呪われた一族
「北の大地に棲む山の民。凶暴な性格と、獣に近しい人間離れした戦闘力を有する」
獣。彼女に当て嵌めてみて、しっくりきて欲しくない単語は、嫌気が差すほど腑に落ちてしまう。
「近寄ればその邪悪な覇気は人を堕とし、言葉を交わせば呪怨が身体を蝕み、やがては滅ぶ」
レイの額に青筋が浮かび、今にもはち切れて血が滴りそうである。
「しかし、その容姿は人間の心を誘惑する美しさ。陶器の如く白い肌を持ち、その髪は太陽の如く輝く美しい金」
タンタンと廊下に響く軽い音が速度をあげて、此方に近付いて来る。取手が回り、軋んだ音を立てて戸が開く。タイミングが悪い女だ。
「レイ!やっぱり、俺……は」
バン、と ドアが弾かれたように開かれて、彼女が部屋に飛び込んでくる。暗い雰囲気の友を、深海を覗くような透明感のある、ブルーの瞳が凝視した。しん、と静まった空気に彼女は立ち尽くし、全員の視線を受けて少したじろぐ。リーカスが、唇を開けた。
「その瞳は、クリスタルの如く煌めく青。……ジェノヴァ、君の謎を解く時が来たよ」
刺さる視線を受け止めて、ジェノヴァは顔を持ち上げた。どこか清々しく、そしてどこか痛みを堪えていることが彼等には伝わる。まるで自分の心臓が鷲掴みされているかの様に、彼女の感情が流れ込んでくる。
「ジェノヴァ……」
目を少し潤ませて、ミルガが泣きそうに上擦った声をかけた。しかしそこには、見たことのないほど穏やかな面持ちの彼女がいた。
「俺はもう覚悟してるよ。今まで何も話してこなかったこと、反省してる。全部曝け出す機会があって良かったよ」
レイが彼女の目をじっと見つめた。その眼差しは、真摯に、真っ直ぐ、しかし抱擁的な温かみを持って彼女に届く。つい先程まで激しい言い合いしていたとは思えないな、とジェノヴァは胸中でそんなことを思う。
『呪われた一族』
その忌々しい単語から、ジェノヴァは話を切り出した。
「それはアルレミド国民を脅かす脅威。と、彼らは子供の頃から教わる」
しかし、それは違う。本当に脅威に晒されていたのは、ジェノヴァ達の方だった。
呪われた一族、いや、メティル族と言う名の一族は、辺鄙な孤村で暮らしていた。アルレミドから大陸を北に上った、山の中。周囲を森に囲まれ、野生の獣と狩をし、鳥と歌い、草花と静かに過ごす、自然と共に生きる民族だ。圧倒的な戦闘スキルは、彼等の柔軟な身体と、環境、そして一族に継承される戦う術によって培われてきた。そして、死ぬまで山を降りる事はなく、人知れず生まれ、人知れず死ぬのが一族の定めであった。
彼らを見てはいけない。
アルレミド国の者たちは口を揃えてそう言う。
彼らは一様に、艶やかな金髪と、陶器のような透き通る肌をもつ。とは言っても、数年数十年に一度は外部と誤って接触してしまう事もあった。勿論、敵が一族の領域内に侵略してこようとする時は、その戦闘力で撃退していた。そして彼等と出会った者は口を揃えて云うのだ。
あれは、誘惑の悪魔だと。
その姿を目にしようものなら、抗うことのできない誘惑が見た者を襲うと噂されてきた。刃を交えようものなら忽ち引き摺り込まれ、生きて帰ることはできない、と信じられていた。
しかし時代は流れ、あるアルレミドの皇帝が山の侵略に成功した。数は元より少ない部族。アルレミドの悪名高き皇帝に敗北したその瞬間から、悪しき慣習が始まったのだ。彼らは外の世界に監視され、脅かされて生きる、最悪な歴史だ。
やはり彼等の武力は単体でも何十人を殺戮するもので、暴れられれば面倒だと考えたのだろう。山に住み続けることは許可された。そこはアルレミドの領地となった。しかし、3年に1度、春になれば《《迎え人》》と呼ばれる兵士達が来て、一際美しい村の娘を連れ去って行く。程のいい、生贄である。
「そしてあの春、生贄として俺が選ばれた」
ジェノヴァは苦虫を噛み潰したような顔をして、そう吐き捨てた。
生贄として奉納された女の行く末は、地獄だ。今まで触れたこともない滑らかな布地の綺麗な服を着せられ、馬車に乗せられ、村から連れ出される。そこまではまだ良い。自分が生贄となる代わりに、一族の皆の安全が保証されるのだから。
「そして、アルレミドの宮殿に連れて行かれる」
そこで、アルレミド国王に謁見する。
「……やはり国王自らが絡んでるのか」
ヴェイドが狼のように低く唸って言った。牙を剥いた猛獣の威嚇に近しい。
「ああ。国王が仕組んでいる、と言った方が正確かもしれない」
言うなれば、国王に忠実な犬に成り下がる、ということだ。嗜好品というモノ同然として見なされるようになった、とも言えるだろう。
国王が呼びつければ何時であろうと突き出され、奉仕しろと言われれば何でもした。最初は何度も拒絶していたが、絶望的な拷問に耐えかねて、嫌がることも無くなった。堕ちた感覚がした。そしてあの城の地下牢で毎夜眠れぬ夜を過ごした。冷たく凸凹した石の床は寝台で、手枷が枕、足枷は足置きだ。地下牢には頑丈な格子のついた檻のような牢がずらりと並び、1つの牢に3、4人ほどの女が収監されていた。
「全員、一族の女だ」
不衛生で空気も淀み、汚いところだった。何よりも、人間の心が腐敗した臭いがした。
王に謁見する前には身体を綺麗にして、きちんとした服装をさせられるから、何度も呼びに出されていたジェノヴァはマシな方だったと言える。年老いて、呼ばれなくなった女は、見るも無残だった。ああ、自分はああなるのだな、と何処か達観して見ていた。
「俺の入れられた檻には、既に動かなくなったおばさんと、30がらみの女がいた。その若い方の女がヒステリックになっててさぁ、ほんと大変だったよ」
「そりゃ、そんな扱いじゃ……」
「まあな。面倒臭くて、俺が毎度気絶させて隅に転がしておいた。でも牢には、もう一人まだ元気な奴がいたんだ。アミリだ」
アミリは20代半ばの、気性の穏やかな女だった。優しい彼女は、俺が幼かったもんでやたら世話を焼いてくれた。彼女も小綺麗な感じがしていたから、王に呼ばれていたんだろう。
しかし悲しい事に、2年目の夏、暑さでイカれたヒステリックな女がアミリを殺した。その後、その女は駆けつけた守衛に殺された。
「無惨だったよ。更に惨めなのは、自分が何も感じなかったことなんだ。あんなに親切にしてくれたのに、俺は彼女の骸を見て、涙ひとつ流さなかった」
そう呟いたジェノヴァの肩を、ライアが静かに優しく抱いた。
「それから、俺は別の牢に移った」
移された先には、アミリを殺した女みたいに頭のおかしくなった奴がいた。彼女は乱れた頭を掻きむしり、1日中ずっとブツブツと独り言を言っているのだ。
そしてもう1つ、忘れられない出来事が、歯車を回し始めたのはあの頃からだ。
部屋を移った初日、女の独り言の所為で寝られなかったジェノヴァは、女から離れて座っていた。立てた膝に頭を埋めむように丸まり、自分の心拍を数える。そうすれば疲れた体が次第に眠りに誘ってくれると学んでいた。遠くで、もぞ、と空気が揺れた気がして、顔を上げたその先、月明かりも差し込まない闇の中、向かいの牢に蠢く影をジェノヴァは見た。
何か、底知れぬ不安が立っていて、気付けばじりじりと後退していた。揺れるその影は、ジェノヴァの方に近付いて、廊下の灯りが僅かに届く所まで出ようとするのだ。その影が光の輪の中にぬるりと入り込んだ瞬間、ジェノヴァは思わず声をあげそうになって口に手を当て、無理矢理悲鳴を飲み込んだ。格子にへばりつくように姿を見せたのは、雑巾のような格好に、骨と皮だけになった骸骨のような身体。頬は痩け、目は血走り、乱れた髪は蝨だらけ。おぞましい形相で口を開閉させるが、掠れた空気が出入りするだけで言葉は紡がない。しかし、その屍のような女、やっとのことで絞り出した掠れ声で呟いたのは、ジェノヴァの名前だった。




