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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第五章
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しがらみ

 左右から来た2人の男の胸を踏み台に、身体を持ち上げ、少し奥の男の投げたナイフを叩き落とす。そのナイフは方向を変え、左から来た敵の心臓を抉った。

 レイの身体が落ち始め、ここぞとばかりに攻撃しようとする。

 彼の首にはレイの右手。剣がレイの服を裂くも、ゴキリと嫌な音を響かせて男の首はあらぬ方を向き、そのまま男は地に伏す。

 着地したレイは軽く息を吐き、ナイフを投げた。


「ひっ」


 逃げ果せようと、壁伝いに回り込んでいたサルファンの目と鼻の先に、壁に刺さった振動の余韻を残すナイフがあった。

 レイの絶対零度を思わせる顔が、ぐるりと彼に向き、「動くなよ」と一言、釘を刺す。

 サルファンの恐怖に震えるおとがいからは、乾いて掠れた呼吸音だけが洩れる。


「動けばその首、即座にね落とす」


 青ざめた顔で、彼はしきりに首を縦に振る。それを見て、レイはまた、大理石の床を蹴った。

 拳を何度か交え、蹴りで柱に敵を激突させる。彼の腕を敵の剣が焼こうとも、拳が身体に入ろうと、彼は全く揺らがない。それどころか、戦いの中で鋭さは増すばかり。荒々しい剣が閃き、敵が次々に膝をつく。


「貴様……。我等の宮殿で好き勝手暴れよって。生きて帰れると思うなよ」


 ラガゼットが、言う。流石は国の軍総司令官。彼の殺気は、他の者のそれとは一線を画している。


「おいおい。先に攻撃してきたのは、そちらでしょう。うちはその反撃に出たまで。戦っていたら、こんな所まで来てしまいましたがね」

「食いつくよう、餌を撒いたのはどちらかな」

「おっしゃる意味が、解りかねる」

「見え透いた嘘を」

 レイは一気にラガゼットとの間を詰め、回し蹴りを放った。避けられる。

 両手を添えた剣を、脳天から突き刺す。これも避けられる。

 反撃が来た。すぐさま躱し、肉弾戦にもつれ込む。

 その間にもレイの左手は内ポケットをまさぐり、取り出したナイフで、背後から襲って来る敵を絶命させる。

 漆黒の髪を翻し、身体を反転させてラガゼットの放つ蹴りを、片腕で受け止める。重い。

 ラガゼットの足を突き返して、その反動を利用して跳び上がり、勢いをつけて、近くの壁を駆け上がる。身体を回転させながら斬り下ろす。

 肩を斬った。腕を斬られた。

 着地と同時にしゃがみ込み、乱撃を凌ぐ間に、足を引っ掛けて倒すと、ラガゼットの頭は丁度石膏の柱に激突する。


 別の敵の剣が頭上から降って来るも、転がるようにして避け、両足で受け止めた。

 襟ぐりを掴もうと伸ばされる右腕を払って、剣で弾き、弾みをつけて起き上がる。

 背後から男の刃が迫っていたことに気付き、咄嗟に上半身を逸らせば、髪が少し切れ、黒がはらりと舞った。


 その時、レイの名を呼ぶ声が響いた。


 同時に何かが放られ、それを咄嗟の瞬発力で掴み取って、レイはその手触りを確認する。

 思わず口許に笑いを溜めて、それをくるりと慣れた手つきで弄び、背後の男の腹に刺して、引き裂いた。

 血を吐いて絶命した男の後ろに現れたのは、予想通りの人。


「ジェノヴァ」


 レイ同様、血を被った酷い格好だ。

 片手に短剣を持つ彼女に、借りていた、ついの短剣を投げた。それを上手いことキャッチして、彼女は笑う。


「待った?」

「俺も今来たところだ」


 ラガゼットが呻吟しながら、頭を押さえ、立ち上がる。灰白色の屑が彼の肩から、ぱらぱらと落ちた。


「お前は……」


 震えた声が、落下する。

 ジェノヴァがそちらを向いて、目を見開いた。驚きの表情はすぐにひび割れ、降魔の相へと変わる。怒りに強く噛んだ奥歯から、軋む音が洩れた。


「イレヴン」

「その名で、呼ぶな!」


 凍てついた彼女の視線が、気色の悪い笑みを浮かべるサルファンを貫いた。

 彼はよろよろと立ち上がり、まるで取り憑かれたような表で、ジェノヴァに手を伸ばす。虚な瞳。白濁した、めしいた目だ。

 その目を向けられたジェノヴァは、一歩後ろに下がった。鳥肌が立つ。


 ──イレヴン。


 お前の愛称だと言って、サルファンはジェノヴァを好んでそう呼んでいた。

 屈辱、憎悪、恐怖。不安的な感情が、ジェノヴァの脳を激しく掻き乱す。



「イレヴンじゃないか!ああ、会いたかったよ!その綺麗な顔と髪と宝石のような瞳!変わっていない……いや、それどころか、ますます美しくなった」

「……俺の名は、ジェノヴァ・イーゼル。それ以外に、名は持っていない」


 ジェノヴァの両手に握られた短剣が擦れ合い、高い金属音を奏でた。

 レイも、刀身に滴る血を振り落とす。床に赤い斑紋が散って、一面が紅の花畑のようになる。


 床を蹴ったのは、同時だった。

 花火のように血が吹き上がる。四肢が砕け、爆竹のように音を立てて、二人に手向かった敵が次々と地に伏してゆく。


「私のところに戻って来たんだね!待ってたよ!」

「煩い!」


 サルファンは狂っている。ラガゼットが必死に彼に何かを叫んでいるが、我を失ったサルファンの耳には、届いていない様子だった。

 ジェノヴァは怒りのままに、剣を振りかざす。己を飲み込もうとする鬼胎きたいの翳を、振り払おうとするが如く、暴れるように闘った。


 幼いジェノヴァの心に植え付けられた恐怖心は、時間が経っても、そう容易く癒えない。尚且つ、姉の死体を目にして、自分の罪深さを思い知ったばかりである。

 今のジェノヴァを苛む苦痛は、計り知れないものに膨れ上がっていた。


「君が一番のお気に入りだったよ。君がいた頃、色んなことを一緒にしたよね」

「黙れ」


 気持ち悪くなる。彼の口をついて出る言葉全てが、内臓を揺さぶる。ジェノヴァは吐き気を抑えて、また敵の騎士を張り倒した。二度と見たくもなかった醜悪な輩が、腐った言葉を丁寧に並べている。

 耳を塞ぎたい。

 目を背けたい。

 口を、削ぎ落としてやりたい。


「うん百人と奴隷を連れて来させたけど、イレヴン、君が一番綺麗だったんだ。また、君の肌に触れたいよ。こっちにおいで」

「煩いって言ってるだろ!」


 ジェノヴァは怒鳴りながら、脚に力を込めて男の頭を蹴り上げた。

 剣を握る腕が震えた。こんなことは初めてだった。どう足掻いても、過去の記憶が鮮明に蘇る。


「二人きりの時、楽しかったよね」

「黙れ」

「早く、こっちに来なさい。君は私のものだ」

「黙れっ!」

「どれだけ時が経っても、どこへ行っても、君は私の所有物ということに変わりはないんだよ」

「黙れえぇぇ!」


 ジェノヴァが絶叫に似た大声で激怒したその時。


「ジェノヴァ!」


 彼の鋭い声が響き、赤い血が目の前を舞った。


「……レイっ!」


 焦点を失っていたブルーの瞳が、一瞬にして色を取り戻す。舞い散る赤が、ゆっくりと視界を横切った。


「ど、どうしよう、おれ……」


 レイが自分で抑える右腕からは、じっとりと血が染み出してきた。

 それを見て、レイに抱き込まれた状態のまま、ジェノヴァの顔からはみるみる血の気が引いてゆく。彼女は目に見えて狼狽えた。

 相手も手練れ。ジェノヴァが逆上することでできた、一瞬隙を突いてきたのだ。


「ごめん、レイ。ごめん……」


 自分の服を引き裂いて、ジェノヴァは必死にレイの右腕に巻きつけ、止血をしようと試みる。血は止まらない。

 それどころか、どんどん流れていくように思えて、ジェノヴァの手元はどうしようもなく震えた。気が動転する。冷静を欠いたジェノヴァの心臓は、不安に押し潰されそうになって、早い鼓動を刻む。空気すら、うまく吸えない。涙が勝手に、止まることなく流れていた。


「……ジェノヴァ」

「あぁ……。ごめんなさい」

「ジェノヴァ」

「ごめん、どうしよう、利き手なのに」

「ジェノヴァ! 俺の目を見ろ」

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