何かが動き出す兆し?
家の中では魔石のついたネックレスを外すようになったクレイズは、負担が減ったからなのか、みるみる回復していった。そして、今日も変わらず昼間はフードを深く被り、外へと出ている。
ソフィアもまた、クレイズの能力を聞いたからといってやる事が変わるはずもなく、今日も今日とてリリアとして屋敷で働く日々を送っていた。
変わった事と言えば、クレイズの情報によって調査することが絞られたため、屋敷で聞き出す相手を変えたことと、夜にはクレイズが見つけた結界の綻びから城の敷地に忍び込むようになったことだろう。
忍び込むのはクレイズよりもソフィアの方が得意である。クレイズに嫌々ながら罠のある場所なども調べて貰ったので、そこまで難しいことでもないのだが。
本日も夕方まで屋敷で働いていたソフィアは、一度家に戻ると、仕事着に着替えて家を出た。高台に立つ高い塀に囲まれた城は要塞さながらの雰囲気を醸し出していて、普通は忍び込めそうもない。ソフィアだってクレイズの情報がなければ、そう簡単に手を出そうとは思えない相手だ。
クレイズの教えてくれた綻びのある箇所は、以前王族が使うために作られたのだろう秘密の通路が塞がれていたところにあった。クレイズが言うには、かなり古く、使うには危険だから塞いだのだろうが魔術で補強すれば十分侵入できるし、結界に綻びがあればなお浸入するのは簡単、だそうだ。
ソフィアが「城がそんなに脆くて大丈夫なの?」と半分呆れ気味に言えば、クレイズはあっさりと「魔力の高い魔術師がいないから修復しきれないのだろう。俺ならすぐ気づく」と言ってのけた。
そんなこんなで、偉大な魔術師クレイズの力によって城への道は簡単に築かれたのである。
クレイズに渡された魔石を術式の上にかざすと、岩の間に細い道が現れる。這い蹲りながらその道を進めば、あっという間に城の敷地内へと浸入できた。
「あの人が共犯者になるだけで、こんなにスムーズになるなんて。『影』に入れば売れっ子でしょうけど……無理ね。国が手放さない」
クレイズの能力を知っていながら、セルベトが『影』として使わなかったのだから、彼はクレイズを魔術師としてかっているのだろう。クレイズはこの作戦が終われば自由だと言っていたが、ソフィアは愛国心の塊のようなセルベトがクレイズを手放すとは到底思えなかった。
細い道から抜け出たソフィアは、騎士団の本部のある方へと気配を消しながら走り出す。武力の高いハデスト帝国の力の中枢とも言うべき場所。そんな危険な場所へ行く理由は一つだ。以前ライルが調査したガルベスト伯爵領から流れた武器を確認するためである。
すでに人々が眠りにつく時刻になっており、敷地内には見張りの騎士しかいなくなっている。物陰に隠れながら、一つ一つ建物を確認して行くと、大きな武器庫を発見した。
もちろん入り口には警備する騎士がいる。窓も格子が付いていて入れそうもない。
予想通りと言えばその通りで、がっかりすることはないが、何も収穫がないのもいただけない。なんたって、仕事の後の疲れた身体に鞭打ってやってきたのだから。
月に雲がかかり辺りが暗くなった瞬間を見計らい、音もなく武器庫に近づくと、一気に屋根へと駆け上がる。息を殺し、辺りの気配を探ると、屋根にぶら下がり窓から中を覗き込んだ。
暗闇に慣れているソフィアの目に、たくさんの武器が映り込む。ざっと見ただけでもソフィア達の想像していた以上の武器が確認できた。他にも武器庫があるだろう事を考えると、いよいよ戦を仕掛けてくるという推理が現実味を帯びてくる。
武器庫の入り口に見たことのある荷を見つけたソフィアは、これ以上の長居は必要ないと判断し、そのままくるっと回転しながら地面へと着地した。
とても若い娘が行う芸当ではないが、幼い頃からこんなことを仕込まれ続けてきたソフィアにとっては朝飯前だ。今のところ、ソフィアの厄介な相手は高い魔力検知力のあるクレイズぐらい。城の結界を張り直す程の魔術師がいないハデスト帝国には、そんな強敵はいないだろう。
再び抜け道を通り外に出たソフィアは、無事、今日の仕事を終え帰宅する。涼しい夜風が変装を解いたソフィアの亜麻色の髪を撫でる。今のソフィアを見てリリアだと結びつけられる者はいない。夜の闇の中でだけ、ソフィアはソフィアとしていられるのだ。
家に着いたソフィアは、土埃のついた身体を洗おうと浴室へと向かう。身体にフィットする黒服を脱ぎ捨て、お湯を頭から一気にかぶる。魔石の力を使いお湯にするため、かなりの贅沢品であるが、首都では多くの家についているというから、他の村との貧富の差がこんなところからもわかるのだな、と話を聞いたソフィアは思ったものだ。
土によって絡んだ髪を丁寧にほぐし、洗い上げる。身体を洗っているときに目に入るのは様々な傷跡だ。女性ならば許されないだろうたくさんの傷跡は、肌が白いこともあり、より目立ち、痛々しい。
気にしたことがないと言えば嘘になる。恋に恋する年齢の頃は、好きな人ができたら気持ち悪がられないか、嫌われないか、と心配していた。勲章だと胸を張れるのは男だけで、女は傷物となる。私は野蛮です、そう言っているみたいだと考えたこともあった。
でも今は、そんな感情は芽生えてこない。この肌を誰かに見せることなんてないし、この傷はソフィアが懸命に生きた証なのだ。女であることは、とうの昔に捨ててしまった。ソフィアの目指す先は、ひっそり陰で生きていく、それだけだ。
浴室を出たソフィアは、ダイニングを抜けて自分の部屋へと向かおうと扉を開ける。するとソフィアの目に、テーブルに座り、ソフィアが作り置きしていた夕食を頬張っているクレイズが飛び込んでくる。
突然扉が開いたことでこちらを見たクレイズは、ソフィアを見て、目を見開くもすぐに皿へと顔を戻した。
「今まで外に?」
「あ、あぁ。まぁな」
歯切れの悪いクレイズにソフィアは首をかしげる。敬語じゃなくてよいと言われてからソフィアはクレイズに敬語は使わなくなった。それ以上に遠慮もなくなった。全てを知っているだろうクレイズの前でいい子の演技をしても意味がないと思ったからだ。
「どうかしたの?」
「いや、なんでもない」
いや、明らかに何でもない感じじゃないでしょ!? と突っ込みたいソフィアは、流石に失礼かと思い言葉を飲み込む。
一方のクレイズは、湯上りのソフィアに動揺していた。まだ湿っている軽く纏められた亜麻色の髪、ほんのり火照った頬、服で素肌は隠れているが、服から出たしっとりとした首元は色気を醸し出す。クレイズは顔立ちは整っているものの、能力のせいで女性(というより人全般)との接触が少なく、この様な無防備極まりない姿の女性への免疫がなかったのである。
「そういえば、城の武器庫に想像以上の武器があったわ。もしかしたら、戦は近いかもしれない」
「そ、そうか、動くのも時間の問題ってわけだ。一行はいつ頃来る?」
「サリーナの話では、すぐにこちらに向かってくるそうよ」
「そうか」
話が途切れ沈黙が訪れる。もうこれ以上話すことはないとソフィアは部屋に戻ろうとして、あることに気が付いた。そういえば、自ら食事をとっているクレイズを見るのは初めてだと。初日と具合いの悪かった日はソフィアが無理矢理食べさせたが、それ以外はいつの間にか食べており、食べた皿が洗われているの見て、あぁ食べたんだな、と確認していた。だから、自主的に食べているところを見たのは初めてなのである。
「食事」
「あ?」
「食事、口に合う?」
今までソフィアが食事を作ってあげたことがあるのはサリーナくらいで、他人に食べてもらったことはない。美味しいと言って欲しい訳じゃない。でも、口に合わなかったらと心配になった。
というか私は何を聞いてるんだろう。今まで他者なんてどうでもいいと思ってたのに。
そう思った瞬間、嫌な汗が身体から出てくる。ソフィアは慌ててクレイズが答える前に言葉を挟んだ。
「いえ、なんでもない。忘れて」
そんなソフィアを一瞥したクレイズは、視線を空になった皿に戻し立ち上がると、キッチンへと歩き出す。さっきの言葉を流してくれた、とホッとしたソフィアは、そのまま無言で部屋へ戻ろうと踵を返したが、そんなソフィアの背中に思いがけない言葉が降ってきた。
「まぁ……上手い方なんじゃねぇ」
「え?」
とくんと心臓が跳ねた。ソフィアは勢いよく振り返ろうとして、やめた。クレイズがこちらを見ていたら、どんな顔をすればいいのかわからなかったからである。
「……そう、ならいいわ」
ソフィアは精一杯の一言を返し部屋へと入る。そして扉を閉めた瞬間に、そのまま床へと崩れ落ちた。
先程より早く鳴る心臓音、体の奥がむず痒いこの感じが何か、ソフィアはわからない。それが褒められたことへの喜びだと理解するのは、もう少し先のこと。




