闘争
後ずさる男の四肢の上に、影が落ち、ゆっくりと這ってゆく。滑らかに、静かに、暗澹と。
男は、乾ききった喉を、木枯らしのような呼吸が通過するのを感じた。ひゅーっと鳴るだけで、声は出ない。忍び寄る恐怖が、彼の心臓に酸素を供給することを阻害する。
「うっ、ぐあっ」
防がねば。絶望の中、動かぬ指を叱咤していた男は、あまりにも呆気なく命を散らした。彼は口から血を吐いて、膝から崩れ落ち、絶命する。それを無情にも見下ろすのは、切れ長の冷たい灰。彼は、値の張りそうな黒革の靴で、男が握っていた弓矢を蹴飛ばし、破壊した。
ヴェイド・ウォーカー。彼の凍てついた眼差しは、冷酷な印象をより色濃くした。鞭のように剣をしならせ、次々に襲って来る敵を斬り伏る。そして、力づくで、彼等を窓から突き落とした。塊になって迫った者達も、誰一人として彼の前に最後まで立つことはできなかった。
手前の数人は、ヴェイドの掌に首をへし折られ、腹に強烈な拳を叩き込まれ、肘を胸に食い込まされていた。
ヴェイドが足蹴りしようとした男が、彼の足が届く前に血飛沫をあげる。苦悶の絶叫が、廊下に木霊した。見ると、壁から突き抜けた剣が、男を心臓を的確に貫いている。
瞳から色が消え、人形の如き伽藍堂な瞳が、温もりを失う。
手間が省けたとばかりに、ヴェイドはその持ち上げた足を、そのまま他の敵に思い切りぶち当てた。
男は吹っ飛んで、壁に亀裂を入れる。ぱらぱらと壁の塗装が剥がれ、ひしゃげた男の屍の上に散った。
ヴェイドは、弾みをつけて階段をひとっ飛びに飛び降りた。
「ひっ。ま、待ってくれぇ」
猛々しい殺気を孕んだ彼が、眼前に迫り、凍えるほどの冷気を纏った目が、敵を射抜く。
男は、仮にも騎士の端くれとは思えぬ、悲鳴をあげる。
蛇に睨まれたかのような、痺れる恐れが、体を駆け上がり、恐怖を味わう間もなく、ヴェイドの白刃が彼の首と身体を切り離している。
戦場を阿鼻叫喚の地獄へと変えるの彼は、狂った蛇。鎌首をもたげ、目の前の敵に噛み付き、毒を巡らせる。
「……気に食わねえ」
ヴェイドは舌打ちしながら、背後から自分を襲おうとした男を、左手で剣を振るだけの単純な所作で、殺した。
「なんでいつもあいつと同じ場所なんだ」
城は広い。権力を誇示するかのように、過多で華美な装飾を備え、無駄に大きい。部屋や階段なども多く、勿論敵兵も何処に潜伏しているか、どれだけいるかも計り知れない。撃滅の七刃から、二人とその部隊が配役されるのは理解できる。
リーカスも、担当は城の中と言えど、隠密に情報を探し出す担当なので除くとして。毎度ミルガと一緒にされるのは、懲り懲りだと、深い溜息を吐いた。
回し蹴りで壁へと男を激突させて、別の男は肩を手で押さえて剣を振るった。迫って来た剣を半身逸らして避け、横からの突きも飛んで避ける。着地ついでに剣を真っ二つに折り、身体をぶつけるように押し倒した。それと同時に、右手で剣を肩に刺して、敵を床へと縫い付ける。
苦痛に歪む男の顔を眺めながら、歯で手袋の端を引っ張って嵌め直した。これが俺の戦い方。
鋭い顔つきに危うげな雰囲気が相混じり、狂気的な美しさを纏わせた。
「……蛇の牙にやられた気分はどうだ」
男の断末魔が、反響した。
ヴェイドが、同期への鬱憤を敵に発散していたその頃、その同期は、やたらと楽しそうに剣を振るっていた。
「甘いなっ!」
敵に飛び蹴りを食らわして、満足気な表情を浮かべる。白い制服の上着を靡かせて跳躍しては、その足で蹴りを炸裂していた。これがまた、面白いように決まる。
「はっ、もっと面白い奴いねえのかよ」
と、端正な貴族顔に、余裕の笑みを浮かべている。
彼の聡い耳が、刃物の滑空音を捉えた。振り向きざまに、剣の横腹で殴るように叩き斬る。
その間にもミルガを狙って敵が迫るが、彼は壁を蹴って彼等を飛び越し、身体の捻りを上手く利用して剣を振るう。鮮血が舞う。ゆっくりと舞っていく。
眼前まで迫った男の拳を思い切り払って、肩を掴むと、膝を腹に食い込ませる。もう一人倒そうと拳を握りなおして、ミルガは気付いた。
「あーっ! お前!」
目の前で殺気を放つのは、今日のこの時間、地下牢の守衛を任されていた奴だ。リーカスから特徴は聞いていたので、間違いない。
眇められた彼の翠の瞳が、獰猛に慟哭した。刹那にして、それは刺々しいほどの空気を纏う。
「探してたよぉ」
「誰だ?」
「やだなぁ」
にっこりと、愛嬌のある笑顔が咲く。翠の視線が、彼の服の上を這う。
「君の持ってるものが、欲しいんだ」
ミルガは一瞬で間を詰めて、男の顔を全力で殴った。頭が右に傾ぎ、ミルガはその髪を乱雑に引っ掴む。がっしりと掴んだそれを、硝子の窓にぶち込んでから、引き戻した。男の顔は血で真っ赤だ。
「お前に会いたかったよー」
身体を捻って、綺麗な飛び蹴りを腹にお見舞いした。ミルガの身体能力の高さを窺わせる、手本のような蹴りだ。
その巨軀にも関わらず、すっ飛んでいった男は腰を打って、ずるずると階段をずり落ちる。 ミルガは悠然と彼に近寄って、男の横の段に片足をつき、彼のネクタイを引っ張りあげた。
ぐらん、と首が揺れる。尚も抵抗しようと、弱々しく剣を振り上げた男の髪の毛を、ガン!と剣で容赦なく床に縫い付けた。はらりと切れた髪が落ちた。
「ひっ」
「やだなぁ、こんな状況でまだやる気? うっかり殺しちゃいそうだから止めてよね!」
彼の顔すれすれには剣の刃が、目の前には不気味な表情のミルガがいた。
甘いマスクは、こびりついた血糊すら、化粧に変えてしまうのだろうか。何という、美の暴力。
「俺ってば優秀だからさ。脅迫が得意なのは、年長組だけじゃあ、ないんだぜ?」
ゴキ、と嫌な音を立てて、ミルガの拳が男の頰にめり込んだ。僅かな希望と意識を男から奪い取り、ミルガは素早く彼の服を漁る。
「あはっ。あったー!」
ポケットから鍵の束が出てきた。
「俺様、お手柄だぜ」
無邪気に喜ぶ彼の元に、軽い足音が近づいて来る。ミルガには判る。この足音は、もう随分聞き慣れた。
名が呼ばれる。この声も、聴き慣れた。
幾度となく背を預けた彼女の、呼吸も、リズムも、全てを知っている。
背後を振り向きながら、奪い取った鍵の束を放った。彼女がしっかりとその手に鍵を受け取って、駆け抜けていくのが見えた。
「さてさて、お兄ちゃんらしいところも見せれたし。……もう少し、遊戯の時間を楽しもうか」
翠の瞳が、険を持つ。
それは、血みどろの闘いの合図。




