呪われた一族
「……姉、だった?」
カルキが復唱したのを、ジェノヴァは首を縦に振って応えた。
数年前に山火事で死んだ筈の、姉だったのだ。衰弱しきってやつれた陰鬱な外見からは、当初の彼女の雰囲気は見る影もなかったが、それは姉であった。
そして彼女から聞かされたのは、聞きたくもなかった真実。メティル族がアルレミドに敗北の歴史を刻んだ原因は、姉であったのだ。姉は生贄として連れてこられた訳ではなかった。アルレミド国に騙されて一族を裏切り、結局は国にも切り捨てられて、忘れ去られたように地下牢に閉じ込められていたのだ。
アルレミドとの戦いに敗れた原因に、山火事があった。突然、村の側に火の手が上がり、それが大きな一手となった。その火事で、両親は目の前で焼かれ、姉も失い、友達も死んだ。残った者の多くも戦闘で命を散らし、多くのものを一度に無くした。あの胸の痛みを、孤独の寂しさを、ゆっくりと癒していたのに。それが、姉による作為的なものだと知って、深く絶望した。肉親に対して、憎いという感情を持った。
「自分の胸の奥が黒々とした感情に支配されていくのを、ひしひしと感じたよ」
彼女の淡白な物言いが、逆に聞いている者の心を抉った。必死に隠しているが、ミルガは既に涙を零している。くくっ、とジェノヴァは彼女に似つかわしくない乾いた笑いをもらした。ヴェイドが眉根を寄せる。
「可笑しいよな、本当」
それから、と笑いを引かせて彼女は続ける。
更に3年程、俺はあの溝のような場所で生きた。正に、あれが、人の堕ちた姿だ。魂を売り、尊厳を捨て、人間性が乖離した、人の形をした空っぽのモノだ。
もう、笑える昔話だけど。
そして遂に、ジェノヴァの人生が変わる好機がやって来た。アルレミド国が他国と戦闘を開始して、アルレミドの街が戦火の炎で焼かれたのだ。城も危なくなったからといって、俺たちも乗り物の荷台に積み込まれて、混乱に乗じて城を出された。その時、もう要らない女達は置いて行かれた。同じ牢に入ってた独り言を言う女も、俺に縋ってきた姉も。
「連れて行こうと思えば、多分一人くらいは連れて行くことが出来た。でも、俺はしなかった。鎖さえ、解いてはやらなかった。俺は、姉さえも見殺しにしたんだ」
運ばれている途中で、幸運なことに御者が敵にやられた。その敵は、そのまま荷台に詰め込まれたジェノヴァ達をも、始末しようとするのだ。殺そうと迫って来た敵を返討ちにしていたところ、またしても幸運が降ってきた。任務に就いていたウルバヌス国騎士団、最高司令官ダカに拾われたのだ。そうして、今に至る。
話を終えたジェノヴァはテーブルの上に置いてあった水を飲んだ。
「まあ、そういう次第だよ」
「ジェノヴァ!」
ミルガがジェノヴァを強く抱き締めた。彼の震えが伝わって、彼女は苦笑する。
「よく、頑張ったな」
「ミルガ……。俺は頑張ったんじゃないんだ。何もせず流されて、運が気まぐれに俺を救った」
「違う」
ミルガが離れ、ジェノヴァの肩に両手を置いて、正面から目を合わせた。強い眼差しが、ジェノヴァを貫く。真剣な表情が、ジェノヴァを包み込む。
「ジェノヴァ、違うよ。君が生きようと頑張ったから今ここにいるんだ。命を捨てず、どんな選択肢を選んでも戦い続けてくれたから、俺らと出会えたんだ」
押し出すように彼が言った言葉が、ジェノヴァの心に浸透するように染み込んでくる。涙が溢れそうになって、彼女は唇を強く噛む。しかし、気持ちに反して雫の粒は膨れ上がり、大きくなった。また、ミルガがジェノヴァを抱き締めた。それを拭う温い指があった。ミルガの胸に埋もれながら、彼の肩越し視線を上げたジェノヴァは、辛そうなヴェイドの表情に言葉を失う。こんな彼の表情、見たことがない。しかし、それらを押し退けて彼女の視界を白く染める影があった。
「レイ」
レイはジェノヴァの腕を引っ張り、肩を抱くようにミルガから引き離すと、手を掴んで部屋を出た。数歩先を行く彼は無言で、とても静か。彼の掴む力が強くて、手が少し痛い。
「レイ!ねえ、レイ?」
彼は無言のままだ。歩調が合わず、ジェノヴァは自然と駆けるような早足になった。
「レイ!どうしたの?……わっ」
ぐっと引っ張られて、ジェノヴァの身体が傾いだ。
「……レイ?」
次の瞬間、ジェノヴァはすっぽりとレイの腕の中におさまっていた。逞しい胸板が、ジェノヴァの頬に当たる。無駄のない筋肉のついた腕が背中をぐるりと回り、息が苦しくなるほど抱き寄せる。
「ここ、外だよ。誰か見てるかも……」
「五月蝿い。構うものか」
彼の胸のあたりを手で押すも、びくともしない。
「で、でも」
「ちょっと黙れ」
ジェノヴァは一瞬何が起こったか分からなかった。少しの間離れた彼の体に、すぐにまた包み込まれる。唇に柔らかなものが触れた感覚が、数テンポ遅れてやってくる。一気に心拍数が跳ね上がり、身体中が熱を持った。ああ、失態。こんなに近いと、胸が高鳴りしている事がバレてしまう。
「ジェノヴァ……」
「ん。レイ?」
ジェノヴァは彼の抱擁から逃れる事を諦めて、彼に身体を委ねた。がっしりした腕の中で、彼の香りをすん、と嗅ぐ。爽やかで、いい香り。とても、落ち着く香り。
「お前は……」
そんな震える彼の声を聞いてジェノヴァは顔を上げようとしたが、それをさせまいとしたレイに、更に強く抱き締められた。彼の震える声など、初めて聞いた。心配になり、思わず戸惑った声をあげるが、彼の低い声はそれを遮る。
「今は」
少し苦しいよ、レイ。爪先立ちの足が痛いよ、レイ。
いや、そんなつまらない言葉は胸の奥に仕舞っておこう。
「今だけは、黙って抱かれてろ」
斜陽が差し込み、1つの影を地面に落としていた。風が吹けば、金と黒の混じる髪が、柔らかく揺れた。静かな息遣いと急いた鼓動が、その場を支配していた。
この時がずっと続けばいいのに。
そんな想いに胸中で苦笑して、ジェノヴァはそっと彼に身を委ねた。
「レイ」
灯りでぼんやり照らされた廊下を歩いていたレイは、壁に寄りかかるヴェイドに呼び止められた。彼の炯眼がレイを捉える。レイはタオルで濡れた黒髪を拭きつつ、片眉を上げた。
「ヴェイド、どうした」
彼の纏う気の張った異様な空気に、怪訝な表情をする。ヴェイドは壁からその身を離し、廊下を塞ぐように立つ。そして、はっきりと言い放った。
「俺は、ジェノヴァが好きだ」
レイが表情を険しくした。紅い瞳が刹那にして荒々しく燃え上がる。ヴェイドの目の前には、仲間でもなくリーダーでもなく、王子でもない、ただの1人の男がいた。それでも怯むことなくヴェイドは続ける。
「ずっと、前から」
瞳が、本気だと、真摯に物語っていた。それを受け止めながら、レイは不敵な笑みを浮かべ、彼との間を詰める。彼らの鋭い視線が合わさり、今にもバチリと音が弾けそうなほどだ。
「俺から奪ってみるか?」
はっ、と笑うレイの目は表情とは異なり、全く笑っていない。
「できるもんならな」
「……昔の少女と重ねてんなら、彼女から手を引け」
「重ねてはいないし、絶対に俺は引かない」
数センチの距離で睨み合えば、肌に触れる空気がピリついた。それはまるで、切れかけの絹糸のような脆さ。
「彼女が俺を好きじゃないのは知ってる。お前のことを好きなのも」
でも、と彼は強く言う。
「彼女を見ていないなら、俺がお前から力づくでも奪ってやる」
「相手にとって不足はねえが、俺は自分が欲しいものは絶対に譲らない主義なんだ」
にやり。笑いを残し、彼に背中を向けてレイは歩き出す。
「明日は早い。しっかり寝ろよ」
ひらひらと手を振る彼は、ヴェイドを1人廊下に残して立ち去った。
「蛇に噛み付かれた?」
「カルキ。お前は……」
額に手を当てて溜息を吐きながら、レイは声をかけてきたカルキをちらりと見遣った。盗み聞きをして、居ても立っても居られず待ち伏せしていたのだろう。歩く速度を緩めないレイに肩を並べ、彼はうざったいほど執拗に絡んでくる。そんな様子のカルキを邪険にしながらも、諦めた表情で、ああ、と答えた。
「毒にやられないといいね」
くつくつと喉を鳴らして嬉しそうにする彼に、再度レイは深い溜息を吐く。
「毒があったって構わねえよ」
「あれ、ほんと?」
カルキがレイの顔を覗き込む。そして、すっとそのにやけ笑いを引っ込めた。
「ほんっと、こういうところは子供なんだから」
カルキは眉尻を下げて身を引いた。揶揄うのもここまでだ。これ以上は、此方まで火の粉が飛んで来る。
カルキの見た彼の瞳は、剥き出しの独占欲に燃えていた。
***あとがき***
いつもご愛読ありがとうございます。
南雲燦です
次から最終章スタートです❤︎
これからも楽しんでいただけると嬉しいです
この場をお借りして、他の作品のご紹介をさせていただきます!
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✏︎『聖書を牙で裂く』
スラム街に生きる邪神と善神の少女が出会い、物語が始まる、新作のダークファンタジーです。まだ数ページです。
YouTubeでも紹介していただきました! カクヨムのみで連載中です。(以下url)
https://kakuyomu.jp/works/16816452221121215688
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✏︎『ダウズウェル伯爵の深謀』
男装の伯爵と三人の執事、そしてその周囲の裏社会の貴族達が織り成す物語。
読者様のwebサイトでアンティーク作品として掲載していただきました。
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✏︎『誠眼の彼女』
盲目の男装剣士と新選組の、出会いから終わりまでの物語。長州、薩摩や土佐との決闘、過去の因縁、主人公の恋の行方を辿る物語。
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参考までに、『軍則第四条の罪人』と似た系統のタグを#で、つけてみました。
よろしければ、お読みください❤︎




