しがらみ
彼が言っているのは、アルレミドの国王を仕留める役のことだろう。彼が花形を譲ることは、滅多にない。勿論レイも同じなので、戦闘の度によく喧嘩をする。大抵はエディアルドが持ち去って行ったが、今回は随分と珍しい。
「俺だって、今のお前の気持ちくらい、汲んでやれるさ」
何の魂胆かは知らないが、今回は素直に貰わせてもらおうと、「そりゃどうも」と、レイはやや捻くれた返事をする。
「そんな芸当のできる兄だったとは。知らなかったぜ」
「おやおや。こんな良い兄を持てる人は、そう居ないよ」
指の間に挟んだナイフを放ってから、血飛沫を上げる敵を横目に、レイは走り出した。
広間に残ったエディアルドは、弟の大きくなった、逞しい背中を見送る。
愛しい者の仇。彼は、それを死んでも取りに行く奴だ。
エディアルドは、ふふ、と忍び笑いを零した。
風が耳朶を撫でた。その風を残したものは、泡を吹いて崩れ落ちる男と、胸にナイフを刺された男の間を縫って、目にも留まらぬ速さで飛んでいく。
ミルガが、押し込んだナイフを引き抜くと、敵は血を撒き散らして倒れる。見れば、既に床に潰れていた男は、矢を射られ、白目を剥いている。
「リーカス」
ミルガの背後から、リーカスが顔を出した。『黒眼の叡智者』と呼ばれる秀才。戦場でも普段と変わらない、淡々とした表情。何もかもを吸い込み、塗り潰す、漆のような黒の瞳が底知れぬ闇と冷気を放っている。専ら情報収集や分析に長けた男だが、弓矢の技術は群を抜いて良い。
「丁度良い。ミルガ、情報収集しに行くぞ」
「え? 何で俺も?」
叫ぶミルガを問答無用で引っ張って、リーカスはスタスタと廊下を歩く。
「敵ですね。ほら、ミルガ」
「は? おい!」
今度はミルガの背中を突き放して、敵の前に押し出す。反論しようとしたミルガは、迫って来た敵の刃を避けて、涼しい顔のリーカスを睨んだ。仕方がないとばかりに、自分の目の前の男達を斬り伏せる。ふわふわと柔い髪を乱して戦うミルガが、敵を蹴散らすのを、リーカスは後方で腕組みして優雅に待つ。
「お前自分で倒せるだろ!」
そんなミルガには目もくれず、リーカスは場内の見取り図を太陽光に透かして、余裕の表情。その涼しげな姿は、此処が戦場ということを忘れさせる。
「一人で、どうにかしておいてください」
「なんて人任せな!」
文句を言いながらも、ミルガは敵をことごとく返り討ちにし、瞬く間に周辺は血の海と化す。最後の敵を倒し、振り返ったミルガは敵へと向けていた鋭い眼差しをそのままに、リーカスを睨んだ。迫力のある形相だが、リーカスは全く怖じる素振りがない。
「行くぞ」
静かにそう告げ、見取り図を胸元のポケットに戻しつつ、リーカスは先を行ってしまう。そんな彼に、汗に濡れた髪を掻き上げ、ミルガは後に続いた。彼にとって今、ミルガは丁度手頃なところにあった盾程度の扱いなのだろう。
入り組んだ廊下を歩き、暗がりを過ぎり、時には隠し扉とも思われる扉を開ける。ミルガはキョロキョロと辺りを見回しながら、平然と幾多の道を間違うことなく進む、リーカスの背を追った。
「案外、面白くなかったな」
そう呟きを落として、彼は大きな扉の前に立った。ここからは彼の仕事だとばかりに、ミルガは見守る姿勢になる。腕組みをし、廊下の壁に背を預けて、リーカスの背中越しに、その手元を窺う。暫く眺めていても、ミルガの理解の範疇外だ。
たまたま、ちらりと投げやった視線の先に、外で応戦する仲間の姿が見えた。窓辺に近寄り、その様子を見下ろした。敵の数が多い。街の方から逃げた奴等が、城の方に来たのだろうが、実質は増援されたと同じこと。この人数の差を予期して、ライアを配置したものの、こちらの応援はまだ到着していないようだ。
「あーあ……」
沢山の敵を一度に相手するライアの、大きな背中が見える。ミルガは、辺りにさっと目を通し、適当な壁に狙いを定めて、回し蹴りを放った。メキメキと亀裂の入る不穏な音を響き渡らせて、煉瓦造りの壁が砕け散った。崩れ去ったその瓦礫の中から一際大きなブロックを拾い上げる。
「何してるんですか?」
リーカスが作業の手を止めず、此方に視線すら寄越さずに訊く。
「助太刀ー!」
空いた左手で拳を握り、窓を叩き割る。
「おぅらっ!」
ミルガは腕をしならせ、ブロックをぶん投げた。豪速球と化したそれは、空を切り裂いて飛んで行く。咄嗟に反応したライアの、元あった頭の位置を通過して、男の顔面に激突した。次々と敵に当たっていくブロックを目にして、好機とばかりにライアは男達をまとめて薙ぎ倒す。血の滲んだ両手を剣に添えて、脳天から爪先まで、一気に引き下ろした。大剣が唸り、飛沫が青い空を背景に鮮やかに舞った。
その隣では、一線が煌めいていた。助太刀とばかりに、ライアのところにやって来たカルキだ。目にも留まらぬ速さで剣を振り、瞬きの合間に、命を吸い取る。そんなニ人の背後に、線の細い影が落ちた。
「よう!加勢しに来たぜぇ」
振り返った彼等の視線の先に、飄々とした態度で、ポケットに両手をつっこんだ男が佇んでいた。街中で出会したかのように、彼は白い歯を見せて、陽気に笑いかける。
「ヤヒト。助かる」
彼は、第一王子エディアルドの従者の一人で、軍特殊精鋭部隊第三班所属のメンバー。適当で陽気、活気に溢れた性格の、でもやっぱり適当な男。ジェノヴァのことを、よく可愛がっている。そんな適当男でも、戦いの技術は文句なしのピカイチで、目の前の敵をザックザックと斬り捨てる。
「状況はどうだ」と訊ねながら、彼は男の身体から首を刎ね落とした。
「いまいち」
「最終出発したジェノヴァの隊の奴等が来れば、こっちの勝利が目に見えたって感じなんだけどなぁ」
援軍も上手いこと集まらず、敵の数だけが増える今は、正直一番キツイ時だ。無論、計算には入れていたし、分かってはいたが、それとこれとは話が違うというもの。
血のついた頬を手で拭えば、赤い線が掠れ気味に伸び、カルキの表情を余計不気味にさせた。
「よし、俺も来たことだし。楽勝だろ」
超楽観主義者のヤヒトはそんなことを口走って、ライアに笑われる。
「なあ、《《黒い王子》》って、知ってるか」
カルキににじり寄るように近付き、そう囁くヤヒトのにやけた面が、カルキは嫌いだ。同族嫌悪というやつだと、笑われるかもしれないが、そう思うのだから仕方がない。
その薄ら笑いは、白々しくて、淡白。飄々として、掴み所がない。似たり寄ったりの仮面を、カルキもすかさず貼り付けた。
「知らないね」
剣で敵の胸を突いて、抉るように抜いてから、カルキは何気ないトーンでそう返す。
「矜持というやつか」と、自分の幼い部分に内心苦笑した。今の自分は、ジェノヴァを取られた時のレイと同じくらい、子供じみている。
「レイ王子のことをそう呼ぶ奴がいるらしいぜ。敵国軍人達の間で、噂されるのが多いようだけど」
狂気的な笑みで剣を振り上げたヤヒトは、敵を斬り伏せ、話を続ける。
「そんで、エディアルド王子は《《白の王子》》」
「何が言いたい」
カルキは敵を斬り伏せる手を止めずに、ヤヒトに鋭い視線を刺した。紫の目は糸のように細められ、触れれば切れる、研いだばかりの刃のように鋭い目付き。
ライアもヤヒトの声を拾ったのか、彼らしくない剣呑な態度を隠そうともせず、遠くから静かにことの成り行きを見守っている。
「確かに納得しちゃうよねって話さ。レイ様は、王子にしては、血に濡れすぎている」
ヤヒトの含みを持たせた言い方に、カルキが端麗に笑んだ。




