兄の説教
「……じゃあ二階に上がって」
突然誰かが来て聞かれてしまっては不味いから、とソフィアが階段を指差した。小さく頷いたライルが歩き出す。その後にクレイズが続こうとするのをソフィアは進路を塞ぐようにクレイズの前に立って止めた。
「なについて来ようとしてるの。今日は片付けはいいから帰っていいわ」
「俺も話を聞く」
「貴方は『影』じゃないでしょう」
バチッと二人の間で火花が散ったようだった。お互い睨み合う形で譲る気のない二人の間に入ったのはライルだ。
「んなことで睨み合うな。聞かれても構わないしな」
「でも!」
「セルベト様がそうおっしゃっていた」
「……」
そう言われてしまえばソフィアにライルの言葉を覆すことはできない。僅かに顔を伏せ唇を噛んだソフィアの頭にポンポンッと優しくライルの大きな手が乗る。ライルはソフィアの気持ちがわかっているようだ。こういう気配りがライルは子供の頃からできていた。だからこそ教会で育った子供達の兄的存在なのだ。
静かにライルの誘導に従って二階に上がっていくソフィアをクレイズは黙って見つめていた。
四人が台所横にあるテーブルに腰をかけるのを見計らってライルは今回の任務について話し始める。
内容は簡単だった。ハデスト帝国内にいるティライス王国の属国になる事をよしとしない者たちが、元皇帝の弟を皇帝にしてティライス王国から国を取り戻そうとしているので阻止しろ、という事だ。ちなみに元皇帝は三人兄弟で、次男は乗り気じゃないため、祭り上げられるのは三男らしい。
「私が行く」
ライルの話に手を挙げたのはソフィアだった。情報操作や闇討ちはサリーナよりも得意だからだ。ソフィアとサリーナ、二人で行くことは考えられない。その間、店を閉めることになっては後々言い訳などを考えるのが大変だからである。今はクレイズもいるので困ることもない。
ソフィアはこの選択が一番だと思っていたし、すでに頭の中では色々な構想を練り始めていた。しかし、ソフィアの後にもう一人、手を挙げた者がいた。
「俺が行く」
それはただ話を聞くだけのためにこの場にいたはずの人物で、何よりも『影』とは無関係な男。
ソフィアは嫌悪感を隠しもせずクレイズを睨みつけた。
「何を言ってるの? これは『影』が請け負う任務であって、王宮魔術師様が首を突っ込むような内容じゃない」
「俺ならできる」
「私にはできないと?」
「そうは言ってないだろ」
ダンッとテーブルを激しく叩きつける音が部屋に響いた。右の手のひらがジンジンと熱を帯び、その熱は次第にソフィアの身体全体に広がっていく。
「馬鹿言わないで! 隠密行動一つできない貴方に任せられる訳ないでしょう。ライル兄もなんか言ってやってよ! 貴方には無理だって教えてやって」
黙ってクレイズを観察していたライルにソフィアは堪らず訴える。現実を見られない男に現実を知らしめて欲しかった。だが、ライルはソフィアの願いを簡単に蹴り飛ばす。
「別に俺はどっちでも構わない。この任務を達成できるのならな」
「なっ!? だ、だって、彼は『影』じゃない」
闇の世界に紛れて動く自分達とは違う。王宮魔術師という誰からも尊敬され、求められる、光の世界で生きる人間だ。
ソフィアはそう心の中で叫んでいた。けれど、口には出せなかった。
「俺の能力を使えば簡単に崩せるはずだ。お前だって知ってるだろう?」
「……」
クレイズの問いかけにソフィアは答えない。ただ黙ってグッと強く手を握りしめるだけだ。
ソフィアの返答が期待できないとわかったクレイズはライルに己自身を売り込み始める。
「簡単に言えばティライス王国が関与したとわからない方法でハデスト帝国の奴らを混乱させればいいんだろう? それなら仲間割れさせればいい。心ん中にある野望を突いて、有る事無い事吹き込めば勝手に崩れてくれるはずだ」
「まぁ、お前の能力なら簡単だろうな。それでいいか、ソフィア?」
「……勝手にして」
それだけ言うとソフィアはスッと席を立ち一階へと降りていった。
ソフィアがその場から消えた瞬間、ライルとサリーナは大きな溜め息をもらしクレイズに冷めた目線を送る。
「もう少し言い方があったんじゃないですか? ソフィアも悪いところはあったでしょうが」
「そうそう。あそこで『お前が心配だから』とか優しい言葉をかければ、また違ったかもしれないのに」
「んなことできるか!」
サリーナとライルに責められたクレイズは噛みつくように言葉を返す。そんなクレイズを無視するようにサリーナ達は「恥ずかしがってる場合じゃないのに」などと勝手な事を口にしていた。
「それに……」
「それに?」
「前に仕事を止めろと口出しして……泣かせた」
「おい、ちょっと表に出ろや」
「ライル兄っ!」
ガタンと椅子の倒れる音と同時にクレイズの胸ぐらを鷲掴みにしたライルをサリーナが慌てて止める。抵抗する気のないクレイズを見て、悪態をつきながら手を離したライルはサリーナの直した椅子にどかりと座った。
「どうせその時も言葉足らずだったんだろう。いいか? ソフィアにとって仕事はある意味特別だ」
「ああ、わかってる」
「わかってんなら言い方ってもんが他にあるだろう。遠回しに気遣ったって、好意を向けたってソフィアは気づかない。特異体質者の多くは親や世間に捨てられ生きてきた。だから、自分はそういう感情を向けられる立場じゃないと思ってる。ソフィアはその傾向がより強い。だから、遠回しじゃ伝わらない」
「わかってる。だから今は遠慮してない」
クレイズだってハデスト帝国最後の日の出来事は反省していた。感情が先走り、ソフィアの生き方を否定してしまったと悔やんだくらいだ。
「んじゃ、まだまだ伝わってないってことだな」
「は?」
「だから、お前の気持ちがだよ」
クレイズはポカンと間抜けな表情を浮かべ固まった。ライルの言葉がクレイズの頭の中で何度も繰り返される。
そして、クレイズは勢いよく首を振った。
「いやいやいや……それはないだろう」
「だってあの反応だぞ? お前、何やったよ」
「何って……仕事は積極的に手伝ったし、重い物とか面倒そうな客は率先して対応したし、特別にしてほしい的な事も言ったし、デートだってしたし、結びの種だって渡し……ってなに言わせんだ!」
真っ赤に染まった顔で睨みつけられても怖くはない。むしろ、中性的な顔立ちのせいで見てる方が火照ってくる程恥ずかしくなる。サリーナは生暖かい目で、ライルは残念なものを見る目でクレイズを見つめていた。
「お前……」
「な、なんだよ」
「……餓鬼か」
「っ!?」
今度こそクレイズは言葉を失った。
「なぁにが遠慮してないだ。そこらへんの餓鬼の方がよっぽど積極的だ! いいか? 相手はソフィアだ。拗らせて、拗らせて拗らせて育ったソフィアだ。んな甘っちょろいやり方でお前の気持ちが伝わるわけないんだよ! きっと何かの勘違い程度で終わらされてるぞ。大体、浄化の旅の褒美としてセルベト様に『ソフィア達を口説きたいから協力しろ』と言ったのはお前達だろうが。お前といい、ハーヴェイ様といい、何つう有様だ」
「……え? まさか、この店をしろって」
自らの言葉でサリーナが自分達のしている任務の本当の目的を悟りかけているなどライルは気づきもしない。そして、説教を食らっているクレイズがライルの口を塞げるわけもなかった。
「ちゃんと言葉にしろ。わかったか? 態度で示して気づくような、ましてや素直に受け止めるような子達じゃないんだ。恥ずかしがってるくらいならするな! んなやつに妹達を渡すつもりはない! おちおちやってたらセルベト様も黙ってないぞ!」
「……はい」
「ならさっさと追いかけろ!」
ビシッとライルが指差した先は一階に続く階段である。クレイズは若干顔を引きつらせながら席を立ったのであった。




