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軍則第四条の罪人  作者: 南雲 燦
第四章
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呪われた一族

「テジュノムの陸軍が壊滅ぅ!?」


 スープを飲んでいたジェノヴァは、そう声をあげてからゴホゴホと咽せた。彼女に水を差し出しながら、セルは頷く。彼は自分が作った彼女の昼ご飯を、持ってきたのだ。


「お前がぐーすか寝てる間に色々あったんだよ」


 柔らかいクリーム色の癖っ毛をぴょんぴょん元気に跳ねさせて、皮肉っぽく彼は言う。自信作のビーフシチューを手土産にしてやって来た彼は、いつも通りの喧嘩腰だった。それが些か心地良くて、ジェノヴァはいつもの仏頂面をその面相に貼りつける。

 目の前でペラペラとやたら早口で滝のように出てくるジェノヴァに対する愚痴は、ほとんど彼女の耳を通り抜けていく。


「そーいや、お前、俺がやられたかと思って悲しんでたんだって?」


 彼の言葉をぶった切って、ジェノヴァがそう言えば、彼は、何言ってんだよ、と顔を真っ赤にして分かり易く慌てた。その姿は滑稽でありながらどうしても可愛らしく思えて、ジェノヴァは笑いを止められない。


「お前、俺がいなくて寂しかったんだろ?」

「はぁ!?んな訳ねえし!」

「やだあ、照れちゃってさ」

「おい、調子に乗るんじゃねえぞ」


 にやけ面で詰め寄るジェノヴァに、身を引いて反論していた彼は、暫くして珍しく白旗を挙げた。


「そりゃあ、喧嘩相手が居なくなったら困るからな!」

「へぇー?」


 陸軍壊滅の話聞きたくないのか、とセルは彼女を半ば脅して黙らせる。


「さっき早馬で知らせが来たんだ。すぐに全員帰ってくるよ」

「あいつ等、俺に隠れて軍議しやがったな」

「そりゃそーだろ」


 アホ、と言っていることが目に見えてわかる視線をジェノヴァに送り、セルは呆れた溜息を吐く。そして、ジェノヴァに持ってきたフルーツ皿から、チェリーを摘み取って口に放り込んだ。


「改めて思うけど、おっそろしい人達だな」


 テジュノムの陸軍とは、敵国アルレミドの北部、すなわちウルバヌス国と隣接した地域だ。テジュノムの陸軍はそこそこ力のある地方陸軍として名を馳せていたが、その陸軍をたった6人と少隊一つで壊滅させた彼等は、もはや化け物だ。


 ここ最近彼らは、各隊ごとの訓練を言い渡されていた。騎士団の中から選ばれた者だけが入隊できる軍特殊精鋭部隊の騎士は、戦になると大隊長として部隊を受け持っている。第二王子レイ率いる軍特殊精鋭部隊第4班、通称撃滅の七刃のメンバーも、レイ以外は皆大隊長である。逆に、軍特殊精鋭部隊に所属していない騎士達は、大隊長率いるどこかしらの隊に所属しているのだ。


 今回騎士達は隊ごとにまとまって、各々の大隊長達の指示の下、訓練に励むことになった。いよいよ臨戦態勢に突入した、そういう暗黙の了解である。


 ウルバヌス国王であるオルガ王は、テジュノムの陸軍が進出してこようとしているという報せを受け、彼らに進出を止まさせろ、と命じただけだったようだ。しかし、ジェノヴァの一件ですっかり怒り心頭だった彼等は、軍を丸ごとひとつ滅してきたようだ。いち早く帰って来たその報告は、オルガ王を仰天させた。


 その陸軍との戦闘で、アルレミド国王の側近の1人を捕らえたようで。高い確率で何らかの重要な情報を握っていると推測されるので、きっとリーカスかカルキが対応することだろう。


「思ったより衝突が早かったな」


 ジェノヴァはそう言って、目を細めた。


 それから、とセルは、ジェノヴァのカップに紅茶を注ぎながら口を開く。ふわりと蜂蜜の香りが漂い、鼻腔をくすぐる。柔らかな琥珀色の水面には、悔しさと少しの寂しさと、友を誇りに思う得意気な表情が映り込んでいた。


「そういえば、俺に毒を盛った執事はどうなった?」

「レイ王子達の逆鱗に触れたからな」


 セルは首元に手を持っていき、すぱ、と一文字に横に引く。もうこの世にはいないか、とジェノヴァは紅茶を口にしながら目を閉じた。


「お前、運が良かったとか、思うなよ」

「へ?」


 心中を言い当てられた事より、セルの苦悶と哀傷に歪んだ泣きそうな顔に、ジェノヴァは呆気に取られた。


「お、おい、どうしたんだよ」

「なんでもない」

「なんでもない訳ないだろ!?なんで、お前が泣くんだよ……」


 おろおろと狼狽える彼女の姿に、セルは目尻に涙を溜めながら、笑う。ふわふわとした髪が強がって揺れる。ジェノヴァの困った姿が、滑稽だったのだろうか。


「ジェノヴァは、もっと自分を大切にするべきだ。レイ王子が毒を盛られなかったことは本当に良かったけど、だからって代わりに君が倒れて良かったなんて、そんなことはない」


 真剣なセルの眼差しに、驚き、戸惑い、ジェノヴァは固まった。こんな、瞳を宿す男だったろうか。


「ジェノヴァも俺達の大切な人だ。適当に扱うな」


 いつのまに、彼はこんなにも逞しく成長していたのか。いつも隣で喧嘩し合っていたのに、いつも一緒にメイドから逃げて遊んでいたのに、気付かなかった。


「……わかった」

「ならいいや」


 もう一個もーらいっ、とフルーツに手を出す彼の手を、ジェノヴァは容赦なく叩いた。





「あれ?みんなは?そろそろ到着してもいい頃なんじゃ?」

「え、えと、まだ向かってる途中じゃないかなぁ」


 歯切れ悪く口籠るセルに、ジェノヴァは首を傾げた。様子がおかしい、と彼女はすぐさま疑念を抱いた。目をすがめて、軽く身体にかかっていた毛布を剥ぎ取り、セルににじり寄る。明らかに、目が泳いでいる様が、窓辺から差し込む傾いた陽によって克明に照らし出された。


「どこにいる」


 それでもしどろもどろとして、はっきりしない彼に痺れを切らし、ジェノヴァは両手で彼の襟首を掴んだ。パジャマ姿でベッドの上で片膝を立て、焦慮の色を濃くして彼を脅す。


「吐け」

「うおっ、ちょ、ちょっと待て!」


 落ち着け!と声をあげるセルを、ゆさゆさと揺さぶる。


「どこにいるかって聞いてんだボケ」

「俺のどこがボケだコラ!年上敬えって言ってるだろー!」

「うるさい!さっさと言え!」


 2人が暴れた弾みで、毛布や枕がベッドから落ちた。その拍子に乱れた金色の髪の狭間から、確信とも取れる呟きが溢れた。


「……アルレミドか」


 静かにゆっくりと落とされたその言葉に、セルは首を横に振ることができなかった。ずっと傍で見てきた相手だ。彼女が今どんな気持ちでいるかなんて、手に取るようにわかるから。セルは、目の前の必死の形相の彼女から視線をずらして、口を開いた。仲間のいる場所を聞いた途端、彼女は部屋を飛び出した。その細い背中を、セルは椅子に座ったまま見送る。その顔は心なしか、微笑をたたえていた。


 それを知ることなく、ジェノヴァはパジャマ姿で宮殿内を駆けていた。メイドや執事達はその姿に思わず彼女を振り返る。大理石の廊下を裸足で踏めば、ペタペタと高い音が木霊する。荒々しく自室のドアを開けた。バンッと大きな音が鳴り、蝶番が撓んで、重い筈の扉は勢い余って再び閉まる。自室に駆け入ったジェノヴァは立てかけてある2本の短刀をひっ掴むんだ。毛布を踏んでベッドを乗り越え、机の引き出しを乱雑に開け、並べられたナイフを一通り取る。別の引き出しから、黒革のケース、爆薬、マッチなどを次々と取り出した。それから、クローゼットを開けて、彼女は暫し立ち尽くした。


 制服が、ない。


 動きを止めたまま、素早く彼女は思考を巡らせた。それから、弾かれたように、また駆け出す。白い足は、廊下の冷たさを吸ったように冷え、赤くなってきたが、彼女がそれに気付くことはなかった。

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