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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第一章
8/83

秘密




「レイ様!どこにいらっしゃるんですか!レイ様ー!」


 甲高い声が、昼時の庭中に響いている。


「巻いたか」


 ふう、と汗を拭いつつも、たいして疲れた素振りもなくレイは声を漏らした。丁度、メイドのアリスを巻いたところである。ちょっとシャツのボタンを外していただけで、きっちり上までとめろ、としつこいのだ。レイが一目散に逃げ出すと、案の定、50に差し掛かろうとしている歳とは思えぬ、全力のダッシュで追いかけられた。

 いつ何時なんどきでもしゃんとしてください、と彼女は言うが、反論したって全く話を聞かないのが、アリスという女である。彼女の口論の武器である、品格と王子らしい振る舞い、を今日も元気に振りかざしていた。多少のことは見逃してくれる多くのメイドとは違って、頭の固いのなんの。四六時中そうしてる訳でもないのだから、ちょっとぐらい良いとは思わないのだろうか。剣闘の後は暑くてしょうがないのだから、目を瞑って欲しい。

 どのみち、若いメイドにならいいが、おばさんメイドに甘い言葉を囁いたってなにも良いことはないので、早々に逃げ出してきた次第だ。


「今度はボタン全開にしてスタンバっててやろうか」


 その自分の寒い冗談に鳥肌が立ち、絶対やりたくねえな、と即座に頭の中で打ち消した。

 まだ柔らかい太陽の光が燦々と降り注ぐ中、彼は中明るい庭をぐるりと見渡す。手入れが行き届いて整っているその庭は、絵画から持ってきたかのように美しい。シンメトリーに整えられた外の庭とはまた少し雰囲気が異なり、穏やかで人や動物が息づいていそうな温かな印象を受ける。昼休憩の時間とあって、中庭に面した外廊下は騎士やメイド達が行き交っていた。レイは、この時間の中庭を気に入っている。ゆっくりとした穏やかな時間が流れていて、心地よい空気に心が落ち着くからだ。

 ゴーン、ゴーンと、古い時計台の鐘が鳴る音と、鳥達が一斉に羽ばたいた音がした。今日の昼は珍しく仕事がなく、折角だからとレイは昼寝のスペースを探す。西の塔の近く、建物の壁に寄り添うようにうねって生える木は、彼のお気に入りだ。幹も枝も太くてしっかりとしていて、中々昼寝にはもってこいの形をしている。青葉が生い茂る時期になると、丁度良く目隠しにもなってくれる、優秀な木である。決めた、と思うが早いか、再びアリスに見つかる前に登って寝てしまおうと、彼はさっさと庭を横切りだした。彼女の説教は長いのだ。捕まると面倒なことは目に見えている。木を目の前にして、やっぱり最適、と足をかけてから、あれ、と思い首を傾げた。


「人の気配……」


 どうやら先約がいるようだ。仕方なく、他の木を探そうとした時だった。


「レイ様ー!」

「うわ」


 何度も自分の名前を連呼するその声に、顔を歪めた。咄嗟に周囲を見渡すが、木の周りにはレイの身体を隠せるほどの茂みはないし、何と言ってもタイミングが悪い。仕方なく相席させてもらおうと、引っ掛けた片脚にぐい、と力を込めて身体を持ち上げた。それから左手で更に上の枝を掴んで、右足に力を込め、素早く葉の生い茂る辺りまで登って。


「えぇ!なにしてん、もがっ」

「ちょっと黙れ」


 騒ごうとしたそいつを強制的に黙らせた。


「レイ様ー?」


 先約客には悪いが、先に身の安全の確保が大事だ。こっちに向かって来たらしいアリスに見つからないよう、急いで身を乗り上げ、大声を上げようとしたそいつの口を押さえたまま、幹にそいつごと身体を寄せた。木がレイの体重に、揺れた。もごもご、と何か言いたそうにしているのを尻目に、木のそばをアリスが通り過ぎていくのを息を潜めて見守る。黒髪を隠すように、頭を下げると、更に近くなった距離に、抱え込んだ奴がびくりと動いた。暫くして、彼女がいなくなったことを確認し、よし、と身を離す。


「あれ、お前かよ」


 己の胸の中から現れたのは、顔を真っ赤にしたジェノヴァだった。小柄だから、どうりで枝に隠れて姿が見えなかったわけだ、と納得。普段は陶器のように白い肌が、林檎のように染め上がっている。


「……なに、してくれるんだ、コラ」


 酸欠気味に悪態をつくジェノヴァにいつもの勢いが無く、吹き出す。


「おい、ハグだけで恥ずかしがんなよ」


 茶化したレイの台詞にジェノヴァは更に慌てて、恥ずかしがってる訳じゃねえよ!と声を張り上げた。


「違うからな!頭押さえつけられて息はできないし、苦しくて死ぬかと思った!」


 ふくっと頰を不満気に膨らませ、唇を突き出して反論する彼の様子に、レイは殊更ことさら面白がる。この部下はレイ達のお気に入り。撃滅の七刃の末っ子であり、揶揄い甲斐がある。


「え、そんなに俺のこと想って……」

「男同士でどういう関係になろうとしてんだよ」


 はあー無駄に疲れた、と言うジェノヴァを頭を、悪かった悪かった、と彼は撫でる。ジェノヴァの艶のある金髪にその手を何度も潜らせて、彼はその滑らかな感覚を何往復も楽しんでいるようだ。悪びれた素振りは微塵も感じられない。ジェノヴァも、彼の穏やかな表情を見て黙り込み、何も言わずにただ、ふくり、とまた頬を膨らませてみせた。


「ここ、よく使ってんのか」


 木の幹をパシパシと叩きながら尋ねるレイに、こくりとジェノヴァは頷く。太陽の優しい光を反射して、風に揺らされた葉が、さわさわと呑気にそよいでいる。上を見上げていたレイは目を細めて、確かに、寝心地が良さそうだな、と低くて穏やかな声で呟いた。差し込んだ光がレイの瞳を照らして、彼の紅の光彩は鮮やかな赤のルビーを思い起こさせた。一瞬その宝石の輝きに魅入りながらも、ジェノヴァは口を開く。


「それだけじゃないぜ、時々猫がやってくる特典付き」

「そりゃあ豪勢だ」


 指を立てて、にんまりするジェノヴァに、彼は再度吹き出した。


「なんだよ。猫って枕に丁度いいんだぞ」

「え、猫の使用法それ?可愛がるとか、鑑賞用とかじゃねぇの?」


 生真面目に猫の枕としての性能の良さを力説するジェノヴァに、レイの笑いは止まらない。終いには、腹を抱えて声も立てずに笑い、ジェノヴァの髪を撫でる。それがなんだか悔しくて仕方ないジェノヴァは、その仏頂面で只唇を尖らせるしかなかった。


「俺もう昼寝終わったから。ここ使っていいよ」


 ひとしきり戯れあいを繰り広げた後のち、ジェノヴァ枝から飛び降りて、木の幹に寄りかかるレイを見上げた。彼は半分微睡みに浸りながら、片目だけ開けて。


「じゃ、遠慮なく」


 と腕を頭の後ろで組んで、寝に入る。それを見て、立ち去ろうとしたジェノヴァをまた、彼の低い声が呼び止めた。振り返ると幹に背を預けて寝そべり、ここ俺達だけの秘密な、と唇に指をそっと当てる彼。もちろん、とだけ返して、ジェノヴァは早足にその場を離れた。庭からタイル張りの宮殿にその足を踏み入れた途端、弾かれたように彼は走る。何かから逃れるように、走る、走る、走る。


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