金髪の女性
見慣れた常連客と言葉を交わし、クレイズを観賞に来た女性客をクレイズに押し付け、あとはただひたすらに注文をさばく。仕事をしている時は余計な事を考える暇もなく、ソフィアは一時の心の平和を手に入れていた。
カランカラン、と店のドアの鐘が鳴る。店に入って来たのは長い金髪の女性だった。女性は落ち着いた仕草で店の中を見回すと、空いているカウンター席に向かって歩き出す。
サリーナとクレイズが接客中だったこともありソフィアは一度作業を止め、女性の元へと向かった。
「いらっしゃいませ」
「この店で一番人気のある紅茶をいただけるかしら」
「かしこまりました」
高すぎず低すぎず、色気のある艶やかな女性の声に周りの席に座っている男達が僅かに反応する。それを見逃さなかったソフィアはいざとなったら女性を守れるよう周りの動きを警戒しつつ紅茶を用意するために席を離れた。
チラチラと女性を伺っていた男達だったが、さすがに声をかけるまではいけなかったようだ。細く華奢な身体に長い足。露出は少ないが身体にピッタリ合った服のせいか豊かな胸やお尻のラインがはっきりとわかり、どこか妖艶な雰囲気を醸し出している。下品とは違う色気に引き寄せられながらも女性の纏うオーラに怖気付き、男達は近づけなかったのだろう。
「お待たせいたしました」
「ありがとう」
女性が顔にかかる髪を耳にかける。どうすれば自分がより美しく見えるかを知り尽くしているようなその仕草にソフィアは何かひっかかった。女性はゆっくりと紅茶に手を伸ばす。まるで私を見て、と言うかのように。
「いいお店ね」
そう言って見上げた女性の顔を見た瞬間、ソフィアは嫌そうな表情を浮かべた。しかしそれも一瞬のことで、ソフィアはすぐに笑顔を顔に貼り付ける。
「ありがとうございます」
表情とは裏腹に感情のこもっていない声がソフィアの口から発せられる。ソフィアの言葉を聞いた女性はくすりと小さく笑った後、優雅に紅茶を飲み始めた。
店の営業が終了してすぐ、再び昼間の金髪の女性が店にやって来た。その歩く姿は昼間と変わらず、優雅でいて色気まで漂っている。片付けをしていたソフィアは昼間と違い嫌そうな表情を隠すそぶりも見せず女性を出迎えた。
「何をしたいの?」
「ふふふ、何のことかしら?」
わからないわ、と戯けてみせる女性の態度にソフィアは盛大なため息を吐いた。
「いつまでやるの? ライル兄」
「……あぁ、反応がつまんないなぁ。どこから見ても完璧な女性だっただろう?」
突然金髪の女性からあり得ないような低い声が発せられる。そのまま髪に手をかけた女性が勢いよく髪を引っ張ると、ばさりと金髪のウィッグが外れ、中から黒髪が現れた。
「うわぁ」
「うわって何だよ。そういう冷たい反応されたら兄ちゃん泣くぞ!」
「だって……ねぇ」
短めに切られた黒い髪、低い声、それらはその人物が男であると認識させるには十分すぎる材料だ。その上、線が細いとはいえ骨ばった骨格に女性の化粧、たくさん詰め込まれた胸と尻。そのアンバランスさが気持ち悪くて仕方がない。
若干涙目で訴えてくる兄的存在のライルに対して、ソフィアは優しいフォローの言葉をかける気にはならなかった。
「大体、何で女装? 男の格好で十分でしょ」
「男より女の方が周りを観察していても咎められにくいからだよ。俺はソフィアとサリーナがちゃんと働けてるか、変な客はいないか、心配して昼間見に行ったんだ。心配してくれてありがとうとか、可愛い一言くらいくれてもいいじゃないか」
「でも、今女装で来たのは昼間、男達が良い具合に自分に引っかかってて嬉しかったからでしょ? ただ見せびらかしたかっただけじゃない」
「……ソフィアが冷たすぎる」
完璧に心を砕かれたライルは力なく椅子に座り込み項垂れた。慰める気がないソフィアはライルが復活するまで店の片付けの続きをしようとライルに背を向ける。
そこに外で作業をしていたサリーナとクレイズがやって来た。すぐにライルを見つけたサリーナは声をかけようとして躊躇する。なぜならあまりにも格好が気持ち悪いからだ。もちろんクレイズは完全にその存在ごと無視である。
「なあ、なあなあなあなあっ! お前らちょっと酷くないか? 特にお前! 初めての相手に挨拶なしとかどういうこと!?」
「あんたの挨拶も相当だけどな」
皆からの扱いにキレたライルは突然立ち上がると、近くにいたクレイズにつっかかり始めた。いきなり文句を言われたクレイズも不愉快そうに表情を歪めるが引く気はないようである。
「あぁ、うん、それはそうだな。俺はライル。サリーナとソフィアの兄してます」
「クレイズだ」
「うん、知ってる。大体のことは聞いてるし。んで、なんで国一番の魔術師様が働いてるわけ? そんな話じゃなかったよな?」
「これはまぁ色々あって、結果こうなった」
「いや、全くわかんねぇし」
噛み合ってるのかいないのか、ライルとクレイズの会話をソフィアとサリーナは冷たい眼差しで聞いていた。面倒なタイプが合わさると余計面倒になるということが立証された瞬間である。
「まぁ、頑張れ。助けてやるつもりはないが邪魔もしない。あぁ、でも兄として見過ごせない事には手を出すかもな」
「させないし、そんな事態にはならない」
「いいねぇ、若いって。にしても、随分と綺麗な顔だったのな。フードで隠してっから知らなかった。このウィッグつけたら完璧な美女だ」
「な、おいっ! やめろ! つけようとすんな!」
金髪ロングのウィッグを手にクレイズを追いかけ回し始めたライル。女の格好をした男と女のように美しい顔の男の追いかけっこは目を背けたくなるほど異様な光景である。
いい加減我慢の限界に達したクレイズが魔術を発動しようとした時、ライルが突然その場にずっこけた。音もなく受け身をとり、すぐさま体勢を立て直したライルは流石といえよう。
「いくらなんでも酷いぞ、ソフィア」
ライルに攻撃を加えたのは同じくこの状況に我慢できなくなったソフィアだ。サリーナも無言でライルの手からウィッグを回収している。
「いい加減にして。それに、貴方も貴方よ。あんなのすぐに魔術でどうとでもなるでしょう」
「いや、一応お前の兄的存在らしいから」
「あんな面倒な兄はいません」
きっぱりと言い切ったソフィアの言葉にライルは打ちひしがれる。顔を手で覆い隠しその場にしゃがみこむと「素直になったら余計冷たい」と喜んでいいやら悲しんでいいやら複雑な思いをぶつぶつと漏らしていた。さすがのクレイズも同情の眼差しを送る。
「それで? ライル兄だって遊びにきた訳じゃないでしょう?」
ソフィアの言葉でその場の空気がすっと変わった。しゃがみこんでいたライルもゆっくりと立ち上がる。そこに先程までの陽気な兄の姿はない。
「……影の仕事だ」
それは今までと変わらない言葉のはずなのに、なぜか妙に遠い言葉のようにソフィアは感じた。




