呪われた一族
彼女はそれでも風を切って駆ける。普段と違って人気のない廊下を走り、階段を飛び降りるようにして下り、壁を蹴って加速した。そして、目的の部屋へと辿り着くと、またしても乱暴にドアを開けた。それによって爆ぜた大きな音に驚いて、中にいたメイドが数人が悲鳴をあげた。髪を乱してパジャマ姿で飛び込んできたジェノヴァの姿に彼女達は仰天する。近くの椅子を踏み台にして机に飛び乗り、幾つも机を飛び移って、あの女の目の前に立った。
「俺の制服、だな」
周りのメイドのように動揺することのなかった彼女は、立ちはだかるジェノヴァを見ることなく、悠長に白い服にアイロンをあてている。まるで鼻唄でも歌い出しそうな、そんな顔。
「そうですとも」
「アイロンなんていい。制服をくれ、早く!」
急かすジェノヴァは服を渡せと手を差し出すが、彼女は、駄目です、とぴしゃりと言い返した。その言葉に青筋を立て、はやる気持ちをぶつける。
「仲間がもう戦場に行ってるんだ。俺だけ寝ていられるか」
「わたくしの存じ上げている撃滅の七刃は、いつも困った問題児で、やたら血気盛んなただの子供です」
諭すような口調。だからなんだ、と苛立ち露わにジェノヴァは眉を顰めた。彼女は椅子に姿勢正しく腰掛け、銀縁の老眼鏡に手をやる。ジェノヴァの殺気混じりの圧すら歯牙にも掛けないその神経は、並大抵のものではない。あまりにも堂々とした態度に根負けしたジェノヴァは、彼女の目の前の机の上に腰掛け、アイロンがけの終わりを待つ。しかし、焦燥と苛立ちはおさまらないようで、尖った瞳の鋭さはますます磨がれていくようであった。
「しかし貴方達はの半分は国民のヒーロー。悪事を裁き、国民を守る盾となる、勇ましき若者」
のりの効いた綺麗な制服を、彼女は整えた。幾度血に濡れても、幾重にも斬られても、それは眩しいほどに白い。
「彼らは、戦士であり、紳士」
血管の浮き出た皺の多い手が、襟元に銀のバッジを丁寧につける。それは、撃滅の七刃の印。誇りであり、誓いの印。
「戦場で誰をも魅せるのもまた、貴方達の姿なのです」
そう言って、彼女は初めてジェノヴァを見つめ返した。彼女の肌には皺も多いが、眦に凛々しさを残している。
「わたくしはメイド」
彼女は、言う。それは、祖母のように穏やかに、母親のように慈愛に満ちて、1人の女のように期待を抱いている。
「貴方が紳士であるために、制服を純白にし、アイロンをかけ、整えて、送り出さなければならないのです」
それが私の仕事、と呟く彼女はやっぱりいつもの彼女。ジェノヴァは、制服一式とベルトを差し出した彼女の瞳を見つめ返した。それを受け取って、にんまりといつもの悪戯な笑みを浮かべる。
「サンキュ」
机の上で跪き、彼女のしわがれた手の甲に優しくキスを落とした。
「流石、肝の座ったばばあは凄えや」
ニシシ、とまた笑ってジェノヴァは駆け出した。こらっ!と聞き慣れた怒鳴り声を背に、楽しそうに駆ける。帰りがけに、踏み台にしたアイロン台の側にいた若いメイドから、帽子を受け取った。お礼の代わりに彼女の頰を撫で、優しい笑みを浮かべれば彼女は頰を染めた。
嵐のように去って行ったジェノヴァの消えた扉から視線を外し、他の服のアイロンにかかった彼女に、隣から他のメイドが声をかける。
「いきなりアイロンをかけ直す、なんて言い出すから何かと思えば。彼でしたか」
「あの悪戯小僧には帰ってきたらお仕置きね。ばばあ呼ばわりなんてさせないわ」
そう言って、メイドのアリスは笑った。
「よし」
背中に短剣を差し、上着を整えたジェノヴァは、制服同様、白を基調として銀の装飾がなされた、制服とセットの帽子を被れば心が落ち着いた。ポケットから地図を取り出し、道を確認する。その時、風を切る音を耳が捉えた。半身ほど振り返り、飛んで来る何かを、早業で抜いた短剣で叩き落とした。
「矢……」
こんなのを正確に射ってくるとすれば。
「リーカスか」
矢の射られた方、ずっと向こうの、宮殿の上の階。其処にそれらしき人影が見えた。真っ二つに折れて落ちていた矢を拾い、くくりつけられていた手紙を開く。リーカスらしい、几帳面な文字が並んでいた。そこには、捕虜から絞り出したであろう内容と、工作班のリーカスが遅れて行くこと、七刃の他のメンバーの動向が記されていた。そして、手紙をたたんだ時に目に入った宛名に、思わずジェノヴァは軽い笑いにこぼした。
「ほんっと、過保護なんだから」
″療養中なはずの、愛しき馬鹿な妹へ″
その手紙を地図と共にポケットに突っ込み、彼は駆け出した。仲間の元へ、一刻も早く。
その頃。ジェノヴァとリーカスを除いた、撃滅の七刃の5人のメンバーは、敵国アルレミドの北部を超えた先へ馬を走らせていた。既に先に行っている騎士団長ダカと第一王子エディアルドの元に合流する為だ。帰還の予定を急遽取り止め、唐突な新たなる作戦の開始でる。リーカスはまだ情報収集が終わっていなかったので、留まってもらっている。ジェノヴァは無論、留守番だ。
レイと轡を並べて走っていたカルキが、あのさ、と口火を切った。レイの紅の瞳が、ちら、と彼を微かに捉えるも、すぐに前に戻される。
「11歳くらいの時だったかな。1回、禁断の森に忍び込んだでしょ」
あぁ、とすぐにレイは答えた。もう10年ほど前のことだ。禁断の森とは、我が国ウルバヌスと敵国アルレミドの国境にまたがる、深い森のこと。ウルバヌスでは、敵国へ繋がる経路として近付いてはいけない決まりになっている。
「昔は今よりガードが緩くてさ。一緒に忍び込んだんだよな。その時、途中ではぐれてさ。また会えたと思ったら、お前、様子が可笑しかったよね」
あれは結局何だったの、と彼は問う。あれは、とレイは思いを馳せた。懐かしくも、切ない、淡い思い出。今まで誰にも語ったことはなかった。隠していた訳ではない。ただ色褪せないように、ひとり自分の心の中に大切に取っておきたかっただけだった。
あの日、俺は禁断の森で1人の少女に出会ったのだ。
悪戯盛りの年頃だった。周囲の者に聞かせたら、きっと卒倒すること間違いなしだ。レイとカルキは2人で禁断の森に忍び込んだ。その後、レイはぬかるんだ泥に足を取られ、それを助けようと手を伸ばしたカルキ諸共、山の傾斜を転がり落ちてしまった。更に運の悪いことに、その拍子にカルキとはぐれてしまった。恐らく、丁度山の頂上だったのだろう。レイは山のアルレミド側に、カルキはその反対、ウルバヌス側に転がった。
カルキと森の中ではぐれても、幼い癖に既に勝気な性分であったレイは、根拠のない自信を糧に森の中を縦横無尽に歩きまわった。じっとしていられる質ではなかったし、度胸と腹の括る早さは昔から健在だっため、散歩気分で散策を始めたのだ。
そうしているうちに日は暮れ、辺りも暗くなってきてしまった。流石に焦燥に駆られ始め、その場に留まることにした。持っていたナイフで木を切り、マッチで火をつけた。ボヤだとは思われたくなかったので、薪にはしなかった。丁度良い形の大木に背を預け、空を見上げれば、星が綺麗で、少しピクニック気分になったことは否めない。疲労感と心地よさに、俺は寝てしまったことに気付かなかった。そして、俺に近寄る、落ち葉を踏む足音にも。パキリ、と小枝を踏む音がして、目が覚めた。何者かの気配を感じ取って、燃えつく寸前の火を消し、手元に用意しておいたナイフを掴む。ゆらりと人影が揺れ、現れた人物にレイは思わず気の抜けた声をあげた。
「え」




