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26 吟二はショパンを聴いていた

 次に応接間に呼ばれた吟二にも、アリバイらしいアリバイはなかった。やはり、彼も食堂で行われていた年越しパーティーに参加したとはいえ、ずっとその場にとどまっていたわけではなかった。

 つまり、吟二にも重五郎の殺害は可能だったのである。ところが、結局のところ食堂にいた彼らのことごとくが、のちになってアリバイが成立することになってしまうとはこの時、根来にはまったく予想もできなかった。


「それで、早苗夫人の悲鳴がした時、あなたはどこにいらっしゃったのです?」

「わたしはその頃、ちょうど自室にいたと思います。パーティーがつまらなかったから、自室に戻って、ヘッドホンをして、音楽を聴いていたんですよ」

「ほお、それでは悲鳴は聞こえなかったわけですね」

「そうなりますね」

「ちなみに何の音楽ですか?」

「そんなことまで聞くんですか、警察は」

「ええ、ちょっと気になりましてね」

 これは根来のよく使う手だった。彼が嘘をついているのであれば、どんどん掘り下げて聞いていけば、必ずぼろが出るというものである。


「ショパンのノクターンですよ」

「それは名曲ですな。クラシックですか。しかし……」

 根来は少し引っかかって、眉をひそめて、

「とても静かな曲だという印象があるのですが」

 と言った。

「何が言いたいのですか」

「ショパンのノクターンを聴いていたから、早苗夫人の悲鳴が聞こえなかったのですか、本当に」


「私のヘッドホンは防音がしっかりしているし、私の部屋は二階の、それも玄関からもっとも遠い部屋ですよ。例え聞こえたとしても、聞き間違いだと思うでしょう。まあ、それすらもわたしの耳には聞こえなかったけれど……」

 吟二はそう言った後、いかにも腹立たしそうに、

「失礼ですね」

 と付け加えた。

「ええ、警察の仕事は失礼なことばかりですよ。何しろ、全ての人間を疑ってかかるのですからね」

「そうでしょうね」

 吟二はひどく苦々しい顔をして笑った。それがかえって心底腹が立っているのを我慢していることを感じさせた。


「琴音さんのことを聞いても?」

「琴音が今回の事件と関係あるのですか?」

「それはまだ何とも言えませんな」

「では、言いたくありませんね」

「困りますな。あまり協力的でないとあなたがかえって不利になりますよ」

「ふん。そうですか。でも、私が知っていることは、他の人間が語ったことと大して変わらないでしょう。そして、一年前に語ったこととも同じ。琴音は母の子供ではない。そして、その出生は赤沼家の重大なスキャンダルだった。そして、村上隼人という青年との結婚を父や兄によって拒まれ、失意の内に自殺した可哀想な妹、それが琴音だ……」


「村上隼人という青年と別れたことが、彼女の自殺の動機だったというのは、あなたが最初に言いだしたことですね?」

「そうかもしれません。でも、考えれば分かるでしょう? 父や兄はバツが悪いから自ら言い出さなかっただけですよ」

「そうなんですかね。私にはそこまで断定できませんが……」


「そうなんですよ。あいつらはね、血も涙もない人殺しなんだ……」

 吟二が苦々しく呟いたその一言には、根来を思わずギョッとさせるほど、深い憎悪に満ちた凄みが感じられた。

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