自覚
「お兄様達からのご褒美だ。ご所望なら、今日も俺が世話してやるぞ?」
身を乗り出してくる彼に反して、ジェノヴァは後ろに仰反る。
「どこがご褒美だ」
「こんな贅沢もう一生ねえぞ」
「普段の意地悪と何が違うんだ」
拷問にも似た苦痛の食事タイムを思い出して、ジェノヴァは恥ずかしさに頰を上気させた。起きたばかりの身体は思い通りに動いてくれず、何から何まで介護される生活続きであった。そのメイドの仕事を取り上げた彼等は、代わる代わるジェノヴァに食事を食べさせていたのだ。
「特別サービスだから、金は払わなくていいぞ」
「一銭たりとも出す気はないです」
レイは特にひどい。恥ずかしさに顔から火が出そうなので、思い出したくもない。今だってそう、その甘い笑顔を向けないでくれ。
「おーじっ」
ジェノヴァは困ったような、でも嬉しいような、やっぱり恥ずかしいような、複雑な感情が綯い交ぜになった表情をその面貌に走らせた。
「本っ当に、年上組は厄介だ……」
カルキもお得意の腹黒さで、はいあーん、と蕩けそうな微笑を浮かべて凄く乗り気だった。楽しい楽しい、と黒い笑いをする彼に頬をげっそりさせたのは言うまでもない。リーカスは疲労の見える目元から黒縁眼鏡を外して近寄る癖に、柄にもない笑顔を魅せるものだから、暫く彼を直視できなかった。
「そういや、あの執事は情報を吐いたのか?」
話題の内容に、レイは露骨に嫌な顔をした。今にも舌打ちが聞こえてきそうである。
「全部話させた。あのクソ野郎、もっと痛めつけたかったがな、リーカスに止められた」
リーカスに拷問を止められるなど、よほどレイの歯止めが効かなかったに違いない。ジェノヴァは若干鳥肌を立てた。
「以前の軍議で、うちの国の人身売買がアルレミドの王室問題と絡んでいるって予想に達したが、まあ強ち見当違いではなかったようだ」
最近の議題といえば内容は勿論、我が国と火花散らせるアルレミド国についてだ。
「ラガゼットつったら、アルレミドの軍総司令官じゃねえか。どうしてそんな奴が取引の場に?」
「警備だって随分力を入れていた。街は巡回の兵士だらけ、皆徹底した国の監視体制が敷かれている。あんな芸当、要人の指示か相当でかい案件じゃなきゃ……」
考え込んでいたヴェイドが、ミルガの方を向く。
「なあ、アルレミド国の政治の様子はどんなだ」
それの発言にはっとして、リーカスも同じようにミルガに視線を移す。
「国王が権力を待つ王政で、その下に軍を率いる武官派と国政に携わる文官派があるのはうちと同じ。だけど、明らかに文官派と武官派の連携はうまくいっていないし、会議で決めると言うよりも国王の匙加減という表現が正しい」
すらすらと語るミルガを、ジェノヴァは横目で見た。守りの固いアルレミドの内政問題にまで精通しているとは、末恐ろしい男である。
「今は、如何に国王に取り入るかが権力争いの優劣を大きく左右する。現国王は下らない趣味に現を抜かす能無しらしいぜ」
「ジェノヴァの報告じゃ、多くの兵士をラガゼットが動かしていた。そうだな?」
「うん」
「争いの切り札となるのが今回の事件だとすると、やはり国レベルで事件に関係しているのでしょうね。それにしては強行策ばかりで、軍事力の乱用が目立つとなると、今優勢なのなラガゼット率いる武官派……」
オレンジの暖色が翳りをみせて、呟く。
「その現国王を、武官派はどうやって釣っているんだろう。ウルバヌス国を勝ち取れるという話は将来的な約束だろ?今、彼を振り向かせる策として何を講じているんだ」
「趣味……」
皆の視線が集まった。碧眼が、何かを決心した強い光を孕んでいた。
「多分、国民からの信頼を得る為だけじゃない。奴が現を抜かすという余興を提供してくれるから、国王は武官派を手放せないんだと思う」
レイが優しい微笑みをジェノヴァへと向けた。目尻をゆるりと柔らかく下げて、莞爾として笑う彼女。白い部屋、白いベッドと未だ蒼白い肌。儚くも美しいと感じてしまうのは、少々不謹慎だろうか。
「思い出し笑い」
そう言って、彼女の目の前に出された料理を嬉々として眺めた。
「んー!美味しそう。お腹すいたんだ」
「今日からリハビリを色々始めないとな」
「うん!すぐに剣持って暴れてやる。寝てた分取り返すんだ」
無垢な笑顔を、ジェノヴァは顔いっぱいに弾けさせた。ベッドの上で姿勢を正し、早速飲み物をコクコクと飲んだ。それを見て、傍でレイも自分の食事を進める。しかし、カラン、と虚しい音が響いた。
「あ、れ?」
トレーの上にスプーンが落ちていた。レイはすぐに彼女の方に身体を向ける。震える手と転がったスプーンを見て、ジェノヴァが泣きそうな表情をしていた。唇を強く噛んで堪えている。見ていられずトレーを半ば強引にどかし、レイは彼女を抱き寄せた。震える意地の張った肩を、腕の中にしっかりと閉じ込める。
「毒の影響で、数日は痺れが残るって医者が言ってただろ?まだリハビリ初日なんだ、気にする事はない」
安心させるように、ゆっくりと。諭すように言う。
「焦るな。大丈夫だ」
何度も、だいじょうぶ、と噛み砕くように。
レイはベッドの上に身体を移し、自分の上に彼女をもたれかけさせるようにして、抱え込んだ。
「レイ」
「ん?」
涙は溢さず、潤ませた瞳を此方に向けてくるジェノヴァが、ぎこちない微笑をみせた。身体に回したレイの腕が少し緩む。
「怖かったんだ。すごく。毒を盛られて意識が遠のく時、何もかも暗くなって一人になる感覚がすごく怖かった。俺は騎士なのに、情けないほどに」
ジェノヴァは、自分を抱きしめてくれる腕をふわりと抱き返した。温かい。安心する剣士の硬い腕、支えてくれる大きな胸と優しい鼓動。大切に思ってくれる気持ちの伝わる言葉と声と、不思議と安らぐ彼の香り。
「いつでも、レイが俺を光ある方に引っ張り出してくれるんだ。こうやって手を取って連れ出してくれる。強引でも半分ふざけていても、本当に来て欲しい時にいつも助けてくれる」
つ、と上げられたジェノヴァの顔にはもう曇りなど微塵もなかった。そこには晴れやかな笑顔と美しく彩る水溜りの瞳。
「もう、何も怖くないんだ。どんな状況に置かれても、勇気が出てくるんだ。そこに、まだ希望があるんだよって。レイ、貴方の存在が俺を強くしてくれる」
少し呆気に取られた表情をしていたレイは、きゅっとジェノヴァを更に抱き込んだ。ジェノヴァの細い肩に、後ろから彼の額が押し付けられる。彼の黒髪がジェノヴァの頬をくすぐった。
「お前って奴は……。やっと弱音を吐いたのかと思えば、すぐそうやって気丈に振る舞うんだな」
「え?俺叱られてる?」
「ああ。叱ってる」
彼の低い声は叱る声とは程遠い。ぴたりと寄せていた身体を離す。瞳を濡らした彼女とレイは、僅か数センチの距離で見つめ合った。少し弱気な彼女が珍しく、レイは柔らかな笑みを浮かべた。それを見たジェノヴァの体温が上がってゆく。
「強気のお前も、血に濡れたお前もいいが」
弱ったお前もなかなか唆る。
「う、ぁ……」
耳元に囁く彼は、意地悪で。ジェノヴァはまともな反応を返せない。無意識に染まった桃色の頰に、レイはそっと手を添えた。




