貴方と
フラッシュがたかれた。世界が白む。
手に馴染む旧式のカメラは、古ぼけた見た目とは裏腹に、細部まで鮮明に、煌びやかな情景を写し込んでいた。
青年ダーグルは、カメラのレンズから目を離して、写真に収めた、人の良さそうな老人を見た。以前、シュヴァリエの花畑で会った老人だ。まさか、国に代表される司教だったとは。
今日は、ウルバヌス全土が待ち望んだ記念日。
第二王子の結婚式である。
数日前より城門は開け放たれ、城の内部から街の外まで、寝ても覚めても祭りやパレードが続き、国全体が祝いのムード一色であった。勿論、その知らせはウルバヌス国内に止まらず、大陸一体を駆け巡った。
「私は二等級兵ラザと申します。ダーグル様ですね。案内を仰せつかっております。どうぞ、こちらへ」
振り返ると、童顔の青年がにこやかに微笑んで立っていた。ダーグルとはさほど歳も背も離れていなそうだが、流石はトレジャーノンの兵士。鍛え上げられた肉体と、引き締まった顔付きは、最強と謳われる軍に属した者のそれであった。
「うちの軍に、お知り合いでもいらっしゃるんですか?」
「へ?」
まだ式は始まっていないと言うにも関わらず、どこか浮き足立つ雰囲気が漂う宮殿内。準備に忙しいメイドや執事が駆け回る会場に案内されながら、ダーグルは素っ頓狂な声を上げる。
「いえ、ダーグル様を丁重におもてなししろと、ジェノヴァ様より直接命ぜられましたもので。あ、私は一応、ジェノヴァ隊の一員でして」
ラザが、照れ臭そうに頭をかく。
「ええ、以前からジェノヴァ様には色々とお世話になっているんです」
「そうなんですね! いやあ、では今日はお互い張り切らねばなりませんね!」
にこにと愛想の良い彼も、話の端々からジェノヴァに傾倒しているのが、よく分かった。彼の瞳は憧れに眩く輝き、尊敬の意が溢れんばかりである。
「俺が写真家になれたのも、ジェノヴァ様あってこそなんで」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。だから、お祝い期間は毎日全力で頑張りたいな、と」
「本当ですか! いやあ、なんだか私も嬉しいです。是非、良い写真を!」
ダーグルは、王の御前で王子の妃となる誓いを行う戴冠式と、国民の前で行う婚姻の儀を特別に近くで撮影する許可を得ている。ダーグルの他にも数人、国屈指の選ばれた写真家や記者はじめとした取材陣がいるが、ここまで権利をもぎ取ることに苦労した道のりを思い出すだけで、込み上げるものがあった。
「こちらが、戴冠式の広間です」
豪華絢爛な大広間は、豪勢に飾り立てられ、まるで天界の神殿のように美しく、雅で、荘厳。
中央奥に据えられた王座は、空席にも関わらず、堂々たる威厳と威光を放つ。
「ダーグル様は、この位置でよろしくお願いします。くれぐれも、乗り出しすぎたりはしませんように」
参列している者達は皆、煌びやかな一張羅の正装に身を包み、静かに時を待った。ダーグルは引き攣った顔で、周囲を見渡した。国きっての英傑が、一同に集結しているからである。他国の王族も参列しているではないか。
兵士の声と共に、重い扉がゆっくりと開かれた。国王オルガと王妃ダイアナ、そして数ヶ月後に王位を受け継ぐことを発表したばかりの第一王子、エディアルドが、それぞれ王宮騎士団の直属部隊、つまりは軍特殊精鋭部隊の班員を伴って広間に入ってくる。
それだけで、場が圧っされた。息苦しくなるほどであった。他国の王を除き、皆一斉に、床に膝をついて頭を下げる。
「面をあげよ。まず、我が息子の婚礼の儀に集まってくれたこと、感謝する」
皆、穏やかな面持ちで、再度頭を下げる。
「そして、ここに新たな妃が生まれたことを、皆で祝福しよう」
扉が開いた。そこに立っていたのは、第二王子レイ。
紅蓮の炎の如く燃ゆる瞳と、麗しい美貌。鍛え抜かれた無駄のない肉体は、上背をも活かして、白と金で設われた豪奢な服を完璧に着こなしている。王族らしい威厳に満ちた姿は、自然と人を傅かせる力を持っていた。
彼に続いて、第二王子直属の軍特殊精鋭部隊第四班、撃滅の七刃のメンバーが広間に入ってきた。幾多の視線をくぐり抜けてきた、圧倒的威圧感は、筆舌に尽くし難い。その英才を戦場だけでなく、多方面で華開かせ、その名を知らしめる彼等の雄姿には、誰しもが口を閉じ、鳥肌を立たせた。
「レイ」
「父上。そして、母上、兄上。この度、わたくし共の結婚を認めてくださったこと、誠に感謝申し上げます」
レイが王座の前まで進み、軽く挨拶を述べると、くるりと両脇に並ぶ皆に向かって礼をした。慌てて、一同皆礼を返す。
「皆にも、感謝しかない。本当にありがとう。そして、今日は、最後まで見守って頂きたい」
そのレイの言葉を耳にした途端、王の隣で大号泣するのは、王宮騎士団団長のダカだ。戦場では敵なしの大男の泣きじゃくる姿に、周囲は半分呆れながらも、今日ばかりは仕方ないと、優しい眼差しを向けている。王オルガが、面白そうに妃のハンカチを貸してやっている様子は、流石に珍しい場面であった。
そして、またレイは正面に向き直り、胸に右手を当てる。目を伏せ、微笑んだ。その笑みは、幸せそのもの。甘やかで、艶やかで、心底嬉しそうな笑み。
「ご紹介いたします。我が妃、ジェノヴァです」
扉が開いた。
燦く爽やかな香りが、舞い込んできたかのように思えた。
皆揃って振り返った先には、凛と佇む一人の女性。
目が眩むほど、美しい──。
薄いベールの奥で微笑む、綺麗な曲線を描く唇。
滑らかな頬と、瑞々しく美しい碧眼。
凛とした輪郭は、少し緊張に力んでいるものの、その聡明で気品溢れる端麗な造形。
豊かな金の短な髪は、可愛らしく編み込まれ、可憐な女性らしさを携えていた。
彼女が一歩、深紅の絨毯の上に足を踏み出す。
スタイルのいい身体にピタリと添い、裾で大きく広がる純白のドレスが、悠然とした歩調に合わせて、揺れていた。
気品のある凛々しさと、エレガントな艶やかさを纏う姿は、美しいの一言に尽きる。
レイと目が合えば、彼女は天使と見紛うほどの微笑みを返す。そして、レイの隣まで歩むと、参列者に軽く一礼、王の前に傅いた。
「ダカ・イーゼルの娘、ジェノヴァ・イーゼルです」
「よいよい。頭を上げてくれ、可憐な姫よ」
我が子を愛でるような、慈愛に満ちた眼差しで、オルガはジェノヴァに声を掛けた。
「君の父上には、長らく世話になっている。そして、君は我が国の為、国民の為、息子の力となる為、献身的に働いてくれていることは、私も良く知っている。我が倅と夫婦となること、私も嬉しく思う」
「勿体なきお言葉……」
ジェノヴァの声が、珍しく少し潤む。
「これからも、誉高きトレジャーノンの軍を率いる騎士としての傍ら、王子を支えてやって欲しい」
「はい」
「レイ」
「はい」
ジェノヴァ隣に、レイが傅いた。
「これほどまで美しく、才気に恵まれ、そしてお前をこんなにも愛してくれる者を、大切にしなさい」
「はい。生涯、この者だけを愛し抜くことを誓います」
ちらり、とレイが横を見れば、頬を紅潮させるジェノヴァが、必死に下を向いていた。
「司教殿」
二人が立ち上がると、司教がゆっくりと歩み出、二人の前に立つと、朗々と経典を詠んだ。
「慈しみあい、支えあって生きることを誓うか」
「はい」
「二人の愛を、命を以って誓うか」
「はい」
二人は顔を合わせて、にこりと笑った。
「では、王子。指輪を」
七刃のメンバーが、近くから固唾を飲んで、見守っている。レイの相談に乗り、六人で散々悩み倒した指輪は、品良く輝くダイヤモンドを嵌め込んだ、洗練されたもの。
ジェノヴァが、恥ずかしそうに笑顔を咲かせた。




