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光に憧れ、影に生きる  作者: 小日向 史煌
浄化の旅を終えて
52/73

鮮やかな青

 昼間の店はいつも音で溢れている。遠慮がちに交わされる人々の声や本のページをめくる小さな音、カップとソーサーが触れ合う音、食事をとる際に生まれる音。

 飲み屋のような賑やかさや騒々しさとは違う、そっと寄り添って人の温もりを感じさせる音。最近、ソフィアが好きになった音だ。


 一人を好んでいたソフィアにとっては考えられないことなのだけど、それが少し嬉しくもある。自分の小さな変化が妙にくすぐったかった。





「なぁなぁ」

「どうしましたか?」



 髪に白色が混じり始め、年相応に皺の増えた顔を内緒話をするかのように手を横に添えて隠し、男は出来立てのナポリタンを運んできたソフィアを呼び止める。八百屋を息子夫婦に譲り、手伝いをしながらも暇な時をこの喫茶店で過ごす彼はこの店の常連さんだ。

 呼び止められたソフィアは、彼に合わせるように少しだけ身体を屈めた。



「今日も来ているな」



 そう言って彼が指した先は、ソフィアの好きになった音よりも少しだけ騒がしさをプラスした空間になっていた。


 長い足を窮屈そうにテーブルの下で組み、片手には本を携え、思い出したようにコーヒーを飲む姿は、この店に来ている者たちと同じ事をしているはずなのに妙に絵になってしまう。落ちてきた艶のある青い髪を邪魔そうに耳にかける仕草だけでも無駄な色気があり、周りで静かに見守る(?)女性客から小さな悲鳴が聞こえてくる始末だ。



 ここ一週間ほどでこの店は女性客が倍増した。原因ならわかりきっている。何故なら混み合う時間帯が決まっているからだ。その時間帯になると一気に女性客が増える。

 おのずと常連客はその時間を避けて来るようになったのだが、なんだか申し訳なくなってくる。誰一人として悪いことはしていないので、謝るのもおかしな話なのだけど。



「彼のおかげで売り上げが上がるな」



 嫌な顔どころか楽しそうに観察している彼にソフィアは苦笑いを返すしかない。

 もちろん売り上げは格段に上がった。同じ店を営む者として、彼の言葉はもちろん好意的な言葉なのだろう。しかし、本業と副業が逆転していると思えるくらいに忙しくなっては正直笑えない。


 女性客の集まる時間を避けて常連客が来るので暇な時間が少ないのだ。『影』の仲間達が情報を持ってきても話せる場所も時間もなく、結局資料を置いていくだけ。最近では資料の内容が解説付きの説明不要なものに変化し、仲間達は飲食だけして帰っていくのが普通になってしまった。



「すいません」

「はいっ!」



 声の方へと視線を向け、呼んだ相手が誰なのか理解した瞬間、ソフィアの目が細められる。しかし、それも一瞬のことで、すぐに笑顔を貼り付けた。



「いかがなさいましたか?」

「お代わりを頼む」

「……かしこまりました」



 まだ居座るのか! とは口が裂けても言えない。

 相手は一応(・・)客である。例えこのコーヒーが三杯目で、その前に食事までしているとしても……長居しすぎじゃない!? と言ってはならない。


 心の中で長々と文句を垂れ流していたためその場からすぐに動き出せなかったソフィアを不思議に思い、クレイズが僅かに首をかしげる。それだけで周りは音にならない悲鳴をあげた。



「どうした?」



 昔からクレイズを知るセルベトや旅の間、常に一緒にいた聖女一行の面々ならば驚愕ものだろう。なんたってあの(・・)クレイズが、他人などどうでもいいという態度ばかりだったクレイズが、他者を心配する言葉をかけたのだから。

 もちろんソフィアも例外ではなく、ぎょっとして一歩後ずさる。貴方こそどうした!? と叫ばなかったソフィアを誰か褒めてやってほしい。もし叫んでいれば、周りにいる女性客の大半を敵に回していただろう。



「な、なんでもございません。すぐにお待ち致しますので、少々お待ちください」



 取り繕うような笑顔を浮かべ、バックヤードにそそくさと帰ってきたソフィアは全ての感情を吐き出すように盛大なため息を吐いた。そんなソフィアを見て、他の客の対応から戻ってきていたサリーナはクスクスと笑う。



「大変そうね」



 他人事のようなサリーナの言葉にソフィアは隠すことなく顔を歪めた。



「そう思うなら代わってくれればいいでしょ? 私よりも一緒にいた時間が長かったんだし、サリーナの方が扱い上手いでしょうに」

「嫌だよ。私が行ったら余計面倒くさくなる」

「私だって面倒よ。何考えてんのかわかんないし」



 そもそもソフィアは接客ではなく調理を担当しているのだ。出来上がった食事を運んだり、忙しい時にやむ終えず接客する事はあっても、いつもホールにいることはない。

 なのにクレイズの接客はソフィアの担当なのである。


 サリーナの嫌がらせなわけではない。ただ何故かクレイズはサリーナが行くと注文してくれないのだ。お代わりの時は、ソフィアがホールに出たのを見計らって声をかけてくる。


 他の客はきっと気づいていないだろう。サリーナとソフィアは見た目が瓜二つであるし、名札などもしていない。一応名前は知られているが、間違って呼ばれても返事をしているので、自分の接客をしているのがどっちなのかわかっていないはずだ。

 だから、クレイズの注文を受けているのが滅多にホールに出ていない方のソフィアだけだとは全く気づいていない。


 ただし、クレイズ本人は気づいているはずだ。任務中、ソフィアがサリーナのフリをしていた時でさえ、魔力の僅かな違いから見抜かれたのだから。

 では何故ソフィアばかりなのか。サリーナは何か知っている様子なのだが、教える気はないようである。本人に文句を言いたいところだが、他の客が気づいていないのに、敢えて気づかせるような事をする必要はない。というか、気づかれたくない。特に周りの女性達には。


 結果、ソフィアは今日もクレイズの接客をしている。




「お待たせいたしました」

「ん」



 本から視線を外すことなく、斜め前に置かれたコーヒーへ細くて大きな手がのびる。その瞬間、さらっと鮮やかな青が揺れ動きソフィアの目に映り込んだ。


 初めて客としてお店に来た日、クレイズはお馴染みのローブを羽織っておらず、そのため変装せず外に出る時は必ず被っていたフードもしていなかった。

 ハデスト帝国でフードを外せとソフィアが言ったとき、クレイズは「面倒事が嫌いだ」と言った。それはクレイズが中性的な美貌の持ち主だったからに他ならず、騒がれるのが目に見えていたからに違いない。


 それなのに、何故クレイズはフードを被らずやって来たのか。ソフィアの問いにクレイズは「聖女一行の魔術師はフードを常に被っていると知られているから」と答えた。


 ああ、騒がれたくないのか、とソフィアは納得したが、ならば何故変装してこなかったのかと新たな疑問が浮かんだ。クレイズをより神秘的な存在に見せてしまうのは、どう考えても鮮やかな青い髪と何もかもを飲み込んでしまいそうな夜空の瞳なのだから、ハデスト帝国の時のように色を変えれば印象は変わったはずだ。


 しかし、クレイズは真っ直ぐソフィアを見つめ「これが俺だ」とだけ言った。



 ソフィアは今でもクレイズの言いたかった事がわからない。だけど、一つわかっているのは、クレイズもまた何か変わろうとしているのだな、ということだけだった。

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