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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第五章
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しがらみ

 不協和音を奏でて黒塗りの扉が開いた。ドアノブを引いた拍子に、施錠されたままの、錆びついた南京錠がごとりと落ちる。それを確認することなく、ジェノヴァはゆっくりと中に一歩を踏み出した。

 嗅ぎ慣れてしまっていた、懐かしい異臭が鼻をつく。無意識のうちに奥歯を食いしばっていたようで、顎が痛い。


 通路を挟んで錆びついた格子が並び、仕舞い込んでいた嫌な記憶を強制喚起させる。檻の中は空だったが、そこに誰かが居るような気がして、ジェノヴァは冷や汗を流した。


 姉が関わった山火事で、アルレミド国の思惑通りに、呪われた一族の数は激減させられた。それから、ジェノヴァも巻き込まれた他国との戦争の中で、取り残された者達は恐らく全滅。

 ジェノヴァがダカに拾われた時、同じに荷台に詰め込まれた女達は、きっと敵にでもやられてしまっただろう。彼女達は戦う術も、生きる気力さえも持っていなかったはずだ。もう、ジェノヴァ以外、生存している一族の者はいないのではなかろうか。


「ここは、何も変わらないな……」


 劣悪な環境に、今更ではありながら顔を顰める。拳を握り締め、ジェノヴァは更に奥へと進んだ。

 途中、牢の中に白骨化した骸や、腐敗し、虫のたかる骸が、無造作に転がっているのが見えた。

 思わず嘔吐えずく。


「くそ。……忌々しい」


 悪夢が蘇る。鮮烈な映像となって、ジェノヴァの脳を駆け巡る。

 脳裏を過ぎる、あの凄惨な過去と、みっともなかった昔の自分。決別したはずだと言い聞かせ、暫し瞑目する。

 気持ちを落ち着かせたジェノヴァは、意を決して地下牢の一番奥へと歩みを進めた。


「ここ、だよな」


 恐る恐る、目を凝らす。暗闇の中、浮き上がってくるものを見留めた途端、ジェノヴァの瞳がみるみる見開かれていった。

 それが何か。

 理解をするにつれ、青色が褪せた。


「……お姉ちゃん」


 その言葉が口をついてポロリと出て、落下した。そこには、とっくのとうに亡骸となった姉がいた。その屍は、見るも無惨。

 腐乱し、崩れて、原型を留めていない。

 虫に食われ、風に晒され、水に侵され、朽ちている。

 ジェノヴァの全身から力が抜け、石の床に膝をついた。錆びて変色した格子を両手で掴んだ拍子に、手が切れて血が流れた。

 頭に血が回らない。髄が痺れたように、何も考えられない。視界が、ぼんやりとしてくる。


「俺が、殺したのか」


 歯軋りした口の中で、鉄の味が広がる。

 あれほど可愛がってくれた姉。優しい笑顔で髪を撫でてくれた姉。彼氏が出来たの、と喜んでいた姉。彼女との記憶が幾つも過っては消えてゆく。


「俺が、殺した」


 もう、どこにも居ない彼女に、どう謝ればいいのだろう。力無く落下した格子を掴んでいた手が、冷たい何かに触れた。のろのろと見下ろしたジェノヴァの、伽藍堂がらんどうな虹彩が、床に落ちていた黒ずんだプレートを映した。

 鯖と血で黒ずんだ手で、それを拾い上げる。ジェノヴァの目が僅かに見開かれた。


「……Bの11番」


 それは、あの時のジェノヴァを示す、呪縛の烙印。王の御前に出される時、守衛が彼女をそう呼んだ。


 何度も。

 何度も、何度も、何度も。


 昔の名前なんて、もう忘れた。いつしか、ジェノヴァの名前は、Bの11番という数字でしか、なくなっていたのだ。


「嫌いだ」


 屈辱を与えられたアルレミドの国王も。

 城下の男に騙されて山に火をつけた姉も。

 何よりも、あの頃の自分が。


「大嫌いだ……」





「ここも違うか……」


 リーカスは伝う汗を拭いながら、そうぼやいた。

 彼は城の中で、捕らわれた女達と情報の在処を探していた。流石のミルガでも情報を仕入れるのが難しく、正確な居場所を把握出来なかったのだ。織り込み済みの事ではあったが、見つけるには苦労が要る。また一つ、ドアを蹴破って彼は「クソ!」と苛立ち紛れに吐き捨てた。


「この俺の手を煩わせるなんて、笑わせる」


 彼は端正な顔を歪め、ドアを蹴飛ばした拍子に取れたドアノブを投げ捨てた。陶器で縁取られたドアノブは壁に当たり、カン、と虚しい音を立てて転がった。

 立ち去ろうとしていたリーカスは、はたと足を止め、眉根を寄せて振り返った。

 白い制服の上着を翻して、自分の通り道を作る為に、床に落ちている物を蹴飛ばしながら進む。壁の前にしゃがみ込み、耳をそっと寄せた。器用そうな指先が茶色の壁の上を滑る。その手が軽く握られ、コンコン、と数回壁を軽く叩いた。リーカスの顔に、氷水のような冷たい笑みが広がった。

 廊下を駆けていた男が、部屋にいたリーカスに気付き、剣を振りかざして彼を襲った。


「邪魔しないで下さい」


 リーカスは身体を逸らして彼の剣を避け、長い腕を伸ばして、手刀で首を叩いた。息を詰めた男の鳩尾に、握り直した強烈な拳が入る。崩れ落ちた彼の胸に、すかさず内ポケットから取り出したナイフを押し込んだ。

 返り血で少々濡れた眼鏡を、シャツの裾で拭う。その拍子にちらりと覗いた肉体は、しっかりと筋肉がついて、やけに色っぽい。

 彼は壁に向き直って、うっそりと笑んだ。白い革の手袋を嵌めた両手で、優しく壁を撫で、力を込めて押した。


「こういう難問も、嫌いじゃないかもな」


 中へと身体を入れれば、暗闇が彼を飲み込む。

 左手にナイフを持ち、神経を全身に張り巡らせて、警戒しながら奥へと進む。暫く行けば、開けた場所に出た。薄ぼんやりと視界を照らすのは、長い間隔で壁に掛けられた、灯り。リーカスの足音が、空間に木霊する。風が吹いている。どこかに外と繋がる道か隙間でもあるのだろうか。


 数分歩き続けたリーカスは、古ぼけた木の扉を見つけると、足早に歩み寄った。開けようとしたが、鍵がかかっているらしく、押すにも引くにもビクともしない。

 よっぽど分厚い扉なのか、蹴っても駄目なようで、リーカスは溜息を吐いた。

 扉の前に片膝をつき、手袋を外しながら鍵をじっくり観察する。鍵だけ真新しい。それも、金庫に取り付けるような、随分頑丈なもののようだ。数字や英字が、ひねりに時計の文字盤のように並び、暗証番号を知らなければ開けることが出来ない仕組みだ。


 彼は、革靴の裏から、小さなナイフを。シャツの襟首の裏からマザーオブパール製のカラーキーパーを取り出す。それから、ネクタイを止めていた、ネクタイピンを外した。

 それらを代わる代わる持っては鍵穴に差し込み、暫く金属音を響かせていると。ガチャン、とロックの外れた音がした。

「誤算でしたね」と、リーカスは笑みを零す。


「生憎、金庫破りは趣味でして」


 ギィーと爪で硬いものを引っ掻いたような音を立てて、ドアがゆっくりと開かれた。中には人の気配。廊下の壁に取り付けられていたランプを腕力にものを言わせて強引に剝がし取り、その灯りで部屋を照らす。


「お嬢様方。リーカス・ケイと申します。お怪我は、ございませんか」


 胸に手を当てて紳士的にお辞儀をする彼の姿が、彼女達の瞳に映った。


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