友の願い
月が雲に隠れ、辺りが暗闇に染まった瞬間、ハデスト帝国、王城敷地内の一角を二つの影が駆け抜ける。足音も気配も消したそれに気がつく者はいない。
「なんともずさんな管理ね」
馬鹿にするように鼻で笑ったのはキャメルである。早速キャメルの能力を使おうと、夜を待って城に忍び込んだソフィアとキャメルだったが、様々な国の城に忍び込んだ経験のあるキャメルは城の管理体制に心底呆れた様子を見せた。
忍び込むにあたり、まず重要なのは敷地内に入ることである。大抵の国は中枢機関、特に王族の住む王宮や城などの敷地内に入ることから苦労する。厳重な結界が張られているからだ。魔術師の生まれないキャメルの祖国でさえ、魔石と技術を集結して作り上げたセンサーで守られている。
それを、魔術師一人に破られるとはどういうことか。キャメルが言いたいことは、そういうことだろう。
「まぁ、私達にとっては楽じゃない。それに、あいつはあれでも魔術師が多いティライス王国内で一番の魔術師。普通は結界の綻びを簡単に見つけられないし、術式を変えるなんて無理よ」
「ふーん……まぁ、そうよね」
どこか笑いを含んだ返事をするキャメルに眉を寄せながらも、ソフィアは目的の場所まで足を進める。目指すは客室が集まる建物。ソフィアの探し人が城に住んでいるのならばいるであろう場所をソフィアは何度も忍び込み、時には変装して聞き込んだ。そして見つけたのだ。
「対象は男。ほとんど監禁状態らしいから姿はあまり知られていない」
「どっかの誰かさんみたいね」
「キャメル、ふざけないで」
「はいはい、そんな睨まないで。ちゃんと仕事はするわよ」
睨んだつもりのなかったソフィアは困った様に眉を下げる。それを面白いものを見るような目で見つめていたキャメルは、クルッと向きを変え建物に近い木の上に飛び乗った。ソフィアもその後を追う。
キャメルはただ無言で建物を睨む。いや、正確にはソフィアにはそう見えるだけだ。今、キャメルは自分にだけ見えるように能力を使っている。相手にバレないようにするには、建物を透かして見れないからだ。
しばらく時間が経った頃、キャメルが突然口を開いた。
「きっと、あれね。茶髪に赤い瞳……若いけど、なんか虚ろな目をしてる。身なりから貴族じゃない」
「他に人は?」
「いないわ。一人のようね」
「そう」
情報では平民の男が城に住んでいるという。そして『様々なものに渦巻く邪なものを表に出す』能力を持っている特異体質者も城にいるのだ。ソフィア達は平民と穢れを生み出す特異体質者が同一人物ではないかと考えている。その考えが正しければキャメルの見つけた、茶髪に赤目の男が探し人だろう。しかし、クレイズが聞き取ったという『他者の能力を操る』能力を持つ者という可能性も捨てきれない。
二人とも揃っていればある程度絞り込めるのに、そう思ったソフィアは小さくため息を吐いた。
「昼も忍び込むべきかしら……」
「まぁ、あの抜け穴があれば無理ではないけど、聖女様達が到着するまでに見つけられるかはわからないわよ。それに、見つかればそれこそ戦争になる」
「……そうよね」
「まっ、私はどちらでも構わないけど」
キャメルらしい言葉に苦笑いを浮かべたソフィアは、少し考える素振りを見せるも、躊躇することなく木から飛び降りた。これ以上この場にいても、収穫が少ない上、そろそろ見張りが回ってくる時間だったからだ。
来た道を戻り、城の裏側にたどり着く。もうすぐ抜け穴という時、ソフィアとキャメルは突然散り散りに飛び、身を隠した。
城の裏口付近から人の気配がするのを二人は敏感に感じ取ったのだ。茂みに身を隠しながら様子を伺っていると、一人の男が歩いてくる。瞬時に、ソフィアは相手が裏口を使うような身分ではないことを悟った。
煌びやかな服は纏っていないものの、その立ち振る舞いは気品に溢れており、腰には剣をさしている。騎士だろうか、と考えながら相手を観察していると、スッと雲に隠されていた月明かりが差し込み、男の姿が闇の中から現れた。
女性のように長く艶やかな金髪を後ろで結った色白の男。顔はうかがい知れなかいが、こんな夜遅くに身分の高そうな男が裏口から出てきたのだ、何かあると考える方が普通だろう。ソフィアは相手の姿を記憶し、後を追うことはせずに見送った。
それからしばらく姿を隠していたが、男が帰ってくることはなく、ソフィアとキャメルは抜け穴から城を出たのであった。
そのまま二人はキャメルの泊まる宿へと向かう。着いてすぐ、順番に汗を流し一息ついた頃には明け方近くなっていた。
「キャメルはあの男、どう思った?」
世間話をするようなトーンでソフィアはキャメルに問いかける。キャメルはソフィアにとって自分で居られる数少ない相手。というより、ソフィアの嘘で固めた姿を「面倒くさい」の一言で崩した貴重な人物であった。
「そうねぇ……何らかの関わりはありそうよね。あの時間、城の中を一人で自由に、それもコソコソ隠れるわけでもなく歩けるなんて、よっぽど地位が高いか、許可されているか」
「……許可ねぇ」
「でも、まぁ、収穫はあったじゃない。マークすべき人物の姿がわかれば追いやすいし」
「キャメルは能天気すぎよ」
私は自分の仕事をするだけだもん、そう言いたげにキャメルはベッドへと寝転がる。ストロベリーブロンドの髪をベッドに広げ、寝そべっている姿はどう見てもか弱い女性で、その細い腕や足でどんな敵でも蹴散らしていく優秀な暗殺者などには到底見えない。ソフィアはそんなキャメルに苦笑いを浮かべながら窓際に足を運んだ。
「そろそろ屋敷に行かなきゃ」
窓の外に見える山肌がうっすらと明るくなっている。
このまま仕事場である屋敷に向かわなければ駄目かな、そう思ったソフィアの脳裏にチラリと青髪の男が顔を出した瞬間ーー
「あら、旦那さんに会わなくていいの?」
タイミング良くかけられた笑いを含むキャメルの言葉にソフィアは敏感に反応し、勢いよく噛み付いた。
「旦那じゃない!」
「ふっ、ふふふ……あはははは! 何その反応、面白すぎる」
お腹を抱えて笑い続けるキャメルをソフィアは思い切り睨みつける。
笑われることなど言っていない。事実を口にしたまでだ。そんな想いを込め睨むことで、男の姿が浮かんできたという事実を頭の中から消し去る。
「でも、家に帰らない事なんてなかったんでしょう?」
「確かに、ないけど……それは家から出勤しないと不自然だからで」
「あら、じゃあ今回は? 友人の泊まる宿から出勤? でも、部屋にいるなんて宿主に知られてないから窓から忍び出るつもりでしょう? おかしいじゃない。仕事で夜動いていても、必ず帰っていたんでしょう? 野宿なんて私達にとってはよくあることなのに」
「そ、それは…」
結局、ソフィアは返す言葉が見つけられず言葉を詰まらせる。確かに、どんなに仕事で遅くなってもソフィアは家に帰っていた。城に長時間忍び込んで疲れたとしても、少し離れた場所にある貴族の屋敷に諜報活動をしに行った時も、ソフィアは必ず家に戻り、当たり前のように朝食を二人分作り、リリアとして働きに出ていた。
「ソフィアが他人にあんなに素で話しているところ、私は初めて見たわ。まぁ、あれが素じゃないのなら、私が見てきたソフィアも本当のソフィアじゃないってことだろうけれど」
「……」
「姉のサリーナが知らないんだもの、私がソフィアの本当の姿を知らなくたっておかしくはないものねぇ。でもーー」
言葉を続けようとしたキャメルは、逃げるように窓から出て行った友人の姿を苦笑いを浮かべながら見送る。
「任務中にソフィアがソフィアのままなのを初めて見た、って言ったら、あの子、どう反応したのかしら」
カフェで表情豊かに言い争うソフィアとクレイズを思い出し、キャメルは僅かに口元を緩める。
いつだってキャメルとソフィアが会うのは任務中の時だった。友人だと思っているが、仕事柄、遊びに行くなんてことは皆無だし、お互い闇の中で生きている者だから、会うのも必ず闇の中。
そして、出会ったソフィアはソフィアでなくなっていることがほとんどだった。任務の最初の方で会ったなら、ソフィアでいることが多いが、任務が長ければ長い程、出会った時、ソフィアは演じている人物に染まりきっている。
キャメルは一度ソフィアに聞いた。何故、そうなるのかと。するとソフィアは、自分の考えは必要ないから、と答えた。
ソフィアの仕事は迅速で的確だ。心を捨てる、それは闇で生きる者にとっては重要なことだとキャメルも思う。
それでも、このままだとソフィアは壊れる。闇に落ちていった多くの者達を見てきたキャメルは、そう感じた。
だからこそ、任務中にソフィアがソフィアでいられている今の姿に安堵したのだ。
そして、その要因がクレイズであることをキャメルは理解していた。
「光があたるといいね、ソフィア……」
数少ない友人の幸せをキャメルは、ただ願う。




