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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第五章
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しがらみ

「ああ。確かに、君のところの王子、見事な詐欺師ぶりだものね。純白なままのフリをしていられるのも、そろそろ時間の問題だと思うけど」

「えー? どこが?」

「それは、君が一番良く分かってるんじゃない?」

「さあ」


 レイは、護ると決めたものは、犠牲になったとしても、踏み台にされたとしても、身を呈して護る男だ。カルキは良く知っている。今まですぐ傍で彼を見てきたから。そして、これからもずっと見ていきたいと、望む自分がいる。


「血をたくさん浴びて、制服が真っ黒になる。それを揶揄して言うんだとよ」

「へえ。いいじゃない」

「あれ、部下として、上司がそんな風に言われて言い訳?」

「いや? 寧ろ、レイのこと良く分かっていると称賛を送ってあげたいよ。彼は、拷問《汚れ仕事》だって自分の手でしてしまうような、頭の螺子ネジがぶっ飛んだ人だよ」


 エディアルドの外面がいい反面、レイは、自分が泥を被って生きていく覚悟で悪人を裁く。エディアルドが綺麗な舞台を歩いている裏で、レイは血に塗れたいばらの道を行く。例え悪魔と恐れられようが、黒い王子と揶揄されようが、彼はこれからもそうやって生きていくだろう。愛しい者達の為に。


「イカれてるよ。……玉座の似合わない王子だ」


 笑わせる。

 吹けば飛ぶような、薄っぺらい嘲笑が、カルキの上品な唇からカラカラと落ちた。


「ねえ、ひとつ言っておくけど」


 悠々と見下ろしている気分でいられるのも、今のうちだ。その生温い湯に浸かったお前等の喉笛に、俺等がいつでも喰らいつけることを、覚えておいて貰わねばならない。


「お前の主人が座ってるその席は、からっぽの席だ。自ら汚れを被り、己のまなこで全てを見定め、全部を抱え込んできた者は、これから先どんなことも切り開いていける力を手にしている」


 ヤヒトは、手を止めたカルキの顔を見て、否応無しにひやりと心が冷えてゆくのを感じた。

 そつのない彼が浮かべる微笑はいつも恐ろしいが、今の彼の表情は言葉すら失わせる。感情の欠落した、美しいめんのような彼の顔付き。

 否応なしにヤヒトの心臓は早鐘を打つ。


「……俺の親友は、今や誰も追いつけない力を手にしている。敵に回ることを止めやしない。ただ、彼を貶し、利用しようというのなら、それ相応の覚悟でいて貰おうか」


 紫色の瞳が毒の棘を持った。ヤヒトは縛られたように、動けない。

 にっこり。カルキが笑う。


「痛い目見るのが嫌なら、彼についてとやかく言うのは、お勧めしないよ?」





 鋼鉄の扉がもんどり打って跳ね、脳の髄まで響くような金切り声を上げて転がった。硬い石で作られた廊下さえ、その衝撃で欠けてしまう。ぐわんぐわんと余波を残しながら木霊する部屋に、ゆらりと影が現れた。堂々たる立ち姿に、鋭利な覇気を滾らせている。


 レイ・フューアンブルー・シュリアス。


 ウルバヌス国王族の正統なる血を受け継ぐ、第二王子。その堂々たる勇姿からは脊髄まで戦慄かせるほどの冷気を発し、その剣に刺さっていた男を片手で振り落とした。

 誰をも震撼させる威圧感が渦のように押し寄せる。彫刻のような彫りの深い無機質な顔が、それをより克明にせていた。白い制服は赤に塗れ、狂気さえも孕む、暴力的な殺気を剥き出しにしている。多少怪我を負っているが、その剣捌きに微塵も疲れは見えない。


「アルレミド国王、サルファンだな」


 低くも美しい声は、敵意と憎悪、侮蔑と冷徹な感情を思わせたが、彼の思考は至って冷静だった。

 王座に座る老いた男が、しわがれた声を張り上げる。


「お前はとんだ間抜けな王子だな。まだ若いから仕方ないことか。こんな敵陣に一人でのこのこやって来て、無事に帰れる訳がなかろう。今、兵を引かせれば此処から安全に返してやらんこともない」


 サルファンの前には、従者らしき騎士達がずらりと並び、レイを警戒して、臨戦態勢で睨め付けている。サルファンのすぐ隣に立つ偉丈夫は恐らく、軍総司令官ラガゼット。

 人数の多さに驚きもせず、かと言って彼の戯言も意に介さず、レイは淡々とした様子を崩さなかった。


「その若造から言わせて頂きますが。ご自分の置かれた状況を考えた方が、宜しいのでは?」

「この人数差では、どんな名騎士でも敵うまい。この者達は腕の良い兵士達だ。お前の命は今塵に同じ。儚いのお」


 胸糞の悪い卑下た笑い声を上げて、サルファンはレイを見下ろす。

 めしいた目だ。その白濁した虹彩は、もう事の黒白こくびゃくすら、判別つかないのだろう。


「復讐に絡め取られる輩ほど、面白いものはない。……いや、私に首輪を付けられ、手綱を引かれるモノの方がやはり良い余興かな」


 レイの眼に、瞬く間に激昂の色が濃く滲む。


「お前の嗜好の為だけに、一族の女を地下牢に閉じ込め、酷い仕打ちをしていたのか」

「ああ、呪われた一族のことか。奴等は天女の如く美しい。その奇跡の生き物を、この私だけが独り占めする感覚は、堪らない快感だ」

「……愚かな」


 レイの紅の瞳が鋭く眇められ、痛いほどの険を含んだのにも気付かず、サルファンは立ち上がり、大声で叫ぶ。


「逆に国民に害を与える危険な輩共を排除したんだ。感謝こそすれ、愚かと蔑まれる謂れはない!」


 狡猾に口許を歪めるサルファン。レイは眉間に皺を寄せ、「それも策略だったか」と独りちた。

 彼女達が欲しいが為に、一族の悪い噂を流し、危険因子の捕縛という大義名分の下で、堂々と生け捕っていたという訳だ。生憎彼等は市井しせいうとい山の民。噂を止める術など無に等しい。


「お前は理解しないのだろうな。牢に閉じ込められ、生を保証されず、恐怖と絶望に雁字搦めにされる苦しさを。人権を踏みにじられ、人生すら狂わされた痛みを。彼女達が受けた苦痛は、計り知れない」


 レイは、ゆったりと間を詰めるように、サルファンの元へと足を運ぶ。ラガゼットが、それに呼応する様に前に一歩出た。筋肉の塊のような太い腕が、大きな剣を携えている。


「何故国王の俺が、下賤の者達と同じ地獄を見る必要がある?」

「馬鹿な国王には、難問だったかな。堕落した生活で、思考まで腐りきったのか」

「なにを!」

「これだけは言っておく。お前は、下衆ゲスで、クズで、考えの足らない阿呆あほうだ」


 サルファンに向かって、レイは剣の切っ先を向けた。血に濡れ、切れ味は鈍くなっているものの、その刃は今にも喉元を斬り裂こうと、炯々と光っていた。

 レイは必死に怒気を抑えていた。これ以上会話を長引かせれば、先にレイの理性が吹っ切れそうである。


「サルファン様に何という非礼!」

「うるせえよ。阿呆に阿呆と言ってなにが悪い」

「おのれ、こいつを殺せ!」

「戯言なら今のうちにほざいておくと良い。どのみち、お前は俺がこの場で処分するからな」


 そう言い残すと、サルファンの周りを囲うように立つ騎士達に、レイは飛びかかる。真一文字に振り払った豪剣が、轟々とした唸り声を上げて、一瞬にして多量の鮮血を吹き上げた。


「何をもたもたしている! 総員、かかれ!」


 それを開始の合図にして、次々と矢継ぎ早に敵がレイに斬りかかった。

 身体の大きな男が、力業でレイを押し潰そうと、合わせた剣に力を込めてくる。

 レイは手元を僅かに傾け、自分の剣の上で、彼の剣を滑らせる。その間に革靴の爪先部分を床に押し付ければ、踵から小ぶりのナイフが突き出た。

 踵で男の脹脛ふくらはぎを引っ掻くように足をかけ、悲鳴をあげた男の腹に、体重をかけたパンチをお見舞い。剣を弾き飛ばして、袈裟懸けに振り下ろす。

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