旅の中での変化
林の中に澄んだ歌声が木霊する。誰もを魅了する歌声の主は、手を胸の前で組み、宝石のように美しい紫の瞳を空へ向け、銀色に輝く長い髪を風に靡かせている。その姿はこの世のものとは思えぬ程神秘的で儚く美しい。
魔獣化した動物達が浄化されていくのを眺めながら、その光景に橙色の瞳を輝かせている可愛らしい顔立ちの青年は感嘆の息を漏らした。
「やはり聖女様はお美しく素晴らしい……」
そんな青年、クレイズの代わりにやって来た魔術師ディランを一瞬可哀想な目で見つめ、すぐに笑顔を浮かべて剣を収めたのは、赤い短髪に金色の瞳を持った甘く優しげな顔立ちの騎士、ハーヴェイ。
「何週間も共に旅をしてあの眼差しを向けられるとは、少し心配ですね」
ハーヴェイの問いかけに深くため息を吐き、どこか諦めた眼差しを向けるのは、くすみ一つない金髪に澄んだ切れ長の青い瞳を持つ凛々しく美しい青年、ティライス王国第二王子クロード。
「彼は将来有望な魔術師なんだが……国の将来が心配だ」
肩を落とし、旅に出る頃よりも覇気の無いクロードとその隣でディランを心配するような言葉を発しながらも楽しそうな雰囲気を醸し出すハーヴェイを呆れた表情で見つめているのはサリーナである。
ティライス王国の穢れをハーヴェイの能力を使い大急ぎで浄化して回り、隣国であるハデスト帝国に入ってから一週間程が経った。ハデスト帝国の企みが発覚してからというもの、今まで聖女であるオリビアの機嫌を伺いながらの旅だったものが一変した。
王子らしい笑顔を浮かべ、優しくオリビアに言い聞かせていたクロードは厳しい態度となり、オリビアの我儘を聞き入れなくなった。ハーヴェイは変わらぬ笑顔を向けるものの、上手にお願いを退く。オリビアの我儘を聞こうとするのはディランのみで、そんなディランでもクロードの決定を覆すことはできない。
結果的に旅の速度は前とは比べられぬほど早くなった。その代わり、オリビアの不満はサリーナへと向かった訳だが「クロード様に伺ってきます」と言えば、大方聞き入れなくて済む。最初の頃は「侍女なのだからわたくしの言うことを聞きなさい」と怒りをぶつけてきたものの、サリーナはオリビアの侍女ではなく、王国に雇われているのだから雇い主であるクロードの意に反することはできないと言い続けている。オリビアは伯爵令嬢、さすがに自国の王子から嫌われたくはないのか、次第に強く言ってくることもなくなった。
やっと浄化の旅として相応しい状態になった気がする。気がするだけなのは聖女一行の周りにいる存在の所為であった。
「首都に近づけば近づくほど増えていきますね」
「害がなければ問題ないさ。何かあっても必ず君を守ってあげるから心配しなくていい」
サリーナは言葉を返してきた相手を汚いものを見るかのような目で睨みつける。そんなサリーナの眼差しを受けても嫌な顔一つしない、いや、どちらかと言えば嬉しそうにも見える表情を浮かべたのはハーヴェイである。
ソフィアの存在を知った頃からかハーヴェイはサリーナの気に触るようなことを言うようになった。いつも女性には愛想を振りまき、女性の喜ぶ言葉ばかりをつむぐハーヴェイが、サリーナには時に甘く、時に辛辣な言葉を吐くのだ。最初は今まで通り笑顔でかわしていたサリーナであったが、次第にその笑顔の仮面は剥がされていった。
「自分の身は自分で守れます。貴方様は聖女様をお守りください」
「つれないねぇ。でもまぁ、あの様子じゃ今は狙ってこないだろう」
ハーヴェイの金色の瞳が鋭く光る。こんな表情を見せるようになったのも最近のことだ。サリーナはそんな変化に気づいた素振りも見せず辺りに意識を向けた。
ハデスト帝国に入ってからというもの、聖女一行の周りには常に監視のようなものがついていた。魔獣化した動物と戦っている際に手助けする訳でもなく、食べ物などの物資を届ける訳でもない。最初は何かと思っていたが、ソフィアからの情報で目的がはっきりわかった。
『ハデスト帝国の上層部は聖女を亡き者にしようと企んでいる』
ハデスト帝国に関係するテッドが騙し討ちのようにオリビアの命を狙ってから警戒を強めていたが、クロード達はあわよくば聖女の命を奪い、自分の国に聖女が誕生することに賭けよう。そんな他国の人間も一度は考えるだろう企みが実行されたと考えていたが、ハデスト帝国に侵入しているソフィアから度々入る情報は、そんな甘いものではなかった。
穢れを操っている、そんな情報がもたらされた時、クロードとハーヴェイは初めてサリーナから穢れを生みだす者と浄化する者が特異体質者であることを知らされた。それは今まで教えられてきたもの全てを覆す程の内容で、ハデスト帝国の企みが世界を揺るがすものであるという現実を二人に突きつけた。
「浄化する際のオリビア嬢を見れば、殺そうと思えないだろう。まぁ、彼奴らは上の命令で動いているだろうから心情など関係ないのかもしれんがな」
クロードは歌い終わり、褒められようと満面の笑みを浮かべこちらにやって来るオリビアから視線を外すことなく冷たい言葉を発する。
王族の中でも王族らしい真っ直ぐな考えを持つクロードにとって、皇帝ザドルフの考えは理解しがたく腹立たしいものであった。まるで他国などどうでもよい。いや、自国の民すらどうでもよい。そう言っているかのような企みに協力する者をクロードは哀れとさえ思えてくる。
「聖女を守る、それがこの旅においての私の使命だ。それが国のためだけではなく、世界のためになるのなら尚更な」
「どこまでもお供いたします、殿下」
オリビアの元へと足を進めたクロードの後について進んで行くハーヴェイ。二人の背中を眺めながらサリーナは小さく溜息を吐く。
サリーナは決してソフィア達特異体質者のように『ティライス王国などどうでもよい』とは思っていない。王国内にもよくしてくれた人はいるし、教会の人達も好きだ。それでも、クロードやハーヴェイのように命をかけて守りたいとまでは思っていない。
だから、あの真っ直ぐな心がとても眩しく感じるのだ。何にも揺るがされることのない、己の核のようなものを持っているあの二人が。ハーヴェイは時々、サリーナと俺は似た者同士だと笑うけれど、それは違うとサリーナは思っている。
ハーヴェイには核がある。騎士としての誇りという核が。
しかし、サリーナにはないのだ。相手の顔色を伺い、空気に身を任せ漂ってきたのだから。
《サリーナ、今大丈夫?》
突然ソフィアの意識が流れてくる。
《えぇ、大丈夫よ。何かあった?》
《色々わかったことがあるの。その報告と今後の動きについて》
《わかったわ》
ソフィアからの報告を聴き終えたサリーナは、休息している一行の元へと足を向ける。
最近、ソフィアの声が明るい。任務中のソフィアにしては珍しく温度のある声。何かソフィアに変化をもたらせることがあったのかもしれない。とても気になる。だけど、聞けない。聞いたことでソフィアに警戒されたら……私は耐えられないから。
「大丈夫か?」
「え?」
不意に頭の上から声をかけられ顔を上げれば、眉をひそめたハーヴェイがいた。ソフィアの事を考えていて気配に気づかなかったようだ。
「あぁ、妹からか」
そう言いながらサリーナの頭にポンポンッとハーヴェイの手がのる。我に返ったサリーナは叩き落とす勢いでハーヴェイの手を払い、睨みつけた。
「やめてくださいと言ったはずです。この後大変なのは私なのですよ」
チラッとオリビアを見れば、思い切り睨みつけられている。思わず吐きかけたため息をサリーナは飲み込み、そんなサリーナの様子を笑って見つめるハーヴェイを再び睨みつけてやった。心の中にあったモヤモヤが消え去っていることに気づかぬフリをして。
「皆様、今後の動きについて報告がございます」
ーー聖女一行がハデスト帝国の首都にたどり着くまで、あと一日。




