家の本邸に現れたのは、赤沼家で現在起こっている惨劇を調査することで、その秘密が明らかになると考えたからでしょう。あなたが我々の前に姿を現わすには、自分の無実を証明するアリバイが絶対に必要だった」
隼人は魂の抜けた顔で祐介を見つめている。
「あなたはアリバイがあるから犯人ではない。では、あなたが罪を被ろうとするのは一体誰のためですか。あなたは淳一さんや吟二さんの為にこんなことをするはずがない。早苗さんのためでもありません。麗華さんでもない。もちろん、稲山さんなんて論外だ。では誰なのか。あなたが愛している人のことを、我々はよく存じております」
そして震える隼人の耳元で、祐介はある名前を告げた。
隼人はついに絶望の淵に立った。彼はしばらく放心したように机の上を見つめていた。しばらくして突然、悲鳴のような悲痛な叫び声を上げたかと思うと、そのまま机に突っ伏して涙をひたひたと流した。祐介は、その様子を憐れむかのように時が経つのも忘れて見つめていたのだった……。




