呪われた一族
薄桃色の綺麗な唇が、無理矢理笑う。痛ましい。彼女が苦しそうな感情にその面相を歪める度、ちくり、とレイの心に棘が刺さるのだ。
「もう会うことはないけど、貴方のこと、忘れない」
潤んだビロードのような青い瞳が、目の前に来た。その澄んだ双眸には、自分自身の戸惑った顔が、揺れながら映り込んでいた。
「ありがとう」
半年前よりも幾ばか大きくなったレイの身体を、精一杯背伸びして彼女は抱き締めた。そしてパッと身を離すと、こちらを振り返らずに走って行き、直ぐにその背中は森の濃緑に掻き消された。
彼女を強く抱き締め、引き止めたいと思う気持ちが動かしたレイの両腕は、虚しくも風だけを捉えていた。今でも、彼女が耳元で囁いた「さようなら」が脳裏から離れない。
「それから彼女は言葉通り、姿を現さなくなった」
妙に明るく言ったレイに、ふうん、と相槌を打って、カルキも黙り込む。空気が少し重い。2人の後方で、同じように馬を走らせる、ライア、ミルガ、ヴェイドの3人も、口こそ挟まなかったが、しっかりと耳を敧てていた。
「湿気た面すんじゃねえよ」
斜め後ろのミルガをちらりと見やって、レイは言う。ミルガは、心が人一倍優しい。すぐに感情移入してしまう美点が、騎士としての欠点となっている。これから戦闘が控えているのだ。重い空気は、戦いに差し障る。
「俺らの役目は、全軍の準備が整うまでに、奴らの鼻っ柱をへし折ること」
レイはにやりと不敵に笑った。その美貌には、先の戦で付いた擦り傷が走っている。
「とりあえず、挨拶代わりにぶちかましてやれ」
彼らは一斉に鐙を蹴って、馬から飛び降りた。もう、そこは戦場の最前線。敵を目の前にして、カルキは謳うように答える。
「仰せのままに」
血飛沫が青空に舞った。
風を切る音が耳元で唸る。ジェノヴァは、1人、馬を走らせていた。街の片隅で拝借した、なかなか毛並みのいい子だ。雄々しいたてがみを靡かせる馬の背に、ピタリと身体を添わせるようにして、速度を上げた。鬱蒼とした森を抜けると、視界が一気に開ける。眼下に広がるのは、敵国アルレミドの領地だ。分かってはいたことだが、森を抜けるのに、時間を要してしまった。
リーカスから受け取った手紙には、レイ達はまだ北部西寄りの地域に進行中と記述してあった。先の戦いで新たに生捕にした、アルレミド国王側近から引き出した違法取引についての情報についても書いてある。不法に取引された食物や薬などについての証拠も、国王の住まう宮殿に隠されているようだ。全てはアルレミド中心部にある、都市に隠されている。そこを奪い返すのみだ。相手は、この国を侵略しようと、既に全軍を配備させていることだろう。アルレミドが先に手出しした、という既成事実は出来上がっている。ウルバヌスにとっては、反撃に近しい攻撃の、絶好の機会である。
「見えたっ」
ジェノヴァは心の中でガッツポーズをした。小さな丘を超えた途端、ジェノヴァの目の前に戦場の片隅が忽然と現れる。片手を背中に回し、眩く光る短剣を抜き払う。そのスピードに乗ったまま、ジェノヴァは戦火の中に突っ込んで行った。
「はぁーい!いっちょあーがりっ!」
返り血を浴びた顔で明るい声を発する彼は、やたらと敵の不安を煽った。ミルクティー色の癖っ毛をはねさせて、戦いを楽しんでいる。
『翠眼の飛跳者』、ミルガ・オーデムだ。
太陽の光をその身体に浴びなくなったと思ったら、終わり。跳躍した彼の身体が、影を落としているからである。相手の必死の応戦すらも、彼にとっては赤子の手を捻る様なもの。斬りかかってくる剣を跳躍でひと飛びに躱し、身体を空中で反転させる。その勢いで上から、己の剣と共に落下。その剣には、彼の全体重がかけられたまま、男の身体を貫いた。ぶすり、と生々しい音が側で聞こえる。
事切れたその男を蹴飛ばした反動で、手前の別の敵の首を狙う。中剣が、閃く。その次に現れた奴には、蹴りを見舞い、袈裟懸けに斬った。後ろから迫る男を回し蹴りで木造の家にぶち込み、反対に、振り落とされた剣を半身で躱す。身体を前傾に倒し、一歩踏み込むと同時に一線。その線をなぞるように、血が噴き上がった。
その時、彼の耳が、恐怖に塗れた悲鳴を拾う。視界の隅に捉えたのは、銀髪を閃かせる好敵手。ぞわり、と彼の殺気に触れるだけで、味方の自分でさえ一瞬背筋が凍る。切れ長のグレーの瞳は、蛇の如く冷たい。
「……いただき」
「ヴェイド!てんめぇ」
「早い者勝ちだろ」
「俺の獲物だったのに!」
相変わらず、趣味の悪い悲鳴をあげさせやがる、とミルガは内心舌打ちした。『灰眼の蛇影者』と言わしめるだけある。彼が追いつめる者は皆、怯え、震えて、命を散らせてゆく。だが、それだけでは無い。剣の腕も一流だ。
「……お前の分まで、片付けといてやるよ」
「いらねーよっ!」
剣を振りながら、にやりと笑う彼に怒鳴り返して、ミルガも敵を斬りつける。最初は軽く衝突するだけだから、とレイは言っていたが。何しろ、一応国が相手だ。
「……多いな」
「だよねー。それは思った」
レイの兄、エディアルド第一王子も、此処より南側で戦っている。しかし、エディアルド達、特殊精鋭部隊第3班も加えて、12人。圧倒的に人数が少ない事は、明らかであった。
2人は仕方なしに、背を合わせた。彼らの白い制服は血に濡れて、息は少しあがっている。口からは、白い蒸気がもれる気に食わねーが、と低く、呟くようにミルガは言ったと思えば、彼らしく声を張り上げる。
「俺の背、お前には預けさせてやるよ!」
「……はあ?なんでお前に許可されなきゃいけない」
投げやりに視線を寄越して、ヴェイドは不満げに声を上げる。しかし、今日ばかりは彼も反駁を諦めたようだ。
「……まあ、お前が俺の背守れるんだったら、引き受けてやるよ」
悪戯に笑う彼は、言葉とは裏腹に、楽しそうだ。口許には、隠せきれない笑みが溢れている。それは戦に燃える、国最強たる戦士の笑みであった。合わされた2つの背が、離れれば、羊雲の浮かぶ戦場の空に絶叫が響いた。
グレーの瞳に宿る焰が、闘志を剥き出しにして、暴れる。男達を、猛りにうねる殺気が呑み込む。動きを止めれば最後、鋭い目つきの彼が目の前に迫っているのだ。その反対側ではミルガが狂ったように中剣を振るう。素早く動く翠の双眸が、逃げ果せようとする者を逃すことなく捕らえてゆく。思うがままに暴れているようで、でもお互いの 背後には一切敵を回らせない。それを為すのは彼らの技術であり、矜持であり、意地である。そろそろ、彼らの辺り一帯が片付き始めた時。2人の聡い耳は、蹄の土を蹴る音を聞き取った。
来る。
目配せをし、そちらを 警戒しながら、目の前の敵を斬り倒す。しかし、視界に飛び込んで来たのは思いもよらぬ人物だった。
「ジェノヴァ!?」
馬から飛び降り、2人の目の前に迫るのは、自国に置いてきた仲間。青い瞳は燐光を宿したかの様に闘志にギラつき、既に手に持つ短剣は血を吸っている。口許には、間違っても正気とは思えない笑みが浮かんでいた。最早、殺気は抑える気がないらしい。
クライマックスまでラストスパート〜♪




