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光に憧れ、影に生きる  作者: 小日向 史煌
浄化の旅を終えて
55/73

一つの決断

ジャンルをファンタジーから恋愛〈異世界〉に変更いたしました。

これは、純粋にファンタジーを楽しみたい方の求めるものとは違ってきているかもしれないと考えた結果です。


誠に勝手ではありますが、ここまでお読みいただいた皆様には引き続きお付き合いいただけたら幸いでございます。

 落ち着いた空気の中に少しの喧騒と鼻をくすぐる香りが漂う店内を忙しなく動き回る二つの人影。声も見た目もそっくりの二人は、言葉を交わしている様子もないのに息の合った動きを見せる。

 どのテーブルも埋まっていて、二人ではとても捌けなさそうなのだが、まるで羽でもついているかのような軽やかさでぶつかる事もなく笑顔で動く仕事姿は職人技と言っていい。常連客にはいつも凄いなぁ、と感心されている。


 しかし実際は、二人とも大パニックに陥っていた。



 《ソフィア! 一番テーブルのケーキセットまだできない?》

 《もうできる! あっ、五番テーブル帰るみたい! サリーナ、お会計いける?》

 《わかった! じゃあそのセットは頼んだよ!》

 《了解!》



 職人技なんて聞いて呆れる。サリーナとソフィアは能力を最大限に使って、客には聞かれないからと言葉を飛ばしあっていた。耳と口は客へと向け、頭の中ではお互いに情報を飛ばす。たまに頭の中の言葉が口から滑り出しそうになりながら、二人は必死に動いていた。



「お待たせいたしました。ケーキセッーー」

「?」

「失礼いたしました。ケーキセットでございます」



 サリーナの指示通り、一番テーブルにケーキセットを運んでいたソフィアは、客を見た瞬間言葉を詰まらせた。店員の言葉が途切れた事を不思議に思ってか、客が手元の本から目線を上げる。客と目が合ったソフィアは慌てて笑顔を繕い、音が鳴らないよう注意しながらケーキセットをテーブルに置いた。


 バックヤードに戻ったソフィアは小さく息を吐き出すと、なにをやっているんだ、と己を叱責する。

 ただ一番テーブルで本を読んでいただけだし、少し髪が青っぽく見えたが、よく見れば黒に近かったではないか。誰と勘違いしたのだろう。あの人のはずなどあり得ないのに。



「ダメダメ。考え事している暇なんてない」



 頭を何度か振ってソフィアは思考の渦から己を引っ張り戻す。



「あの、すみません」

「はい! 只今お伺いいたします!」



 女性二人組のテーブルに呼ばれたソフィアは、営業スマイルを貼り付けて駆け寄った。今流行りの服装に可愛いらしく結われた髪、控えめに施された化粧は彼女達の愛らしさを引き立たせている。最初は近所のおじさんおばさんがほとんどだったこの店も、今では若者が多く出入りする店となった。



「あ、あの〜」



 きょろきょろと辺りを見回している女性客を見て、ソフィアはまたかと思わず苦笑いを浮かべそうになる。彼女達の言葉の続きが否応なしで理解できた。



「青い髪の魔術師様はまだいらっしゃってないですか?」

「その方は先日王都に戻られたと伺っております」

「えぇぇ……残念。楽しみにして来たのに」

「……」



 ソフィアは何とも言えない表情でテーブルを去るほかなかった。

 今の時間帯はクレイズがヘルムリクトにいた際、よく店を訪れていた時間帯で、クレイズ目当ての女性客で溢れかえる時間でもあった。クレイズが最後に訪れたあの日から数日経った今でも、毎日の様に聞かれるこの質問。最初は個人情報だからと有耶無耶に誤魔化していたのだが、あまりにもしつこく数が多かったため、もうこの町にはいないと伝えることにしたのだ。


 皆一様に落胆し、その後は店に来ない客もいたが、かなりの数の客は引き続きこの店を使ってくれている。この店のコーヒーが気に入ったとか、料理が美味しいと言ってくれた時は、小躍りしそうなほど嬉しかった。

 それに、多くの客が宣伝してくれているようで新規の客も増え、クレイズがいない今も大盛況である。下手に人を雇えないため、サリーナもソフィアも喜んでいいのか複雑だった。




「今日も聞かれたの?」

「うん」

「まぁ、私も二組に聞かれたけど」



 閉店後の片付けをしながらサリーナとソフィアは軽い会話を交わす。今日は変わった客もいなかったし、閉店後にハーヴェイ達が乗り込んで来ることもなく平和に終わったとソフィアは胸をなで下ろしていた。



「本当にあの人のおかげで大繁盛ね」

「うん、まぁ……良いのか悪いのか、ね」



 歯切れの悪いソフィアに気づかぬふりをして、サリーナはささっとテーブルを拭きあげた。



「たしかにこのまま続くとなると、しんどいよね」

「ちょっとねぇ」

「……責任とってもらおうかな」

「え? なんか言ったサリーナ?」

「ううん、何でもない。早く片付けて休もう、ソフィア」

「そだね」



 ソフィアは洗い終わった皿を拭きながら、小さなため息を一つ落とす。ソフィアのため息の数が日増しに増えていくのをサリーナはなんとも言えない気持ちで見つめ、一つの決断をした。



 そのサリーナの決断をソフィアが知ることになるのは、サリーナが決断してから二週間程が経った日のことである。

 店の定休日だったその日、いつものように日課となっている花壇の手入れをしていたソフィアにサリーナは「相談がある」と声をかけてきた。なんだろう、と不思議に思いつつソフィアは手入れ道具を片付けて店の中に戻る。



「相談って?」

「人を雇おうと思うの」



 前置きもなくくり出されたサリーナの言葉はソフィアにとって衝撃的な内容だった。動揺を悟られないようサリーナが淹れてくれた紅茶に手を伸ばす。



「……また急だね」

「急でもないよ。ずっと言ってたじゃない。お客さんがいっぱいの今の状態が続くと大変だって。私達の本来の任務も最近じゃ、仲間のみんなに甘えっぱなしだし」

「たしかにそれはそうだけど……」



 ソフィアもサリーナの言いたい事はよくわかる。今の状況が好ましくない事も人を雇った方がいい事も、現状を見れば簡単に結論が出ることだ。そして、サリーナが提案してくるということは、本来の任務である『影』の仕事に影響がない人を既に見つけているだろうこともすぐに理解できた。

 理解はできた。しかし、ソフィアは元々単独行動を好んで生きてきた。それは、任務のように誰か別人になりきって接するならそれ程抵抗はないが、ソフィア自身、ありのままの姿で人と関わることが苦手だからである。


 正直、姉妹であるサリーナと素直に話ができるようになったのだって浄化の旅の後からだ。接客中はある意味店員に変装しているようなもので、仕事が終わった後もソフィアの顔をした別人にならなくてはいけないというのは少ししんどい。今が楽しいだけに尚更。

 だからといって、新しく雇った人とすぐ打ち解ければいいという考えにはなれない。そう簡単な事ではないとわかっているからだ。



 歯切れの悪いソフィアの態度にサリーナは内心、そうなると思った、と苦笑いを浮かべる。しかし、最近の忙しさはそんな悠長な事を言っていられないほどだし、これはソフィアのためでもあるのだと、サリーナは心を鬼にしてソフィアと向き合った。



「実は明日から働いてもらおうと思って、もうその人に来てもらってるの」

「えっ!」

「私も教えるけど、ソフィアもちゃんと教えてあげてね」

「教えてって、ちょ……えぇぇええ! もはや相談じゃないじゃん!」



 ふふふ、とサリーナは愛らしい笑みを浮かべているが、その笑みを見た瞬間、ソフィアは悟ったように項垂れる。サリーナのあの笑みは抵抗しても無駄ということを示しているからだ。



「じゃあ入ってきてください」



 カランカランーー



 サリーナの掛け声に答えるように扉のベルの音が鳴る。

 観念したように振り返ったソフィアは、サリーナの提案を受けた時よりも数倍驚いた。



「な、な、な、な、な……!」

「言葉になってないぞ」



 ソフィアに呆れた様子で言葉をかけてくるその人は、ここではなく王都にいるはずの人で。



「これから世話になる」



 雇われる側のはずのその人は、いつも通り気怠げに立ちながらぺこりと礼とも言えない礼をした。



「なにを、してるの?」



 思いもよらない出来事に、ハデスト帝国で過ごした時のような口調に戻ってしまったがソフィアは全く気づいていない。

 ただその人は、なにが嬉しいのか口元を緩めながらソフィアに近づいて来た。



「もちろん、ここで働くためだ。よろしく頼むな」



 ソフィアは何故か眩暈を起こしそうな感覚に襲われた。頭も身体も心もめちゃくちゃで、今自分が何を感じているのかわからない。

 ただ、視界の端に映るサリーナの悪戯に成功した子供のような顔を見て思う。


 ーーしてやられた、と。


 この人なら確かに『影』についてもよく知っているだろうし、ハデスト帝国での共同生活で、ある程度素を曝け出している。サリーナへ吐ける文句の言葉が浮かばない。強いていうならーー



「……絶対もっと忙しくなると思うんだけど」



 こうしてクレイズが店員として任務に参加することになった。

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