救出
「……なるほど」
サリーナに追い出される形でハデスト帝国に送り出されたソフィアは、ハデスト帝国に到着してすぐ影のメンバーと合流し、今までの経緯を詳しく聞いていた。
「騎士に捕まったという情報は入っていないし、死体が発見されたという話も聞いていない。逃げ果せた可能性は高いが、ここ数日雨が続いていたからどこかに隠れて凌いでいたかもしれないな」
「……」
話を聞くにつれてソフィアの表情が険しくなっていく。ソフィアとクレイズの複雑な関係を知っているメンバーは、なんだかんだ言ってもやはり心配なのだなと納得し、心配げにソフィアを見つめる。
なんと声を掛けるべきか思案していたメンバーの一人が勇気を出してソフィアに声をかけようとした瞬間、ソフィアが盛大に息を吐き出した。突然のことに周りの者達はビクリと小さく肩を揺らす。
「ソ、ソフィア?」
「地図上に何処を調べたかと、何処で会合をしてたのか。あと、今わかっているクレイズ様の逃走ルートを書き出してくれる?」
「あ、ああ」
テーブルの上に広げられた地図に皆が書き込んでいく。黙ってそれを睨みつけるように眺めていたソフィアは、皆が書き終わると同時にパッと顔を上げた。
ソフィアの様子から何か浮かんだのだと察したメンバーは静かに言葉を待つ。
「……確認してほしい所があるわ」
ソフィアは地図上の数カ所を指差し指示を出す。軽く言葉を交わし合うと、皆は音もなく散り散りにその場を後にした。
冷たい空気が肌を刺す。表面はひんやりと冷たいが、身体の内側はじんわりと熱い。どくんどくんと煩いほどに心臓が叫んでいるのは、決して走り続けているからではないだろう。
ヘルムリクトがハデスト帝国との国境沿いの街ということもあり、ソフィアがハデスト帝国の首都近くに到着したのは出発して一日が経過した頃だった。身体を動かす任務は久しぶりだった事もあり、さすがに一日中走り続けることは叶わず、何度か休憩をとらなければならなかったが、この一日で状況は変わらなかったようである。それを喜ぶべきかは正直微妙だ。
ソフィアの目指す先は森だ。首都を囲む塀にはいくつかの抜け穴がある。もちろん『影』が使う穴だ。他国には知られていない。クレイズはその穴から首都の周りにある森に逃げ込んだようだ。
ハデスト帝国に潜入していた頃、クレイズはよく『救世主』としてその森で魔獣を狩っていたし、ソフィアと共に仕事をするようになってからは身を隠すために度々利用していた。下手に首都の中を逃げ回るよりも見つかる確率は格段に下がるだろう。
ただ一つ気がかりなのはクレイズの状態である。クレイズは能力を使った後、決まってグッタリとしていた。たくさん聞こえてくる心の声の中から必要な声を見つけるだけでも相当大変なはずだ。精神的疲労が重なれば尚のこと身体に負担がかかるだろう。
そこに逃亡が加わわるのだ。今だに連絡がないことを考えると、状況は思わしくない。
「何やってるのよ、ほんと」
ソフィアは腕を組み、鮮やかな青髪を靡かせながら鋭い視線を向けてくるクレイズを思い出し、顔を歪めつつ毒突いた。
何が俺がやる、だ。やっぱり失敗したじゃないか。これなら自分が動いた方が遥かにいい。失敗なんてしないし、仲間の手を煩わせることもない。
僅かに震える指先をソフィアはぎゅっと強く握りしめる。前を見据えていないと、走っていないと、身体から力が抜けてしまいそうな気がした。
足元から襲ってくる恐怖。この恐怖の意味をソフィアは知っている。知っているからこそ、なるべく難しい仕事はソフィアが一人で請け負ってきたのだ。
それなのに、今ソフィアにこの恐怖を味合わせているのは他でもない、クレイズなのだ。クレイズがソフィアから仕事を奪おうとした理由を本当はソフィアも理解していた。理解していて尚、見ないフリをしてきた。その結果が、もしかしたらこれなのかもしれない。
「……サリーナが呆れるわけだ」
こんな状況に陥るまで自分にすら素直に向き合えないのだから。
「なぁ、ソフィア。こんなところに隠れるところなんかあるのか?」
「まさかこの広い森をしらみ潰しに探す、なんて言わないよな?」
ソフィアの後ろを付いて走る影のメンバーが辺りを見回しながら問いかける。木々が生い茂る広い森から一人の人間、ましてや身を隠している人間を見つけ出すのは至難の技だ。彼らの心配もよくわかる。
しかし、ソフィアは足を緩める事もなく、ひたすら森の中を駆け抜けていた。途中、大型の動物と遭遇したが瞬殺である。ソフィアの眼に映るのは、青々と茂る森の奥だけだった。
ソフィアの足が突然止まる。慌てて後続も足を止めると、目の前の光景に「うわぁ」となんとも言えない声を出した。皆の前には暗くて先のよく見えない藪が、まるで人を拒絶するかのように現れたのである。
「もしかして?」
「行くよ」
「了解」
彼らにとっては藪を抜けるくらい朝飯前である。何もないところを走り抜けていた時と大して変わらぬスピードでスルスルとぶつかる事なく抜けていく。だが、運動が得意というわけでもない魔術師が抜けるとなると、無傷という訳にはいかないだろう。藪を抜けるだけで、かなり体力を消耗する。すでに満身創痍であれば尚更だ。それでもこの藪の中に入ろうとするということは、その先に何があるか知っているからとしか考えられない。
どれぐらい奥へと入ったか。それは薄暗い藪の中にポツンとあった。小屋というにはあまりにも汚くボロい。なぜこんなところに作ったのかと疑問を抱きたくなるほどだ。
他の者達は、こんなところにこんなものが、と半ば感心するように小屋を見つめていたが、ソフィアが駆け出したことで我に返り、後に続いて小屋へと近づく。
ソフィアはドアとは表現し難い板の取っ手を掴むと勢いよく引いた。見回す必要などないほど狭い小屋の中、蹲るように横たわる人影を見つけスッと血の気が引く。
「クレイズ様っ!」
急いで駆け寄ったソフィアは頭の下に手を入れて軽く持ち上げると、顔を隠すようにかかっていたローブを剥ぎ取った。現れたのは血の気はなく、至る所に傷を負ったクレイズで、ソフィアは咄嗟にクレイズの口元に手を当てる。
「……微かに息は、ある。でも、冷たい」
そっとクレイズの頬に手を添える。色の白い肌は凍えるように冷たく、ピクリとも動かないせいで美しく整った顔も合間って、まるで人形のようだ。鮮やかな青色がより鮮明に見える。
「クレイズ様、クレイズ様っ!」
ソフィアの呼びかけに応じる気配はない。
「まずいな」
ソフィアの耳は仲間の声をめざとく拾った。ばっと勢いよく振り返ったソフィアの目の前に彼らが着ていた上着が差し出される。
「まずは身体を温めてやるべきだ。今の状態では薬も飲めない」
「っ!」
ソフィアはハッとした。普段のソフィアならそんなことを言われなくてもすぐに判断し動き出しているはずなのに。冷静さの欠けた自分にソフィアは驚きを隠せない。
「まず、その濡れた服を脱がせ」
「う、うん」
ソフィアは急いでローブを剥ぎ、濡れた服を脱がし始める。上着を脱がせば薄暗い小屋の中では眩しく映るほどに白い肌が露わになる。魔術師のわりには鍛えられている身体。しかし、今のソフィアにそんなものを眺める余裕はなかった。
軽く身体を拭き、影のメンバーから渡された着替え用の服をクレイズに着させる。若干大きいがそんなことはどうでもいい。幾重にも上着を着させ、ソフィアがズボンに手をかけた時、後ろから「待った」がかかった。
「なに?」
「いや、そこからは俺がやろう」
「なに急に」
「意識がないとはいえ、さすがに好きな女にされるのは……なあ?」
「はあ?」
意味のわからないことを言い出したメンバーをソフィアは睨みつける。しかし、他のメンバーも変わってやれと言うので、ソフィアは渋々場所を変わった。
今回の任務でクレイズと共に動いていたのは彼らである。もしかしたら仲間意識が芽生え、クレイズの身を案じていたのかもしれないとソフィアは思い直した。
だが実際は、ソフィアの店に訪れていた彼らが全く気づかれていないのに献身的にソフィアに尽くすクレイズを見て、若干同情していたというだけの理由で、好きな女に自分の知らないところでズボンを脱がされるのは男として可哀想だという、同じ男としての気遣いでもあった。
「これでよし。衰弱は激しいが、医者に見せて安静にしていれば大丈夫だろう。急いで運ぶぞ」
「「了解」」
メンバーの中で一番大柄で力持ちの男がクレイズを抱き上げるのを横目に、ソフィアはホッと息を吐く。
『大丈夫』その言葉に救われた気がした。今だに心臓の音は煩く、指先に痺れるような感覚が残っている。なんだか目頭も熱い。
さらっと青い髪が揺れ、クレイズの顔が見える。引き寄せられるように近づいたソフィアは、確認するように一瞬だけクレイズの両頬に手を添えると、寒くないようにローブの帽子を深くかぶせ直した。
「行くぞ」
「うん」
ソフィアの動きを黙って見守っていた仲間達に促され、ソフィア達は小屋を後にする。来た時とは反対に最後尾を走るソフィアは、安全な所にたどり着くまで、クレイズから目を離すことはなかった。
ヒロインとヒーローが逆転しているような……。
もちろん、ヒロインちゃんの運ばれる体勢はお姫様抱っこに決まってるよね!
「怪我人を担がなかっただけ有難く思え!」 by大柄な影のメンバー




