38 またしてもアリバイの問題
怪人が出現した翌日の朝、羽黒祐介と室生英治は赤沼家の邸宅に呼ばれた。呼び出したのは麗華だったが、祐介が邸宅に到着した時、玄関ホールに麗華の姿はなく、警察官たちが歩きまわっているばかりだった。そして既に根来刑事と粉河刑事が到着していると知らされたのだった。
根来は玄関ホールで祐介を見つけると、駆け寄ってくる。
「ああ、羽黒さん、お待ちしておりましたよ」
「昨晩、怪人が現れたのですね」
「ええ、もう大方調べ尽くしましたが、今のところ赤沼家の方で盗られたものもありませんし、勿論、危害をくわえられた人もいないようです」
「すると、犯人はいかなる目的をもって赤沼麗華の前に姿を現したのでしょうね」
根来は腕を組んで少し考え込んでから、
「ううん……、やはり愉快犯なんでしょうなぁ。第一に麗華さんの部屋の窓をノックして、自分のおぞましい姿を見せつけたのですから、これはもう完全に愉快犯だといえるでしょう」
「赤沼家の人々に恐怖を植えつける為に、ですか?」
「そう! 私はまさにそれが言いたかったんですよ。赤沼家の人々に恐怖を植えつける、ね……。犯人は当然ながら赤沼家に恨みをもつ者ですから、赤沼家の人々を恐怖のどん底に落とすことにそれこそ異常な喜びを感じるのでしょう。今回の犯行もそのひとつの現れですよ」
根来はそう言い切るとさも満足そうに頷く。
「なるほど、それで……」
「それで……?」
祐介はあたりを見まわして小声で囁くように、
「赤沼家の人々のアリバイはどうだったんです……?」
「えっ……、それじゃ羽黒さん、あなたまで赤沼家の人間の犯行だと疑っているのですか。でも赤沼家の人間には全員、重五郎殺しのアリバイがあるんですよ……」
「それはそうですが……、すると、今回のアリバイは調べてないんですか」
「いえいえ、ちゃんと調べてますよ、勿論……」
根来は祐介に反論されている気がして、不服そうに言った。
「麗華さんが窓の外に怪人を見つけた時、直後に反対の廊下側から稲山執事が現れ、隣の部屋から早苗さんがやって来ていますから、まず彼らにはアリバイがありますし、その後、早苗さんと麗華さんが廊下に二人で留まっていた頃、外で稲山執事が怪人を発見して追いかけていますから、まずこの三人のアリバイは確実なものでしょう。しかし、淳一、吟二、蓮三の三兄弟と淳一の妻由実と、吟二の妻真衣、そして使用人の長谷川瑠美と料理人の井川行彦の七人はこの時、二階で寝ていたそうでアリバイはないのです」
「早苗さんの部屋は一階にあるのですか」
「ええ、そうなりますね」
「稲山さんの部屋は?」
「確か二階ですね」
「稲山さんは駆けつける前には一階にいたのでしょうか。だって、彼は二階で寝ていた人にはことごとく聞こえなかった悲鳴をただ一人聞きつけて真っ先に駆けつけたのですよね……」
「うん……それなんですが、なんでも彼は昨晩のその時刻、寝つけずにひとりで一階の廊下を歩いていたらしいです……」
「………」
「何ですか、羽黒さんは稲山さんのことを疑っているんですか。しかし、彼は麗華さんが窓の外に怪人を見つけたその直後に廊下側から現れているんですよ」
「ええ、そうですね……」
「羽黒さんも少し勘ぐりすぎるところがあるようだ……」
そう言って、根来は少し笑った。
「私の部下の粉河にも似たところがありましてね……。やはり粉河も、赤沼家の人々の中に犯人がいるのではないかと疑っているのですよ」
「それはどのような根拠で……」
「村上隼人犯人説が信じられないからだそうです」
根来はちらりと粉河を見る。粉河は罰が悪そうに黙っている。祐介は、根来が一度諦めかけた村上隼人犯人説を再び推していることに驚きを感じた。
「しかし、村上隼人には実際に殺人予告状が置かれていた朝のアリバイがあるのでしょう?つまり京都にいたのですから……」
「そうも思いましたが、最近、共犯者がいるのだと考え直しました。やはり、動機から言って、村上隼人ほど有力な容疑者はいない……」
「まだ彼は連絡が取れないんですか……?」
「ええ、旅好きの風来坊ですよ。それか……」
逃亡しているんですよ、と根来は口では決して言わなかった。しかし祐介を見る根来の目が如実にそれを語っていた。




