一人を好んだ者達
劇場にある客席の中で王族だけが使えるバルコニー席。そこにある二つの影は、一つは舞台を眺めるように椅子に座り、一つは数歩離れた位置で片膝をつき、こうべを垂れている。
闇に染まる髪と瞳を持つ男、皇帝ザドルフ・アルファド・ハデストは、膝をついている長い金髪を後ろで結った男に視線を向けることなく静かに言葉を発した。
「テッドが死んだのは知っているな」
「はい、存じております」
「あいつが死んだ後、ガルベスト伯爵が捕まった。秘密裏にだがな。きっとティライス王国の王族もこちらが関与していると知っただろう」
「では……」
金髪の男は顔を上げ、ザドルフの様子を伺うも、はっきりと表情を読み取ることはできない。ただ、肌で感じる威圧感が増したような気がして思わず息をのんだ。
「まぁ慌てるな。もうすぐ聖女達がハデスト帝国にやってくる。テッドが始末しそこなったせいでな。まぁ、そこまで期待していなかったが」
「特異体質の能力だけに頼りきる愚か者でしたから、こんなものでしょう」
「そこまで言うのなら、お前には期待していいのだろうな?」
「もちろんでございます。陛下のお望みのままに」
ザドルフは男へ視線を向けニヤリと笑う。その表情は面白いものを見たような、何とも不気味なものだったが、再び頭を下げていた男はザドルフの表情を見ることはかなわなかった。
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ザドルフ達が会話を始める少し前。
「んじゃ、さっさと始めるか」
クレイズは一度身体を伸ばすように腕を上げると、椅子に腰掛けゴソゴソと服の下に隠していた大きな魔石のつくネックレスを胸元から取り出した。それを黙って見ていたソフィアは、心配気な声色でクレイズに問う。
「皇帝の心の声を聞くつもりなのはわかるけど、こんなに人がいるのに大丈夫なの?」
「仕方ないだろう。俺たちみたいなのが皇帝の近くに寄れる機会はそうないんだから」
「そうだけど」
クレイズは口籠るソフィアを一瞥するとネックレスに手をかけながら鼻で笑う。
「お前、俺を心配してんのか?」
「そ、そういう訳じゃないわ!」
「だよな。お前に心配される覚えなんてないし」
「な!」
絶句しているソフィアをよそに、これ以上話しをする気はないと言うかのようにクレイズはネックレスを外して目を瞑る。反論ができなくなったソフィアは、苛立ちをなんとか胸の内に納めるように目一杯息を吸い込んだ。
優しい言葉なんてかけなければよかった。いつも辛そうにしているのを見ているから声をかけたのに、なんなのよ!勝手にやってればいいわ。どうせ私はお飾りなんだから。
ソフィアは心の中で悪態をつきながら、それでもチラチラとクレイズを盗み見る。黙って腕を組み、顔を伏せているクレイズの額にはうっすらと汗がにじんでいた。それもそうだろう。少しでも能力を使いやすいようにと皇帝ザドルフのいるバルコニー席に近い席をとったとはいえ、劇場には多くの人がいるのだ。どうしたってたくさんの人の思考が流れてくる。そして、その中からザドルフの思考を見つけ出さなくてはいけない。それが簡単ではない事くらいソフィアでもわかる。
次第に汗の量が増え、肩で息をし始めたクレイズを見つめながらソフィアはクレイズという人物について考える。
何でも一人でやり、人に頼ることも人を信じることもない。それが幼い頃から能力のせいで他者の知りたくもない感情を知り、人の黒いところに触れてきたからだということは容易に想像できた。
なぜならソフィア自身もクレイズと同じだからだ。能力のせいで親に捨てられ、周りには疎まれ、信じられるのは教会の仲間だけ。その唯一の仲間や家族のサリーナにも素直になれないまま、一人を好みここまでやってきた。影の仕事で、人の黒いところを見てからは思った事を人に伝えることすらなくなった。
心のどこかでソフィアはクレイズと自分自身を重ね合わせていたのかもしれない。口も態度も悪く腹が立つのに、何故か気になってしまう。あのクレイズのどこか冷めた瞳を見ると放っておけなくなる。このモヤモヤした感情は、己を見ているかのようだからか。
「……一人でいれば、こんな事考えずに済むのに」
ソフィアの口から溢れた言葉は紛れもなく本心であるはずなのに、身体は思いと異なる動きをしてしまう。
一方クレイズは、たくさんの観客の思考の中からしっかりとザドルフの思考を見つけ出していた。流れてくる感情は、今まで聞こえてきた中で一番黒く、欲にまみれ、悍ましいものであった。今まで聞いてきた負の感情が可愛いものに思える程に。
次第に険しい表情を浮かべ、握りしめている拳の中も汗でびっしょりのクレイズは、もはや己の身体や心に構っている余裕すらなくなっている。もともと魔力が多いせいで能力の制御が苦手なクレイズは、大勢の中から聞きたい声を探すのが得意ではない。そのため、疲労で重たくなった身体が倒れ始め、椅子から落ちそうになっていることに気がつかなかった。
クレイズが身体の異変に気がついたのは、床に打ち付けられたからではなく、柔らかい何かに当たったからだった。驚いて思わず目を開ければ、そこにはクレイズを支えるように抱きしめるソフィアの姿があった。柔らかい何かとはソフィアの身体だったのだ。
「お、お前!」
「……私のことは気にしなくていいから能力の制御に集中して」
「あ、あぁ。悪いな」
基本的に能力を使っている際、必要以上に人を近づけることのないクレイズは(思考がだだ漏れで気分が悪くなるから)人との接触に免疫がなかった。内心動揺するクレイズだが、ソフィアを視界に入れないようにと目を瞑り集中し直す。
少しずつ流れ込んでくる様々な感情の波に意識を向け始めると、何故か今までよりも落ち着いて他者の思考を読み取れることにクレイズは気付く。なんとも言えない感覚、敢えて言うなら人の感情が気にならない、そんな感覚。己を包む暫く感じる事のなかった人の温かさをほのかに感じ、安心していると認識した時、クレイズは思わず自分自身に呆れてしまった。
あんなにも人間なんて愚かでどうでもいい、必要ない、そう思っていた自分が人の温もりを必要としていたとでもいうのか。
そんな考えにたどり着いたクレイズは情けなくもあり、馬鹿らしいとも思えたが、ソフィアの温もりが嫌だとは思わなかった。
結局、クレイズはザドルフが帰るまで能力を使い、ソフィアに支えられ続けた。能力の使いすぎでグッタリしているクレイズがソフィアの肩を借り、逃げるように劇場を後にして家に着いた際、クレイズがソフィアにかけた言葉。それを思い出しソフィアは作業を止めて苦笑いを浮かべる。
ーー劇、ちゃんと見せてやれなくて悪かったな。
「あれは謝罪? それとも嫌味かしら? やっぱり助けてやるんじゃなかったわ」
そう言いながら再び手を動かし始めソフィアの手元にあるのは、二人分の遅い夕食であった。




